第39話 10年後の現実に戸惑います
「あの、眠っている間に、問題はなかったのですか?私はまだ、婚約者でいいのでしょうか?」
契約の指輪が何故か左の薬指に嵌まっている、ということが想定外すぎて混乱しながらアルバート様を見た。大人になったアルバート様は、はっきり言って色気が半端ない…美しく格好いい立派な王太子殿下だ。これで今まで結婚相手が押し寄せなかったのが不思議なくらいだ。
「ああ、クリスは私の唯一、愛するのは君だけだと言っただろ?勿論婚約者はクリスだけだよ。こんなオジサンでは嫌かな?」
「オジ、さん…?全然オジサンではないです。むしろ、私がまだ15歳の子供のままで、素敵な大人になったアルバート様には相応しくないのでは……」
目覚めたのが10年後なら、今日はアルバート様の27歳の誕生日のはずだ。12歳年上……という現実に、少し不安になった。2歳年上のアルバート様と一緒に成長して支え合う予定だったはずなのに、10年経った今、アルバート様は立派な男性へと急に成長してしまったように感じた。知らない男性のようだ。
「相応しくないなんて、誰も言わない、いや、言わせないよ。君はずっと眠りながらも私の心を支えていたし、私たちを引き裂こうと思う不届き者はもういないよ」
もういない?不穏な言葉にドキリと心臓が跳ねた。アルバート様の大きな手が私の手を優しく包み込んだ。
「そう、だからこれからは……」
アルバート様との距離が近づいた瞬間、バンっと扉が音を立てて開いた。びくりと心臓が跳ねた。
「アル兄様、クリスが起きたらすぐに知らせてと言っていたのに、独り占めはズルいですわ!!」
扉を開けたのは大人になったキャサリン様だ。昔から美少女だったが、今は美しい大人の女性になっていた。突撃するところは相変わらずで、少しホッとした。
「そうです、殿下。僕たちもこの時を心待ちにしておりましたよ。独り占めは駄目です」
「アレン兄様?ミランダ姉様?お父様、お母様…」
記憶より大人になったお兄様お姉様、そして年を取った両親…10年という年月が、私をさらに不安にさせた。家族なのに、私が知らない間に成長し、年を重ねた現実が…どこか知らない世界に迷い込んだような孤独を感じさせ、自然と涙が込み上げた。
「クリス…?」
「すみません、会えたことが嬉しくて、なのに悲しくて、ごめんなさい…」
「クリスティーヌ、私の可愛い娘、目覚めてすぐだから混乱しても仕方ないよ。私たちは10年かけて現実を少しずつ受け入れたけれど、クリスティーヌは事件自体が昨日起こったことなのだろう。ゆっくり無理をせず、私たちのことを受け入れてくれたら嬉しいのだが」
「お父様…」
「クリスティーヌ、私たちはあなたの家族ですよ。歳をとっても、それは変わらないわ」
「お母様…」
お母様が私を優しく抱きしめ、ミランダ姉様は私の手を握った。アレン兄様は微笑んでくれた。
「はい、ありがとうございます」
目覚めたばかりだということで、家族は気を使ってその後すぐに帰っていった。手元には家族に渡された日記がある。家族が10年間書き溜めたものだそうだ。私の知らない家族の成長記録、私はゆっくりそれを読んだ。
それは毎日の何気ないことで綴られていた。家族に起こった出来事、婚約、結婚、出産や、怪我、病気など家族の日常だった。読んでいると、その場に私がいるような気がして心が少し軽くなった。
ミランダ姉様は20歳の時に、学園時代から親交のあったロイズ侯爵家のマイト様と結婚して、今は5歳のカイル君と、下に3歳のマリーヌちゃんがいるそうだ。是非、会ってみたい。私も伯母様になったということだ。
アレン兄様は、なんとキャサリン様と結婚していた。隣国へお嫁に行けば、目覚めた私と会うことは難しくなる、断固国に残ると言い張ったキャサリン様に、アレン兄様が巻き込まれたと書いてあった。今では仲睦まじい夫婦で、子供も男の子が2人いて、子育てを頑張っている最中だそうだ。
ちなみに隣国へはキャサリン様の従姉妹のベアトリス様が嫁いだそうだ。光魔法の授業で一緒になった、ディール公爵令嬢だ。折角友人になったのに、途中で私が突然留学し、その後呪いで眠ってしまったため、それほど友情を深めることは出来ず残念だ。
お父様は、5年前に腰を痛めたのを機会に王宮議会の議長を引退し、今は領地でお母様と趣味のワイン造りをしているそうだ。上質なワインは新たな領地の収入になっているそうで、スコット侯爵家の財源はこれからも安泰だと思われた。王都にはお兄様夫婦が住んでいて、お兄様はアルバート様の側近として執務室で補佐をしているそうだ。
ぽっかりと心に空いていた穴が塞がるような感覚で、私は夢中になって日記を読んでいた。空が茜色に染まる頃、部屋の扉がノックされる音で日記から視線を外した。10年分の思い出を旅行した気分だった。
「クリス、入っていいかい?」
遠慮気味にアルバート様が扉の外から声をかけてきた。私はどうぞと返事をした。執務があるからと言って、お兄様といっしょに出ていってから、ずいぶん時間が経ったようだ。
「少し落ち着いたかな?前より顔色は良いようだけど、侍女のベスから食欲がないと聞いていたから…」
「ごめんなさい、まだあまり空腹を感じなくて、食欲がわかないんです…」
「そうか、これなら食べられるだろうか?」
アルバート様は籠に入った赤い果物を差し出した。
「これ、イチゴですか?」
この国では、イチゴはまだ生産されていないらしく、流通もされていなかったはずだ。10年で生産されるようになったのだろうか?イチゴは前世で美咲が大好きだった果物だ。こちらの世界にないのが残念だったのだが…今世でも食べられるのは嬉しい。
「よく知っているね。隣国の大使がお見舞いにともってきてくれたものだ。まだ希少ではあるが、うちでも生産する領地が出てきた新しい果物だよ」
私はアルバート様から籠を受け取って、イチゴを一口かじった。口の中に甘酸っぱい果汁が広がる。
「ん~美味しいです。これ、好きです」
「そうか、好きか、では我が国でも安定して輸入できるよう、隣国と交渉しておく」
「え、そんな…」
私が好きだと言っただけで、隣国から輸入するなんて、どれだけ甘いんですか…どうしよう、何を言ってもアルバート様が叶えようとする未来しか想像できない。
「これで、少し食欲が出てくれたら安心なのだが、他に何か困ったことや必要なものはあるかい?」
「あの、家にはいつ帰れますか?」
日記を読んで、家を恋しく思っていた私は、何も考えずについ何気なくそう言ってしまった。
「家に帰りたいのか?ここではなく、家に……」
アルバート様の声が冷たく低くなった気がした。室温も急激に下がった気がする。
「え、っと、あの?」
「駄目だよ、私はずっとあの時クリスと離れたことを後悔し続けてきたんだ。二度と私の元を離れることは許さない。例え生家でもだよ。君はここで生活するんだ、わかったね。では、執務に戻るから、クリスはここで大人しくしているんだよ」
アルバート様の頭上には【誠実、腹黒、ヤンデレ×2、冷酷、溺愛】の文字が浮かんで見えた。ヤンデレかける2って何??ヤンデレが2倍に増えたってこと⁈
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