この球場には魔物がいる

船越麻央

甲子園の魔物

 彼女は翠玉色の瞳から流れた涙を拭きとった。



 打球が高々とレフトに上がった。


「打ったあ! 大きいぃ、入ればサヨナラだあ、レフトバック! レフトバック! なおバック……」


 甲子園特有の浜風である。右から左、すなわちライト側からレフト側へ吹く風。


 その風に乗って打球はスタンドへ……入る……はず……誰もがそう思った。ところがその瞬間なぜか風向きが変わった。レフト側からライト方向へ強風が吹いたのだ。

 打球は突然の逆風に押し戻された。フェンス際、追いついたレフトのミットに収まり試合終了……甲子園球場は騒然となった。


 夏の全国高校野球選手権大会。


 甲子園で信じられないことが起こった。優勝候補筆頭の関西桐明高校が一回戦で敗退したのだ。一点リードされた九回裏ツーアウト満塁、好機に四番打者がレフトフライに倒れゲームセット、まさかの敗戦であった。あの関西桐明高校が初戦で姿を消してしまった。


「この球場には魔物がいるのかー!」実況アナウンサーが思わず絶叫した……。



 俺は約束していた。

 甲子園で必ず勝つ。勝って校旗を掲揚し校歌を流して見せる。

 そのためにはこの試合負けられなかった。

 相手が優勝候補だろうが何だろうがだ。

 しかしよりによって一回戦の相手が関西桐明高校とは。

 プロ注目の選手が何人もいる強豪である。

 今大会も評価が高く、深紅の大優勝旗を手にする大本命と言われていた。

 地元ということもあり応援もスゴイ。吹奏楽部も全国レベルである。


 だが俺たちは全力でぶつかるだけだ。失うものは何もない。

 そもそも甲子園に出られただけでも奇跡に近い。

 地区予選では何度も絶体絶命のピンチをしのいで、

 気が付いたら価値ある甲子園行きのキップを手にしていた。

 もちろん初出場である。


 背番号1を背負う俺はあるクラスメイトと約束していた。

 翠玉色の瞳を持つ彼女は、ヨーロッパの某国から、

 戦火に追われて日本に避難して来ていた。

 隣国の某大国からのいわれなき侵略を受けている祖国。

 ミサイルや無人機の攻撃から逃れるため、

 ツテを頼って母親と共に遠い日本にやって来たのだ。

 そして今俺たちの高校に通っている。

 平和で豊かなこの国で精一杯生きている。


 俺たちは英語しか話せない彼女と懸命にコミュニケーションをとった。

 そして、俺は甲子園出場が決まった後、彼女に提案した。


「スタンドで応援してください。必ずや勝利をプレゼントします」


 彼女は「ありがとう、スタンドで祈っています」と答えてくれた。


 そして今日試合が始まった。相手にとって不足はない。

 相手はエースピッチャーを温存して、先発は一年生だった。

 「なめられた」俺たちは燃えた。

 序盤で先発ピッチャーを攻略し、マウンドから引きずり降ろした。

 最後にはエースをも引っ張り出させた。


 しかしさすがは関西桐明高校、俺も打たれた。

 投げても投げても打たれる。

 しかし監督は動かない。一言「お前エースだろ」。


 乱打戦になった。逆転また逆転のシーソーゲームとなった。

 こんな試合展開誰も予想していなかっただろう。

 九回表を終わって8対7、俺たちの一点リード。


 俺は最終回のマウンドに上がった。

 スタンドで祈ってくれているだろう、翠玉色の瞳を持つ彼女。

 この炎天下応援してくれているはずだ。


 俺は最後の力を振り絞って腕を振った。

 しかしなかなかストライクが入らない。

 苦し紛れに投げたストレートははじき返された。


 気が付くとツーアウト満塁になっていた。

 しかも次のバッターは四番、今大会屈指のスラッガーである。

 ベンチからは「ランナーにかまうな、バッターに専念しろ」との指示。


 あと一人、あと一人で試合が終わる。

 スタンドに価値ある勝利を届けられる。

 彼女との約束が果たせる。



「さあ、関西桐明高校、逆転サヨナラのチャンスです! そしてバッターは四番です!」


 アナウンサーの実況にも力が入る。


「カウント、スリーツーとなりました! 次の一球です、ピッチャー振りかぶって投げたあ!」



 彼女は翠玉色の瞳から流れた涙を拭きとった。





 

 




 

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この球場には魔物がいる 船越麻央 @funakoshimao

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