改札前で待ち合わせ!

渡貫とゐち

電車にGO!


「あぁああああああああああああああああああああああああああ!?!?」


 落下している。

 朝の通勤ラッシュ。満員電車目前の通路は人で溢れ返っていた。まるで軍隊のように足並みを揃えなければ、前の人のかかとを踏み、自分のかかとも後ろの人に踏まれてしまうだろう――ひとりが転倒すれば調和が取れていた絶妙なバランスが崩れて、ドミノ倒しのように長蛇の列が乱れていく。


 一度転べば、倒れた人物は起き上がれない。踏まれては足蹴にされて、その「人の波」が消えるのは朝の通勤ラッシュ以降だ――その時にその人物の意識があるかどうかは……分からない。


 過酷な環境だった。


 夏であれば最悪。朝とは言え気温が高ければ汗も相まって不快度は跳ね上がる。満員電車に乗れば冷房が効いているから……と期待をすれば結局、人の密集度で多少はマシと言える程度にまでは引き上げられてしまう。


 電車の本数を多くしてくれればいいのに……と思ったことなど何度もあるし、これ以上はもう増やせないところまで増やしている結果なのだろう……――それに、運転士が少なくなっている、とも聞いている……。いずれは今より本数が減ってしまうのではないか……? 


 自身の尾を噛む蛇のように、車両で線路を埋めてしまえば……。

 一度で乗り降りできる客の数は変わらないだろうが、車両が増えればそれだけスペースもできるわけだ。今で言う満員でも、たくさんの車両に人が分散してしまえば、満員でもスカスカなのではないか――まあ、無理な話であるのは自覚していたが。


 二階建てにする?

 座席を優先席のみにして立っていられるスペースを確保する? だが、通勤ラッシュ時の満員電車のためだけに基本的なシステムを変えるのは割に合わないのだろう……、不満を言って無理難題を押し付けることは誰にでもできる。具体的な方法は、素人には分からない。

 内情の問題点までは把握していないのだから。


 あと少しのがまんだ、と言い聞かせることしかできない。いずれは人口がぐっと減るのだから、満員電車も随分と楽になるはずだ……――それまでがまんすればいい……ただ。


 そう望む者のほとんどが大多数と共に死ぬ側だというのは、意外と気づかないものだ。



「あぁああああああああああああああああああああああああああ!?!?」


 あらためて――落下している。

 薄暗い空間の先、地面にはクッションがあった。


 ぼすんっ、と衝撃を吸収してくれた大きなクッションから転げ落ちた三十代のサラリーマンが、乱れたスーツを整え、ネクタイを締め直し、立ち上がる。



「お待ちしてました~、では、あちらへどうぞ――――」



 迎えてくれたのは若い女性だった。鉄道会社の制服を着ているので従業員ではあるらしいが……、ここはどこだ?

 そして彼女が手で示した方向には、長蛇の列ができていた……先には……自動券売機? しかも長蛇の列に比べて二台しかないのはどういうことだ?


「ここは……」


「あら、初めてのご利用ですか? 珍しいですね……。では質問ですが、あなたはどうして落下してきたのですか? 落下のショックで直前のことを忘れている、なんて障害が残っているわけではありませんよね?」


「……上で、改札……」

「はいはい」

「改札で、チャージ金が不足してて――」

「はいはいそれで」

「改札に穴が空いて――」


「落下してきて今ここ、というわけですね。なら話は簡単です――あちらにチャージ専用の機械がありますので、チャージしてください。終わった後は階段で駅構内に戻っていただいてから、また改札を通ってもらえれば電車に乗ることできますので……」


「ちょ、待ってくれ!! あの列に並んでいたら会社に遅れるだろ!? こんな嫌がらせはいいから、早く上へ戻してくれ! この際、もうICカードでなくていい、切符を買うから――」


「あ、切符を買うのもいいですけど、列には並んでくださいね。一応この列は上の満員電車の人口密度を緩和するためのシステムでもありますので。チャージ忘れでスムーズな列の流れを止めてしまう準備不足の方々にはこうして落ちてもらって、多少は通勤ラッシュの後ろに回って頂こうという試みですから――事前にチャージをしなかったあなたが悪いんですよ?」


「む、無茶苦茶だ!!」

「そうですか?」


 すると、サラリーマンの後ろでクッションが大きく跳ねた。

 落ちてきたのは同じくサラリーマンだ。彼は舌打ちこそしたものの、「はぁい、列にお並びくださいね~」という女性の案内に素直に従っていた。常習犯でなくとも過去に経験をしている者は、ここでごねても仕方がないと分かっているのかもしれない。


「ッ、いい! 勝手に突っ切って上に――」

「ルールは守ってくださいね?」


 女性の手が伸び、サラリーマンのネクタイがぐっと引かれた。

 バランスを崩した男の胸倉を掴み、女性が背負い投げでクッションに投げ飛ばす。されるがままのサラリーマンが、ぱちくりと状況を確認していると――


「それとも硬い地面に落とした方が目が覚めますか?」


「ひぃ!?」


 こぼれ落ちた財布とICカードを拾い、列に並ぶサラリーマンの背中を見届ける。

 初めてここに落ちてきた者は大体が彼女に喧嘩を売って返り討ちになっている……そのため二度目からはスムーズにクッションから列へと移動するのだ。


 腕に自信があるヤカラが相手でも女性の方が強い。単純に、それだけ彼女には腕があるということだが……。

 従業員としては個性が強い彼女が働けているのは、この場所を担当しているからでもある。普通に上で働いていたら、彼女の性格と態度では早々にクビになるか、SNSで問題になりそうだ。

