第9話

 以前のアパートの部屋の前、クロさんは特に戸惑う事も無くドアを開けた。私は喋らないようにすぐ後ろにいることを言われた。

 ドアを開けて、中に入る。クロさんは押入れを開けて、二つ道具を取った。組み立て式の斧とよくわからない小さな箱である。クロさんは小さな箱を一度開け、少しだけ見つめてまた箱を閉じ、コートのポケットに仕舞った。

 その後、クロさんはジッと玄関の方を見ていた。

「壁に背をつけるな。窓にも近付くな」

 玄関の方を眺めたまま、クロさんは斧を組み立てた後に腰に装備し、私にそう指示した。

「当たりだ。この家に入った時点でセキュリティが作動し、相手に連絡がいく小細工を仕掛けられていた。それ以外は特に無い。迎え討つぞ」

 外れってなんだったんだろう。そもそも罠があって当たりっておかしいよね。ジェスチャーで何とか伝わらないかクロさんにやってみた。伝えたい内容をボディランゲージで何とかしようとすると、私自身も何が聞きたかったのかわけがわからなくなってきてもう変な小躍りみたいになった。

 クロさんはこちらをチラリと見ると、少しの間見つめ続けて、普通にまた玄関に視線を戻した。すごく恥ずかしくなった。

「…ドアを開けた瞬間、吹き飛ぶ程の爆薬を仕込まれていたら外れだ。他の住人に危害が加えられ、無駄に敵を増やすリスクがあるから相手がする事はないと思ったが、可能性は捨てきれなかった。他にも外れはかなりある」

 そんな事考えていたのに躊躇なくドアを開けたんですか。やる時はやるとかのレベルじゃないですよクロさん。あと、私の奇妙なダンスで内容がわかったのはもう、何とかしようと思ったら大体何とか出来るとか言うレベルじゃないですよクロさん。

「このまま部屋の中にいても相手に有利だ。外に出る。アパートの周辺にはおれの仕掛けも多くある。とにかく必死に、おれを追え」

 私は大きく頷いた。

「よし、ドアを開けたらすぐ目を閉じて耳を塞げ。炸裂音が響いたら目を開けろ」

 それを告げるとクロさんはすぐ玄関に近付き、ドアを開け…るどころか蹴破った。そのままコートの中から小さな缶のような物を取り出す。私は先程言われた事を実行した。目を閉じていても瞼の裏の闇が白く変わる。同時に身体に響く衝撃と塞いだ耳を突き抜ける音。目を開ける前に腕を強く引っ張られた。すぐに目を開けると、クロさんが私の腕を引っ張って走り出したところだった。

 クロさんが手を離す。もつれそうになりながらもクロさんを追った。アパートの近くの路地に入り込むと、クロさんは先程アパートの中から持ってきた小さな箱を開いた。中には機械のような物が見えた。それをジッと見つめているかと思うと、突然走り出した。とにかく必死についていく。幾つもの路地を曲がる。ストップ&ゴーに加えて、急転換の連続。結構きつい。運動だってそれなり、オマケに傷だらけの体だけど、命がかかっていると思うと人間意外と無理も出来ると実感した。

 またも突然、クロさんが立ち止まったかと思うと、今度は塀を登りだした。

 そ、それは無理ですクロさん。

 クロさんは塀の上を、機械を見ながら器用に走る。塀の上には行けないものの、下からとにかくクロさんを追った。

「そのまま真っ直ぐ進んで角を二回、右に曲がれ」

 クロさんはそう言うと、塀の向こう側に降りてしまった。クロさんが遠ざかっていく、気がする。音が全然しないので確信は持てないけれど。

 不安に思いながらも、言う通りにとにかく走った。今はたった一人。こうなると、傷の痛みなんて全く感じなかった。

 一度目の角を曲がると、少し遠くで怒号が聞こえた。二度目の角を曲がると、少し遠くにクロさんと蹲っている黒い影が見えた。

「早かったな」

 クロさんが持つ右手の斧に、先程までは無かった赤い液体が滴っていた。



 蹲っていた黒い影は、20歳位の男性だった。男性は足と肩から血を流して呻いていた。クロさんは、男性の両手首を背中側に回し、結束バンドで輪っかを二つ作って手錠のように縛った。男性は特に抵抗もせず、憎らしげにクロさんを睨むだけだった。その後、アパートまでクロさんが乱暴に引き摺るようにして男性を連れて行った。私がクロさんの後ろを歩くと、無理矢理引き摺られている男性とたまに目が合う。男性は、クロさんに対しては睨みを効かせるのに、私に対しては、ニタニタと笑って舐めるように全身を見られた。

 アパートの部屋に着くと、一番奥まで男性を放り投げ

「シャワーを頭から浴びてろ。耳を塞いで、好きな歌でも口ずさんでおけ。何が聞こえても意識を向けるな。おれが扉を開けるまで出てくるな」

と私の方を向かずに、私に言った。

 私は言う通りにして、お風呂場に向かった。

 シャワーを浴び始めて少し経つと、部屋の方からゲタゲタと狂った笑い声が聞こえてきた。耳を塞いで、昔聴いていた曲を歌って笑い声を聞こえないようにしようとしたけど、無理だった。

