第8話

 クロさんについていくと、小綺麗で小さな倉庫に着いた。中には一応の生活出来る設備が整っている。私がドクターのところにいる間、クロさんは何をしていたんだろう。ここは安全かどうかなどを調べていたのだろうか。聞いてみようかな。

「何だ」

 迷っていると、クロさんから声をかけてくれた。そんなにわかりやすかったりするのかな。とりあえず、すみません。

「ここを調べてくれてたんですか。ありがとうございます」

「…それもある。それから、今日依頼したものについてこちらに連絡するように伝えに行った。他にも諸々の確認だ」

 クロさんはそう答えてくれた。

「お前の情報はほんの一部のやつらしか知らん。お前の素顔をカメラに納めさせたわけでもない。お前の声を聞かせたわけでもないはずだ。ただ単にタイミングが合って、おれを狙ったものの可能性もあるが、しかし、狙いがおれとも限らない」

 クロさんを狙った可能性、私を利用してクロさんを狙う可能性、そもそも私が狙われている可能性、何なら私達が狙いですら無く、あのボロアパート自体に狙いをつけていた可能性…考え出すとキリがない幾つもの可能性をクロさんは考えている。

「クロさんは、すごいですね…」

「…いや。これは、誰にでも出来ることだ。考えうる全ての可能性を視野に入れ、その一つ一つに向き合うだけだ。面倒ではあるが、特別な事じゃない。お前にも出来る」

 クロさんはそう言うと、ベッドにタオルケットを置いた。

「今日はもう休め。風呂は明日の朝にでも入れ。明日は今日より動くことになるかもしれん。休める内に休んでおけ」

 クロさんはそう言うと、倉庫の中にあるソファーに座った。

「クロさんは入らないんですか?」

「おれはこのままでいる」

 そう言うと、腕組みをしたまま下を向いてしまった。目を瞑ったのかもしれない。この姿だと、寝息の音すら出さないのだろうか。

「わかりました…。おやすみなさい」

 私もベッドに寝転がり、目を閉じた。先程寝たばかりだし、今夜はまだ眠るのに時間がかかりそうだった。



 なかなか寝付きが悪くて何度も目を覚ました。色んな寝相を試そうとするけど、それはそれで傷を刺激して、目がまた覚めたり。出来る限り音を立てないように、気を付ける。明け方頃、寝返りを打った時に、クロさんが少し息を吐いて立ち上がったのが見えた。眠ろうとし始めてから二時間も経っていない。

「眠れないか」

 クロさんが音も無く歩き、水を取ってきてくれる。冷たい水が体を満たす。思ったよりも喉が渇いていたようだ。傷の火照りも少し治った。

「はい…」

「既に休んだからな。だが、目を瞑るだけでも十分効果はある。昼夜逆転するのも良くは無い。…もう少しの辛抱だ」

 クロさんは、私を孤児院に出来る限り安全に、そして迅速に戻そうと考えてくれている。クロさんの活動に都合の良い時間は夜なのだろう。だから夜に活動することが多くなる。でも、私の事を考えるとある程度遅くなっても夜に眠らせてあげたい。だからこういうちょっと難しいスケジュールになる、というところだろうか。

「あの、私も何か役に立てないでしょうか」

 与えられてばかりで、少しでも恩返しがしたいと思うのは当然だと思う。そんな気持ちから出た言葉だったが、クロさんからは一蹴されてしまった。

「傷を治せ」

 …そういうことではなくてですね。とは言っても、確かに今の質問はクロさんを困らせるだけか。

 クロさんの仕事を手伝おうと思っても、私には戦闘技術も経験も無い。そんなものとは無縁の人生だった。今から手に入れようと思っても長い時間がかかる。他にも、罠や何かの知識だって無い。そもそも、クロさんが単独行動した時の内容について聞いてみたら、諸々の確認とはぐらかされたのだ。私に、裏の世界の事は知られたくないということだろう。だったら他のところで役に立つしか無い、と考えるのが普通だけれども…。

