第2話 わたしの新しい、あったかいお家

第2話 1

 ――きっかけは、なんだっただろう?


 もう元の世界の――日本での事は、ずいぶんと時間が経ってしまって、夢だったかのように思える時もある。


 その日、お母さんと言い争いになったわたしは、スマホだけを片手に、家を飛び出した。


 春を迎えたばかりの季節で、上着も持たずに飛び出したから、夜風がすごく寒かったのを覚えてる。


 お金なんて持ってなかったから、暮れた街をとぼとぼと歩いて……確かお父さんのお家に行こうと考えてた気がする。


 お母さんと離婚してから、一度だけ届けられたお父さんからの手紙。


 何度も何度も読んだから、住所はしっかり覚えてた。


 スマホで調べると、電車でたった五駅。


 時間にして三十分くらい。


 子供だったわたしは、その距離が徒歩だとどれほど離れているかなんて、考えもせずに地図アプリを頼りに歩き出した。


 やがてしばらくすると、くたくたに疲れて、脚も痛みだして。


 それでもがむしゃらに歩き続けたわたしは、疲れ果てて通りかかった公園のベンチに横たわった。


 どれくらいそうしていただろう。


 真ん丸な月が真上で綺麗に輝いてたのだけは、ひどく記憶に残ってる。


「――玲奈れいなっ!!」


 そう呼ばれて顔をあげると、スマホ片手に髪を振り乱したお母さんが駆けて来て。


 ……心配してくれたのだろうか?


 だとしたら……わたしもちゃんと謝って、それから――


 そう思って、わたしはベンチから立ち上がり、お母さんの元へと歩き出して。


「あのね、お母さん……」


「――なんでわたしに迷惑かけるのっ!!」


 視界がブレて、頬が熱くなって。


 知らずに溢れた涙で、目の前が歪んだ。


「母子家庭だからって、周りから変な目で見られないように、不自由させないようにしてきたのに、あなたはこんな事してっ!

 こんなにわたしを苦しめて楽しい!? なんでわたしばっかりこんな目に合わなきゃ……」


 わたしをぶったお母さんは、目の前で両手で顔を覆って泣き出してしまって。


「お、お母さん……」


 わたし、お母さんを苦しめようなんて思ってないよ?


 ずっとずっと言われた通りにしてきたじゃない?


 お父さんに会いたくても、ずっと我慢してきたでしょう?


 勉強も、習い事も頑張ってきたよ?


 お友達と遊ぶ時間もないくらいに、頑張ってきたじゃない?


 そりゃあ……お母さんが望む中学には入学できなかったけど……


 そんな言葉が――次々に浮かんでは、声にならずに消えて行く。


 今までもずっとずっとそうだった。


 たとえ言葉を声に乗せても、きっとお母さんは聞いてくれない。


 押し黙るわたしに、お母さんはそれでも今まで一度も言わなかった言葉を口にした。


「――あんたなんか産むんじゃなかったっ!」


 ……ああ、そうなんだね。


 きっと、ずっとずっとそう思ってたんだよね?


「……お母さんにとって……」


 震える声で、わたしは呟く。


「――わたしは……重荷だったんだ……」


 わたしがお母さんの迷惑になってるなら……もう消えてしまいたい。


 今思えば、そんな事を考えてしまったから、よくなかったのかもしれない。


 強い風が吹いたかと思うと、公園の植木がざぁっとざわめいて。


 わたしの足元から、不意に虹色の粒子が噴き上がった。


「……玲那れいな……?」


 お母さんが顔をあげて、ぼんやりとわたしの名前を呼ぶ。


 粒子は光の柱となって立ち昇り、不思議な浮遊感と共に、身体の感覚が薄れて行く。


 なにが起きてるのか、とかそんな事より。


 ……なんとなく。


 これでわたしの人生は終わるんだと……そんな考えが過ぎった。


 だからわたしは……光の向こうで驚きの表情を浮かべるお母さんに――たぶん、笑って見せたんだと思う。


「……生まれてきちゃって……ごめんね。今までありがとう……

 わたしは……それでもお母さんの事、嫌いじゃなかったんだよ……」


 最後に見たのはお母さんが浮かべた、驚きの表情。


 そして、視界が真っ白に染まって――





 気づくと、わたしは大きな男の人の肩に担がれていた。


 鼻を刺すような異臭――古い公衆トイレみたいな、そんな悪臭漂う路地をわたしを担いだ男の人は進んで行く。


 ファンタジーのゲームやアニメに出てくるような街並み。


 ……これって、しぃちゃんが貸してくれた本にあった異世界転移とか、そういう……?


