ずっと待っていた……

平中なごん

ずっと待っていた……(※一話完結)

 それは京都の西の方にある、とある有名なお寺の前のバス停で佇んでいる時のことだった……。


 観光地としても人気のある寺院であり、大勢の修学旅行生でその日も門前はごった返していたのだが、班ごとに分かれて市内を回っているのか? そんなバスを待つグループの中にわたしはあなたを見つけた。


 あなたを見た瞬間、きっとわたしは眼を皿のように大きく見開いたことだろう……。


 なぜなら、あなたは別れた彼氏に瓜二つだったから。


 別れた……いや、その言い方は正しくない。わたしはフラれた……いいえ、捨てられたのだ。


 はじめのうちは信じられなかった……ずっとわたしはこの人とお付き合いを続け、いつの日にか結婚するのだろう…と、疑うこともなく、ばくぜんとそう信じていた。


 こんな未来が待っているなどということは、露ほども考えていなかったのだ。


 それなのに、別れの時は突然訪れた……。


 いつものようにデートでレストランへ行くと、食事後になんの前触れもなく、彼は唐突に切り出した。


「他に好きな子ができた。別れよう……」


 大事な話ではなく、あたかも取るに足らない日常会話をするかのように、さらっと彼はそう告げたのだ。


 わたしは面食らい、何を言われているのか理解するのにしばらく時間がかかったほどだ。


「なんで!? どうして!? なんでそんなことになるの!?」


 その言葉の意味を理解した後、当然、わたしは激しく食い下がった。


 浮気をしているような素ぶりはまるでなかったし、彼に嫌われるようなことをした憶えも一度もない……いや、今思えばその兆しはどこかあったのかもしれない……彼との恋愛に浮かれ、曇っていたわたしの眼には映らなかっただけなのかもしれない……。


「ねえ、考え直そう? わたしに悪いとこがあればちゃんと、改めるからさあ!」


「いいや。もう君との恋は終わったんだよ。それじゃ、さよならだ」


 けっきょく、いくら懇願しても彼の考えは変わらず、わたしはあっさりとその日を限りに彼との恋愛関係を解消された。


 いや、恋愛関係ばかりでなく、電話もメールもSNSもすべてブロックされ、住んでいたマンションからも知らない内に引越され、わたしと彼との繋がりは完全に絶たれたのである。


 後で人づてに聞いた話によると、わたしがただ気づかなかっただけで、どうやらわたしは二股をかけられていたようだ……。


 ショックだった……彼との恋を失ったことは、もう立ち直れないくらいにショックだった……。


 ふと気がつけば、よく彼とデートした場所をふらふらと彷徨さまよい歩いてるほどに、わたしの精神は千々に乱れ、いつ壊れてもおかしくないくらいにやられていた。


 そんな時だ……あなたをバス停で見かけたのは。


 唖然と立ち尽くした後、恐る恐るあなたの方へとわたしは一歩を踏み出す……だが、そこへちょうど路線バスが到着すると、あなたは友人達とともにさっさと乗り込んでいこうとする。


「あ、あのう……」


 咄嗟にわたしは声をかけたが気づかなかったらしく、あなたはそれを無視すると混み合う乗客達の中へ消えていってしまう。


「ま、待って! ねえ! 待ってったら!」


 今度は大声で、わたしはもう一度声をかけるが無残にも眼の前で昇降口の扉は閉まり、バスはゆっくりと走り出してしまう。


「待って! 行かないで!」


 わたしは慌てて後を追おうとするが、なぜだか脚が思うように動かない……あれよあれよという間にバスは遠ざかり、あなたを乗せたまま小さくなって消えてしまった……。


 それ以来、わたしは毎日、このバス停の前に立つと、いつかまた、あなたが現れるんじゃないかと淡い期待を込めて待っている。


 もちろん、それが極めて望みの薄い、万に一つもないことだろうことは充分わかっているのだけれども……。


 ところが、あれからどれくらい待った後のことだったろうか? 


 わたしは再びこの場所で、眼を皿のように大きく見開くこととなった……。


 最早、奇跡としか……いいえ、これは運命としか思えない……あなたが…あなたがもう一度、わたしの前に姿を現してくれたのだ!


 もうあの頃の男子高生ではなく、すっかり大人の男になって髪型や服装も変わってはいたが、わたしにはすぐにあなただとわかった。


 ただ、あなたのとなりには、三歳ぐらいの女の子の手を引いた、あなたと同年代の綺麗な女性も仲睦まじい様子で立っている。


 そう……おそらくはあなたの奥さんと、その奥さんとの間に授かったあなたの子供だろう。


 あの時は修学旅行で来ていたけれど、今度は親子三人、家族旅行で来たのかもしれない。


 わたしが独り、淡い期待を込めて待っている間に、あなたは結婚して一家を持つようになっていたのね……。


 ……でも、そんなことは関係ない。


 あなたが再びわたしのもとに戻って来てくれた……ずっとこの場所から動けなくなっている、わたしの所へ戻って来てくれたのだ。


 今のわたしにとって、それだけが唯一、意味をなす事実である。


 そうだ……今はあの女の旦那であっても、こっちの世界・・・・・・の住人になれば、もうそんな現世のしがらみを気にすることもない。


 むしろ同じ存在・・・・であるわたしの方が、今の奥さんよりもより近しくなれるに違いない。


 だから、わたしはあなたにも、わたしと同じような運命をたどってもらうことにする……。


 ようやく思い出したのだが、元カレにフラれて彷徨い歩いていたあの日、わたしはふらふらと車道へ出ると、走って来たトラックに轢かれてこの場所で命を絶ったのだ。


 それ以来、わたしは彷徨うことすらできず、この場所にずっと囚われることになってしまった……いわゆる〝地縛霊〟というやつなのだろう。


 だとしたら、あなたにも同じ生涯の閉じ方をさせてあげれば、わたしと一緒にずっとここへ留まることができるはずである。


 何年も何年も待ちに待ったあなたが、今、まさにわたしの目の前にいる……これでようやく、独り淋しく過ごす久遠の牢獄から、わたしはわたしの魂を解き放つことができるのだ!


 いずれにしろ、こんなに近くにいるというのにあなたにはわたしが見えないし、まるで気づいてもいない様子だ。


 やはり、まずはわたしの方を振り向いてもらうようにしなければ……。


 横断歩道の歩行者信号は赤であり、バス停前の車道には間断なく自動車が往き交っている……ちょうどそこへ大きなトラックがやって来たその時、わたしはあなたの背中をドン! と強く押した。


           (ずっと待っていた…… 了)

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