 掃除は…する必要ないくらい物が無い。基本清潔に保たれている。ほこりとかだってあるわけでもないし。

「り、料理とか…。焼き鳥やサバばかりじゃ体を壊しちゃいますよ」

「果物の缶詰もある。最低限の用心だ。未開封で細工が難しいもの、あるいは細工されてもすぐ気付けるものが好ましい」

 食べ物は缶詰のみ、ペットボトルだって未開封で、どれも一度開けたら使い切る、そうなってくると、調理などもクロさんの主義的には難しいのかも。

 そこからはとりあえず朝ご飯を食べた。マンゴーやパイナップルの缶詰だった。そして、クロさんも私も順番にシャワーを浴びた。クロさんは相変わらず真っ黒のままだった。私の傷の処置が終わると、クロさんと倉庫の外に出た。そして、クロさんは短く唸った。

「どうかされたんですか?」

「…連絡だ」

 私は、疑問符を浮かべた。クロさんの手には何も持っていない。別に倉庫にも何も貼られたり届けられたりしていない。周りにもおかしなところはない。

 教えてくれないかな…?

 ちらちらと見ているとクロさんが答えてくれた。

「…地面に、足で軽く抉った部分が二つある。その中に黒く焼けた石ころが一つ入っている。一応の連絡だ」

 言われて見てみてもすごくわかりにくかった。つま先を少し引っ掛けたくらいにしか地面は凹んでいないし、その中に確かに黒い石が一つあるけれど、他にも小さな石ころだってあるし。鼻を鳴らしてにおいを嗅いでも、ここまで香るほどの焼けたにおいは感じられない。

「見間違いであったりはしないんですか?」

「大概は合っている。あの石は少し、特徴的でな。他にも連絡方法は幾つもある。間違っていても困る事は少ない。おれは、バーで会った男からしか依頼は基本受けない。そして詳細は必ずあのバーで行う。あのバーは、特殊な場所だ。あのバーでは、一切の戦闘行為が禁じられている。そういう契約がされている。以前言った通り、契約は絶対だ。だから、間違ってバーに行ったとしても罠にかけられる事は、そう無い。…安全では無いがな」

「戦闘が禁じられているのに、安全では無いんですか?」

「入り浸る事は出来ん。あの男が常にバーに居れるのは、やつがオーナーだからだ。ヤツの店だからな。金を落とさないやつや、邪魔にしかならんやつは出される。安全では無いというのは、戦闘以外でもあらゆる手を使えるからだ。睡眠薬を使って誘拐される、などな。他にも、バーに行く前、行った後に奇襲を受ける可能性もある。とにかく、戦闘以外でも危険に巻き込まれる可能性があるのならばお前一人をあそこには置いておけない。そして、おれはあそこに長くは居れない」

「何でですか?」

「危険人物、だそうだ」

 そうなんだ…。クロさん、問題とか起こしちゃうタイプに見られているわけだ。

「とにかく、もう一度バーに行く。孤児院のことか、おれの家を狙ったやつのことかはわからんが、確認しに行くぞ。夕刻から動く」

「私は、ドクターのところで待ってなくてもいいんですか?」

「おれに付いて行けと言うだろうな。昨日のは、緊急であったことによる依頼、という名目を使えたからだ。今回はバーに行くだけだし、自分で守れと言ってくるだろう」

「じゃあ…その…すみません」

「ああ」

 クロさんと私は一緒に倉庫の中に戻っていった。



 夕刻を過ぎて夜に差し掛かる頃、バーに着き、昨日のように奥まで歩く。相変わらずのアルコールと煙草のにおい。相変わらず、でも、ここには安心感が無い。むしろ背筋が寒くなる。多分、空調のせいでは無いだろう。

「おう、来たか」

 同じように恰幅の良い男性、クロさんが言うには、この店の『オーナー』がいた。ソファに座りながら片手を上げる。この人からも、感じるのは寒気だ。顔に浮かぶ笑顔は柔らかく見えて、その背にはどこか、重い、多い、人の命を感じる。