 早く来て、クロさん。

 そう思いながらとにかく音を遮断しようとした。



「あの女の子に拷問してる姿を見せるのはしのびないってか?かっこいいねぇ」

 肩と右足の爪先に強烈な痛みを感じつつ、男は悪態をついた。肩は裂け、左足の爪先は欠損している。床や壁には既に血が張り付いていた。同時に、鉄のにおいが部屋を満たす。嗅ぎ慣れたにおいに、真っ黒な男はもはや何の反応もない。

 それよりも、反応したのは相手の言葉。

「『あの』女の子、か」

「小柄だし、髪も肩口まである。そんで華奢だ。狐面に、胸を隠すような装備させたって女だってわかるだろ」

「そうじゃない。お前の言い方には別の含みがあるようだ。最初からあいつのことを知っているかのように。お前の狙いは、おれではなくあいつか」

「どうかなぁ?」

 グチャッ。

 真っ黒な男は、いつものように顔面を殴りつけた。

「ギャハハ!お前本当に尋問する時はとにかく殴りつけるんだな!全然合理的じゃねぇ!」

 殴られて、男は笑った。それは狂っていることに他ならない。斧で切りつけた時に蹲る反応を示した。痛覚は間違いなく存在する。

 痛みを与えることに慣れ、痛みを与えられることにも慣れている。

 真っ黒な男は理解した。

 こいつは、正真正銘のクズの一人だ。

「お前の狙いは、おれではなくあいつか」

「言わねぇよ。同業者ならわかるだろ」

 グチャッ。

 再度殴りつける。だが、男の顔は下卑た笑顔のままだった。

「あーあ、口ん中血だらけだわ。結構息しずらいね」

「殺すぞ」

「わかってるわ馬鹿が。どうせ捕まった時点で確定だろ。お前がちょっとでも困るようにしてあげようって思ってあげてんだよ」

 真っ黒な男は舌打ちをしてもう一度殴りつけた。何度殴られても男は愉快そうに笑っていた。

 既に生きることに諦めをつけている。この男が今思っていることは、目の前で長々と喋ったりするのとかどうでもいいからさっさと終わらねーかな、そんなところなのだろう。

「お前尋問の仕方知らねーのぉ?」

「…確かに、顔面を殴れば恐怖心を煽る事は出来ても、意識を飛ばしたり誤って殺してしまうリスクがある。自身の拳や手首を痛める恐れもある。指を折れば、強烈な持続する痛みに加え、死ぬ事もないし何度でも行える。爪を剥がす事も同様、死なない程度に切り傷をつけるのも同様、他にも手段は山程ある」

「知ってて何でしねぇんだよ」

 グチャッ。

「そんなチマチマとした方法で抑えられている程度の怒りなら、おれはこんな掃き溜めにいない」

「ギャハハ!お前マジで狂ってるな!痛めつけるとかそんな次元じゃねぇんだ!感情の暴走だ!それだけでここまで強くなって、知識つけて、感情に任せて死ぬまでそいつを殴って、それでも収まらない黒い感情でまた殺すやつを探す!誰かの為とか、女を守るとかそんなクソみたいな優しさねぇじゃん!捌け口を求めるだけの極悪人じゃん!全部自分の為かよ!やべぇなお前!」

 何気なくした質問。それに対しての真っ黒な男の返答。何が琴線に触れたのか、男はここで一番の笑みを見せた。

 否定が出来ない事実。

 グチャッ。

「そうだ。おれは、ヒーローではない」

 否定は出来ないが、腹は立つ。自分の感情が暴走し始めるのを、真っ黒な男は感じていた。

「ギャアハハ!最悪だお前!タチ悪りぃ!楽しいからとか、復讐のためとか金のためとか理由無いとダメでしょ人間!もうお前自身何がお前を動かしてるかわかんなくなってきてるだろ!?狂ってるね、哀れだねぇ!」

 グチャッ。

「依頼人は誰だ」

 暴走しつつも、やるべきことはやらねばならない。

 頭の片隅が、聞くべきことについて、何とか喉に信号を送る。

 その様子を見ながら、相手の男はニタニタと笑った。

「もう、いくつも推測は出てんだろ?その黒い感情で頑張れやぁ」

 真っ黒な男は、何度も同じ質問を繰り返しながら何度も殴りつけた。殴りつけられる度に男は狂ったように笑っていた。愉快そうに笑う男を見て、真っ黒な男はさらに拳に力を込めていた。

 そろそろ事切れるだろう時、真っ黒な男はやっと質問を変えた。

「お前の、今までやってきた事についてどう思う」

 それに対する回答はとても早かった。当然のことだから、考えるまでもないというように。

「楽しかったよ。身体でも心でも他人を弄ぶのは楽しい。自分の意思で間違いを犯したやつが、心の底から反省することなんてない。すぐか数十年後か、差はあれど必ずほくそ笑んでるか笑い話にしてるだろうぜ。お前の望む答えだろ?反省してますなんていらねぇもんな」

 その言葉を聞いて、真っ黒な男の革手袋からギチと音が鳴った。手袋が無ければ、その手のひらに爪が食い込んでいただろう。革手袋に染み込んだ血が、床にポタリと落ちた。

 相手はそれを見て、満足そうに微笑んだ。

 真っ黒な男は、今までで一番の力を込めて、その拳を振るった。

「ああ、そうだ。その通りだ」

 もう笑わなくなった塊を見下ろして、受け取り手のいない返答をこぼした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る