第2話「完全な異世界だ。ここは……」
酷く寂れた家に案内された後、色々な質問を受けることになった鏡。
「また、犬や猫を拾うように宿賃を払えない者を連れてくる。あんたたち、なんとかなんないのその性格」
「そのー、ボクとしては困った人を放っておくことはできないかなと。そうだよねフーラル」
「う、うん。そ、そうだよねえー」
先制攻撃をしてきたのはリリーという女の子。そんなリリーの言葉に苦笑いを浮かべて躱すユーリとフーラル。
リリーとフーラル、そしてユーリはみすぼらしいつぎはぎだらけの服装に身を包んでいる。年頃の女の子が身を包む服ではない。
強いていうならばどこか昔の寂れた村人系という格好が似つかわしいのかもしれない。
服はさておき話は戻るが、鏡が異国へ飛んだのかもしれないと気がついた原因は所持品にあった。
免許書に万札数枚、クレジットカードにATMのキャッシュカード。更に自宅や自動車のキーに、つい最近機種変した最新型のスマホ型携帯。
自慢のスマホで警察に電話を掛けるが、電波がないのか一向に繋がらない。
宿賃のことを訊かれ鏡はリリーに札束とクレカを見せる。受け取った札束とクレカをリリーは物珍しそうに触り、なんどか瞬きした後に色っぽい溜息を漏らす。
おかっぱの艶やかな銀の髪質に緋色の瞳。やや鋭いその瞳が更に細められ、整った鼻梁と小さな口から甘い吐息が漏れる。身長は丁度良く、それを美化するような肌は透き通るように白くマシュマロを想像させる。
どうもリリーが一番胸がないように見リリー。縫製癖がある所為かなまじ女性のスタイルを眺める悪癖がある鏡。そんな彼の視線におかまいなしという様子でリリーは再度詰問してくる。
「これはなに?」
「お札とクレジットカードだが」
「これはどこの画伯が書いた物なの? 後ろに描いてある鳥といい、おじさんといい、触り心地といいこんな精巧な絵は見たことがないわ」
「え? 印刷された物だが」
「印刷ってなに?」
リリーの疑問に鏡はわかりやすく返事を返すが、印刷の意味自体が解らないのかリリーは徐に首を傾げ物珍しそうに眺めている。
「凄い物という事は説明されなくてもわかるわ。それとこのぺらぺらのなんか弾力のある紙?」
光り輝くゴールド色のクレジットカードを丁寧な様子で触りながらリリーは色っぽい吐息を漏らす。
「この眩く滑らかな触り心地、そして細部にまで施された装飾。私ではこれの価値はわからないわ……」
このご時世にクレジットカードもお札もわからない少女。クレカならまだわかるがお札という概念がわからないのは流石に不自然に感じた鏡
ここで自分の身に危機感を抱いた鏡はリリーに聞き返す。リリーは緋色の瞳に光を湛えて見返してくる。
「ちょ、ちょっといいかな? この辺にATMとかはないのか? そして銀行とかは?」
「なにそれ? エーティアム? エイム? 聞き取れない。ギンコウってなに? あー採掘場のことか銀も取れるかもしれないしね。ここから数十キロ北に採掘場があるわよ」
「ち、ちがう。そんな中二的みたいな銀鉱じゃない……」。
「ううん? チュウニってなによ?」
「い、いやあー、聞き流して欲しい」
「変な奴ねあんた。まあ変な奴として相手しているんだからしょーがないか」
リリーは呆れながら肩を竦めると渡された貴重品を手に取り、言葉を付け加えながら鏡へ返す。
「どちらにしても、私たちじゃあなたの持っている芸術品の価値はわからないので返しておくわ。一応なにがあるかわからないから、盗まれないように大事に持っていてね」
「ああ……」
「とまあ、私ばかりが喋っていてもしょうがないので、へい、お父さん方の代表にバトンタッチ」
「あー、じゃあ、俺がやるわ、リリー」
「はい、フーラルのお父さんに決定」
フーラルの促しに強面の筋骨隆々の親父が手を上げる。フーラルの父親のクォールである。彼は鏡が腰を掛けている椅子の前に座ると、無精髭をゆらゆらと揺らしながら鏡のことを見定めてくる。
クォールは目を細めながら鏡に質問を始めた。