 私のそんな警戒を知ってか知らずか、オーナーは気にする事もなく喋り始めた。

「依頼人はまだわからないが、依頼を受けたやつはわかった。お前が持って来た盗聴器から割り出せたよ。お前が嫌ってて、お前を嫌ってるやつさ。殺し、誘拐、薬や人身の売買の護衛…その際に手段は選ばない卑劣漢。こうなると、嬢ちゃんが狙いかお前が狙いか判然としない」

「どいつのことかわからんな」

「まぁ、そうか。お前はそういうやつだよ。とりあえず、そいつは今お前らを狙って拠点もハッキリしない。殺す為なのか何なのかも知らない。孤児院の方はまだ手付かずだな。こっちを優先して探ったからよ。どうする?このまま深く探るか、孤児院の方に色々根回ししとくか」

「…先に狙っているやつを叩く。探っておいてくれ。その間もおれの方で手は打つ。孤児院は後だ」

「そうよな。狙いがお前で無かった場合は嬢ちゃんが危ない。孤児院という迎え先がバレると嬢ちゃん以外にも被害が出る可能性がある。優先して叩いておいて、嬢ちゃんが狙いじゃないとわかった時点で孤児院の話は進めるべきだ。どちらにしろ、お前が嬢ちゃんを守り、存在を隠しながら達成しなければいけないけどな」

「やるだけやる」

「よしきた」

 オーナーはそう言うと、一枚の紙を取り出した。クロさんはそれを受け取り、しばらく眺めていると突然自分のポケットからライターを取り出して紙を燃やした。

 オーナーはそれを当たり前のように眺めていた。

 燃える紙を灰皿の中に置き、クロさんは立ち上がると、私に向かって、帰るぞと言った。私も立ち上がって、オーナーに頭を下げると、オーナーは片手を上げて答えた。私はすぐにクロさんを追った。



「どうして紙を焼いたんですか?」

 倉庫に戻ってすぐ、私はクロさんに質問した。窮屈な狐面やアンダースーツは脱がずにそのままでいるようクロさんに言われた。クロさんも変わらず真っ黒なままだ。

「…情報が形として残るのは良くないからだ。少なくとも、おれの手元に残らず、後はおれが喋らなければ、おれから情報が漏れることはない」

「徹底してるんですね…。でも、すごく難しそうです」

「重要なことだけ覚えておけば良い。キーになる言葉や、関連付けなど、思い出す方法や記憶を固定する方法は幾らでもある」

 クロさんは簡単そうに言っていた。誰にでも出来ることなのかもしれないけれど、とても難しいことだと思う。私は学校の試験とかでも上手く出来なかった。範囲は決まっているけれど、それでもなかなか覚えられないのだ。これも、クロさんの努力の賜物の一つなのだろうか。

「それで、一体どうするんでしょうか…?」

「狙ってくるやつは割れた。後はもう、狙ってきたところを返り討ちにするしかない。尾行や監視には気にかけていたが、感じられなかった。待ちに徹しているのかわからないが、次にどう動いてくるのか、面倒だ」

 クロさんはそう言いながら何かの道具を小さな手提げバッグに入れていく。

「だから、動いてもらうとしよう」

 クロさんはそう言ってすぐに倉庫を出た。

「体は大丈夫か」

「大丈夫です」

「そうか」

 夜明けまではまだまだ長い。クロさんは、今日仕掛けるつもりのようだ。

「どこに行くんですか?」

「以前のアパートだ」

「…必要な物があるんですか?」

「特にない。確かにあそこにはまだ持って来ていない服や道具が多くある。だが、普段なら取りには行かない。盗られても構わない物しか置いていない。あのまま捨てる。戻る可能性を考えて、罠が仕掛けられているかもしれないからだ。というか、十中八九仕掛けられている。今回は、逆にそれを利用する」

「それ、大丈夫ですか…?」

「罠による」

 クロさん、その返答はすごく怖いです。

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