 もっと周囲をよく見ようと顔をあげると。


「お、目覚めたかい、嬢ちゃん」


 ヒゲもじゃな顔をしたその男の人は、本名はベルーダと言うのだけれど、熊みたいなその見た目のせいで、みんなからベアというあだ名で呼ばれている、気が好くて優しいおじさんだった。


「……あの……ここは?」


 訊ねるわたしに、ベアおじさんはヒゲまみれの顔をくしゃりと歪めると、いかつい目元を涙に潤ませて、わたしの頭を撫でてくれた。


「ここはアーガス王都の下町だよ。

 嬢ちゃん、名前は言えるかい?」


「えと、能美のうみ玲那れいなです……」


 悪い人な感じがしなかったから、素直に応える。


「……姓があるって事は、やっぱり貴族の子か……」


 ぽつりと呟くベアおじさん。


 あとで聞かされたんだけど、ベアおじさんはこの時、わたしが拐われるか捨てられた貴族の子と思ったそう。


「じゃあ、ノーミ――」


「――あ、違うの。能美は名字で名前は玲那です」


「ふむ、異国から連れてこられたのか?

 じゃあ、レーナ。家の場所とかわかるか?」


 わたしは首を振る。


 そもそも自分が、どうしてここに居るのかもわからなかった。


 しぃちゃんの本の通りなら、あの虹色の光で異世界に来てしまったんだと思う。


 でも、ああいうのって、お城の地下とかに出て、「おお! 勇者よ!」とかなるのが定番なのに、わたしは裏路地に倒れていたところを、ベアおじさんに見つけてもらったらしい。


 ベアおじさんはわたしを地面に降ろして、アゴに手を当てる。


「むぅ、とりあえず孤児院に連れてってやろうと考えてたんだが……」


 年の割に小柄なわたしは、はじめは幼児だと思われてたみたい。


 でも、目覚めて受け答えがはっきりしてるから、ベアおじさんもおかしいと思ったそうで。


「レーナ、おまえいくつだ?」


「あと二週間ほどで十三歳になります」


「だよなぁ。じゃなきゃ、もっと泣き喚いてるよなぁ……」


 孤児院に入れるのは十二歳までで、それからは自分で稼いで暮らさないと行けないのだと、ベアおじさんは教えてくれた。


「とはいえ、なんにも知らないおまえをほっぽりだすのもなんだしなぁ……」


 アゴをさすりながら、困ったように眉尻を下げるベアおじさん。


「俺ん家に連れてっても良いんだが、俺は朝早いし、帰りもこんな時間だしなぁ……」


 そんな時だ。


 横手の路地から明かりが差して、恰幅の良い人影が現れた。


「――おや、そこにいるのはベアじゃないかい? そんな小さな子連れて、どうしたんだい?」


 片手に野菜やパンの詰まった買い物カゴを下げ、もう一方の手に持ったカンテラでわたし達を照らしながら、人影はそう声をかけて来た。


「ん? おお、マウリ姐さんか!」


「おお、じゃないよ。あんた、その子どうしたんだい? まさか食うに困って、ついにかどわかしなんかに手を出したんじゃないだろうね?」


「バカ言うなぃ! こちとら腐っても騎士の家の出だぞ? 人様にはばかられるような真似なんかするもんか!

 ああ、ちょうど良い。あんたなら任せられる。ちょっと頼まれてくれねえか……」


 そうして、ベアおじさんはその人――マウリおばさんに、わたしを拾った経緯を説明し始めて。


「帰る場所が見つかるまで――いや、独り立ちできるまででも良い。ちょっと世話してやってくれねえか?」


 ベアおじさんはそう言って、おばさんに頭を下げた。


 マウリおばさんは怖い目つきでわたしを見下ろして来たけど、さっきまでわたしを心配しておじさんを叱ってたから、優しい人なのはわかった。


「世話をするのは良いけど……飯を食いたきゃ、働いてもらうよ?」


 中学生になったばかりのわたしは、当然、アルバイト経験なんてない。


 でも、ベアおじさんの話だと、この世界ではわたしと同じくらいの子達はもう働いているみたいで。


 とにかく生きて行く為には、働かないといけないのだから、わたしはマウリおばさんに頭を下げた。


「――玲那です! よろしくお願いします!」


 そんなわたしに、マウリおばさんは鼻を鳴らして。


「おいで。帰るよ。

 ベア、あんたも来な。いきなりこの子ひとりじゃ不安になるだろう?

 飯くらい出してやるから、食って帰んな」


 ぶっきらぼうにそう言い放つと、路地を歩き始める。


「おう、すまねえな」


 頭を掻いたベアおじさんはわたしににんまりと笑いかけて、ふたりでマウリおばさんの後に続いた。


 ――これが、この世界で数少ない、わたしの味方……ううん。この世界でのお父さんとお母さんとも言える、ふたりとの出会いだった。

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