「お前、そこでなにをしていた? 怪しい奴め。もやしみたいな体をしやがって、けっ」
チュニックにベルトとズボン。観察するにどこか昔の村人を想像させる。各人の継ぎ接ぎされた粗末な服を眺めて鏡は心の中で呟く。
(これは粗末な生地だな……それに……)
家へ視線を巡らせると現代の人間が住まう環境ではないことが見て取れる。内装は壁の木が剝がれ、どうも木自体が腐っていることがわかった。
全てが異質で新鮮。見知らぬ異国に対してのカルチャーショックを受けている最中であっても、休む間もなく天井から滴が滴り落ちてくる。
垂れ落ちる雨漏りをさほど気にもしていない家人の様子が鏡にとっては驚きの一つでもある。
ふと話が中断していることを鏡は感じてクォールに返答を返す。
「スタイルがいいと言って下さいよ。えー、話は戻りますが、ここは一体どこなんですかね?」
「俺の家だ。どうだ温かく良い家だろう。特にフーラルは自慢の娘だ」
隙間風が入ってくるにも関わらず、自信ありげな様子で語るクォール。色々と言いたいことはあるが、あえて鏡はそれをスルーして質問を重ねた。
「いえ、それはわかるのですが、ここは地球のどこですかね?」
「あ? チキュウ? それはなんだ?」
「惑星ですよ。太陽系の惑星の地球です」
鏡はここで一つの論理立てをすることにした。それは目の前にいるクォールという男性はどうみても日本人ではない。簡単に要約すれば風貌から見てわかる通りに外国人である。しかしそれを差し置いても地球がわからないというのは奇妙な話である。
更に鏡は轢かれて死んだ筈なのに、目が覚めた時には全く見た事もない見知らぬ土地に立っていた。
更にネトゲを除く中二的なファンタジーの世界から遠のいていた理系の鏡でもあからさまにわかるこの違和感。
「……ふむ……」
そして外国人の風体をした少女や両親と言語によるコミュニケーションを取っている自分。
考え事をしていると自ずと知らず尊大な態度になっていく鏡。クォールはそんな鏡を眺めてこめかみに血管を浮かばさせる。
「そんなものは知フーラル。なんだ? お前は頭がおかしいのか?」
「いや、全く持って正常ですが? 失礼だが、ここは地球ではないと」
「少なくとも、お前のいう場所ではないな、質問はこちらからしている。お前は宿代などを払って、ここに暫く住んでいる行商人とかではないのか? お前のような奴を村で見たことはないからな。目的はアムダデルタ大市か?」
「いや、そんな名前も知らない大市ではないです。そして少なくとも、私もあなたを見たのは初めてです。自分でいうのもおかしいかもしれないですが、列車に跳ねられそうになった瞬間になにかのパワーが働き、ここへ飛ばされたような感じがします」
鏡は自分の口からそんな言葉が滑り落ちた瞬間、自分の口からこぼれ落ちた言葉を加味すると頭のおかしな人間に思われてもしかたがないなと後悔をする。
その証拠に鏡の言葉を聞いて、クォールは情けないものでも見たかのように同情した表情を浮かべているからである。
「失礼。電話というものと、ポリスという単語は聞いたことはありますか?」
「……なにを言っているんだ、こいつは。そんなものは知らん」
クォールは首を振り、困った表情を浮かべると盛大な溜息を吐いて額を抑え込む。
話は変わるが地球に住んでいる以上電話とポリスは切っても切り離せない。そんな当たり前のことを知らないと彼は言い切ったので、鏡は一つの可能性を考リリー。
「東京都という地名は聞いたことはありますか? ジャパニーズとかチャイナとかアメリカとか」
「は? ちゃいな。なんだお前は頭がおかしいのか」
「失礼、少し外の様子を見てきてもいいですか?」
クォールの続けざまの質問をかわすと鏡は椅子から立ち上がり、質素な扉を開けて外へと飛び出す。
外を眺めると黒い空を彩るかのように粒子状の星空が鏡を迎え入れる。夜風が靡く中この家の様子をもう一度見る。
「簡素な木造の家に、藁の屋根……向かいも、その隣もそうだ」
鏡は回りを見渡し違和感を抱く。隣家には馬小屋があり、小屋の中で馬がエサを食べている様子が確かなリアリティーを抱かさせた。