 同じくらい、ファンも付きそうではあるが……。


 次のチャージ不足が落ちてきた。


 男子学生である。


「おはようございます、まりあさん!! 今日も会いにきました!!」


「うんおはよう。……さっさとチャージして学校にいきなさい、バカ」


「はい!!」





 家が近所なので働いている改札をよく利用する。

 休日は同僚と一緒に買い物に出かける予定だ。

 改札で待ち合わせをし、先に着いてしまったのでスマホをいじって待つ。


「(勤め先だから毎回意識してチャージする癖がついてるわね……いやいいことなんだけど、なんだか残金があるのに同じ分チャージするのはなんだか瞬間的な損って思うのは私だけ?)」


 絶対に落ちたくない意識がそうさせているのだろう……、当然ながら今日は違う従業員が改札の下の空間を仕切っている。休日なので人が少ない分、楽ではあるだろうが……。

 なので尚更、自分が落下したくはないと思っている――。


 クッションから駆け足でチャージしても、絶対に顔を合わせることにはなるだろうし。

 落下した先で、「毎朝あれだけ人を小ばかにしているのに自分まで落ちてくるなんて……」と思われたくはない。

 しばらくはいじられるだろうし、落ちた後で明日からまた下で仕切るのは、少しやりにくい部分もある。だから絶対に落ちることはできない。


「まりあ」

「あ、てる。遅かったじゃん」

「うん、ちょっと寝坊しちゃって」


 待ち合わせ相手の友人は両手に缶コーヒーを持っていた。

 すぐそこの自販機で買ってくれたのだろう……「遅れたお詫びに」と手渡してくれた。


「じゃあいこっか」

「そうだね」


 何度も確認したので確実にチャージされていることは分かっているが、それでも改札にICカードを押し付けるこの瞬間は緊張する……。

 不足でなくとも床に穴が空くのではないか? と、あり得ない想像をしていると――「あ」


 と、隣で聞こえた。


 赤い警告ランプとはっとさせられる音で、友人の姿が消えた。

「え?」と呆然としたまりあが隣を覗き込むと、やはり床に穴が空いて友人が吸い込まれてしまっている……――なんで!? と思っている内に空いた床が再び閉じていた。


 チャージ不足? 従業員である自分たちが間違えるはずがないと確信を持って言えるのだが……、そこでまりあが気づいた。手に持つ缶コーヒー……、友人も持っているので、二本分。友人は、そう言えばこれをICカードで買っていたのではないか?


 高い買い物ではないとは言え、ギリギリのチャージ金額で遅刻のお詫びに緊急で買ったものであれば、計算違いで足りない場合もあり得る……隣の駅にさえ届かない金額だと来場以前に止められるので――よくあるチャージ不足だった。


「てる!?」


 まりあが反射的に彼女を追いかけようと改札にICカードを押し付ける。勝手に自分も落ちるつもりでいたまりあは青色の光と共に通り抜けられてしまったことを、今だけは「どうして!?」と不満だった。……不足していなければ通れるのは当然なのだが。


 すぐに友人に連絡する。


『改札前で待ってて』と連絡がきて――


 数分後、友人が恥ずかしそうにしながら、改札を通って合流した。


「あはは……下で先輩に怒られちゃったっ。従業員がチャージを忘れて落ちてくるなんて自覚がないのか、って」


「……缶コーヒーを買ったせいだよね、ごめんね……」

「ううん、だって私が勝手に買っただけだし……あれ?」

「ん?」


「やば、下に缶コーヒー置いてきちゃったかも……クッションの中に埋まってる!!」


 引き返そうとする友人の腕を掴む。

 また落下するつもりなら止めなければならない。


「缶コーヒーくらいもういいでしょ! 飲みたいならまた買えばいいし――なんだったら私が買ってあげるから!!」


 一本は既に手元にある。これを渡せば解決なのだが……、


「違うのっ、あのコーヒーは改札内にはないから……やっぱり取ってくる!!」


 仕事仲間に声をかけ、地下にいきたいとお願いしたところ、快く承諾してくた。

 まあ対応してくれた彼からすればボタンひとつで完了できる仕事であるが。


 友人の足下の床が抜けた。

 悲鳴ひとつ上げずに落ちていく友人は、手慣れている。



 数分後、とぼとぼ、と肩を落として戻ってきた友人がぼそりと言った。


「……先輩に飲まれてた……差し入れかと思った、って……」

「あー……」


「あの缶コーヒー……最近出たばかりの新作だから飲みたかったのに!!」

「…………ごめん、これ口つけちゃったけど……飲む?」


 まりあが差し出した飲みかけのコーヒーを友人が受け取った。


「うん……がまんして飲むよ」

「嫌みたいな言い方しないでよ!!」




 …了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

改札前で待ち合わせ! 渡貫とゐち @josho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