山の辺りから耳朶を打つような野犬の叫び声が聞こえてくる。更になにかの合図なのか鐘の鳴らす音と夜警団の決まった歩調が鏡の耳へと入ってきた。
なにもかも地球と違う世界。文明度から見識に至るまで全てが違う。
「なにかが、おかしい……もしや……」
鏡は宵闇の外を眺めている最中、ある物が目に入った。村に設置された掲示板のようである。素早く歩を進めて砂利道を走破すると、鏡は掲示板を食い入るように眺め始める。
掲示板に貼り付けてあるのは上質な羊皮紙らしい。鏡は首を傾げるとその羊皮紙に書かれている内容を読み漁る。羊皮紙に書かれている文字はこの文明にしては体裁や文章がしっかりとしている。
鏡は家屋から漏れる光を光源にして羊皮紙の内容を声に出して読み上げる。
『帝国歴1293年帝都メニエにおいて、ギルド統括最高責任者ココ・ルイーゼ様、技術開発ギルド長ルネ・アルメリア様、そして国王であるイザクール四世が会談される模様』
「西暦じゃないのか……帝国歴って……やはり、なにかがおかしいと思えば、ここはまさか……ネトゲの世界でも地球でもなんでもなく……」
書かれてある内容を読んで鏡はある可能性に行き着く。更に書かれている文字は地球の文字ではないし、自分がプレイをしているネトゲに帝国歴や帝都メニエなどは存在しない。
ここで二つの可能性が完全に消える。それは地球かもしれないという可能性とネトゲの可能性だ。
この情報を全て信じるとすれば、あの家族の助けがないと今度こそ自分は死んでしまうと焦りを感じた。
「やはり……リアル異世界なのか……こ、これはやばい」
話は戻るが鏡は田中夫婦のように、この世界に中二的なファンタジーがあったらいいな、という想像をとうの昔に卒業している。
そんな鏡でもこれだけのソースがあれば気がつく。
それはここは異世界で、異国語を喋っているのは自分だということだ。
そう悟ると鏡の身に言いしれぬ不安が過ぎる。身に寒気が走り、生存本能がこう訴えかけてくる。
まともに見える人間になんとか言い繕わないと冗談抜きに命が危ないと。そうここは少しの冗談も通じない異世界であるのだから。
「や、やばいぞこれは……うおおおおおっ――」
この世界で過った道を進めば飢餓や寒さに苛まれ、リアル盗賊、そして野犬に襲われ死あるのみ。勿論お金なぞ今はある訳もない。
言いしれぬ恐怖を感じた鏡は駆け足でクォールの家に戻っていく。そしてドアに駆け寄り激しく何度も叩く。命が掛かっているのに悠長な事はいってはいられない。
「た、助けて……」
静かにドアが開き突然飛び出していった鏡を迎え入れるクォール。
「突然飛び出したり、忙しい奴だ」
「す、すみません……」
ここがリアル異世界だと鏡は悟った瞬間、急に気が小さくなった気がする。
そう考リリーと泣きたくなった。宿に泊まるお金もない。ご飯を食べるお金もない。つい最近ローンを組んだマイカーにも乗れない。お前の携帯良いな、と言われる最新機種のスマホも、つい最近組んだ
i9と大容量M.2と高性能グラボを搭載したPCも。そしてせめて家には安らぎをと十一万で借りているマンションに戻る事も出来ない。
この異世界が帝国歴一二三九年のどこかであるならば、鏡は無一文の浮浪者なのである。それを考えると鏡は泣きたくなってきた。
泣きべそをかいている鏡の顔を覗き込んできたクォールは、一度目を瞑って溜息を漏らすと質問の続きをする。
「生まれは?」
「記憶がありません……」
「記憶がないのか?」
「はい……なんにもありません」
記憶がないことにする方が無難だと鏡は考え口に出す。なまじ記憶があると思われれば身内を探させようとするだろう。記憶喪失設定に納得したのか、彼は何度か大仰に頷くと矢継ぎ早に質問をしてくる。
「うむう……では家は?」
「記憶にありません……」
「それでは職はどうなんだ?」
発明家そして技術者であり開発者でもある鏡。しかし鏡はこの世界で一体なにができるのかもわからない。だから涙を目尻に溜めてから大きく息を吸い込んで言い切る。
「無職だと思います!」
「このたわけ、大声で言うことか。その歳になって情けない、全く家の娘やユーリやリリーでも家の手伝いをしているというのに。全く情けない」
「た、たわけ……そ、そんなあ」
ほんとー、情けないわよねと、あまり鏡に好意的ではない感じのリリーがクォールに倣うように呟いたのが鏡にとっては痛かった。
なまじプライドが残っているニート歴0年0ヶ月0日の鏡にとっては屈辱なので取り繕うように言葉を被せる。
「で、でも、私は」
色々できる人間だと口から出に掛かったが、余計なことは自分の身を危険に晒す可能性があるので口をつぐむ。
「ねー、お父さん」
見ていられなくなったのか、フーラルが指をくるくると回しながらおずおずとした様子で言葉を発した。発色のよいブラウンの瞳には涙さえ浮かんでいる。
「お兄さんは、記憶喪失で挙動不審になっているだけだよ。だから暫く助けてあげない?」
「うむ……確かに言っている事はあまりにもおかしいからな。まあ暫くは助けてやろうかと思っている。その後なにかの定職に就かせて自分の食い扶持は自分で儲けてもらおうかと思っている。それで文句はないか?」
優しい人達だと鏡は心の中が仄かに温かくなる。どこの馬の骨かもわからない自分を助けてくれると言ってくれたのだから。
「うん。お父さん優しくて大好き」
「ご、ごほん」
目に入れても痛くはない娘に、お父さん優しくて大好きと言う言葉は父にとっては胸にくるものがある。
ほんわかとした様子のフーラルは目尻から涙を拭うと、クォールに抱きつく。
「よ、よしなさい、みんなが見ているだろう。むふ」
「見ていてもいいもん、もう一回言うね。お父さん大好き。だから困った時も見放さず助けてあげようね」
父の背中に抱きついていたフーラルはそこで顔を上げると、鏡の瞳を覗き込んで悪戯子ぽい笑みを浮かべる。
(これは更に私を助けてくれたな)
暫く助けてやるから、困った時も助けてやるに格上げをしてくれたことを鏡は察した。
フーラルはクォールから身を離すとくるりと回転して彼の前に行き、指を立てながら提案する。
「私たちの家も、ユーリの家も、そしてリリーの家も空き部屋がないですよね。そうするとお兄さんは宿も借りられないし、かといって教会に寄付をする事もできないので、教会にも泊まりにくいと思うんです。無銭でも助けてくれるかもしれないけど、ここの教会は都市部の教会とは違いますから」
「うむ、だからあのものお……、ごほん家を貸してやろうかと思っている」
鏡から目を背けているクォール。物置と言葉が零れそうになったことを隠す彼に鏡は視線を向ける。
(今さ、物置って言おうとしたよね……)
「まあ鼠も巣くっていないと思うし安全だろう」
今から与えられる家のことを考えると鏡は不安になる。鼠が巣くう家と聞いて現代の日本人が不安に
ならないわけがない。しかしここにきて贅沢を考えることは禁物である。この世界に精通している家人に自分の身の振り方は任せようと鏡は意を決して決める。
暫く時間が経過し、各家と家人と娘達の話し合いで鏡の処遇が決まったようだ。
話が決まり安堵したフーラルは目を伏せやんわりと微笑む。ユーリもそんなフーラルを眺めてほっとした気持ちを抱く。
「暫く面倒は見てやる。家は俺と娘で案内する。それと服だがその様では暫く使えまい。俺の服を貸してやる」
「あ、ありがとうございます」
先ほどから背中が濡れて寒さを感じる鏡。だからこそ服を貸してもらリリー事はありがたかった。ここでクォールは気を利かすようにして次の言葉を放つ。
「飯はどうする? 腹は減っているか?」
「あ、はい、少し減ってます」
「ならもうすぐ夕飯だ。服を着替えて待っていろ。家はその後だ」
「は、はい」
あの後からなにも食べてはいなく、僅かな空腹感を覚えた鏡。しかしこの選択が不幸の始まりになるとは鏡は考えてもいないことになる。
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