第6話

 夕暮れ時、クロさんが着替え始め、真っ黒な姿になった。こうなるともうクロさんは音を立てなくなるし、気配も非常に薄くなる。

 集中して、クロさんを捉え続けるよう努力する。

「出掛けるぞ」

 クロさんに連れ立って、アパートを出る。

 細い路地を幾つも曲がる。相変わらず、道を覚える事が出来ない。昼間は暖かかったが、太陽が沈み始めると気温が大きく変わる。特に腐った街では、背筋が凍るような、独特の冷たさを感じられるのだ。

 それなりに歩くと、なんだか物々しいお店に着いた。

 今の時代に、ブラウン管テレビとか色んな物品が置いてある。さらに古そうな、どの時代の物なんだと聞きたくなるような、古びたどころの表現ではすまない掛け軸とかもあるし、かと思えば未来から送られてきたのかと思える小型の何か凄そうな映像機器もあった。

 そんな店の奥に進んでいくと、わざわざ煙管で煙を吹いているご老人がレジカウンターに座っていた。

「おんやぁ、買い物かい」

 ご老人はニタァと笑いながら、クロさんに話しかけた。そして目を滑らし、私の方を見た。見たら、目を飛び出しそうにかっぴろげながら舌を波打ちしてギャグみたいな驚き方をし出した。

 そんな驚き方をされたらこっちの心臓も跳ね上がる。

 お爺さんはめちゃくちゃ大きな声で叫んだ。

「お前さん!女が出来たか!!!」

「違う」

 クロさんはバッサリと否定した。

 談笑に付き合うつもりは無いようで、クロさんは話を続ける。

「直近の依頼で助けたやつだ。事情があって連れている。表に返すつもりだが、話をつける間に死なれても敵わん。防弾ベストと防弾ヘルメットをくれ」

 クロさんは淡々とそう言った。

 それに対して、思案顔をしながらご老人は私の身体を舐めるように見る。頭の天辺から爪先まで。

 この、全てを見透かしてなおかつ測られているような感覚は何だろう。サイズとかを目測で決めているのだろうか。何かゾワゾワする。

「金は…お前さんに言うだけ野暮だな。使わんから貯まる一方か。しかし、嬢ちゃんなら防弾の装備をやっても、恐らく衝撃で死ぬぞや」

 ご老人はそう言いながら煙をぷかぷか浮かせた。輪っかを作る為に口を窄めたり大きく開けたりしている、と思ってたらドクロになった。どゆこと?すごくない?作り方を聞きたいけれど、喋らないように言われてるから聞けない。歯痒い。

「ふむ…」

「まぁ、無いよりかは確かにマシだがな。重装備と軽装備があるがどうするんじゃ」

「任せる」

「軽装備のが良いな。まともに動けなさそうじゃ。死ぬ可能性も上がるが、重すぎて逃げられず、格好の的になるよりかは良い。ちょっと待っとれ」

 そう言うと、ご老人はさらに店の奥に入って行った。

 待つ事しばし。

 ご老人は、薄いアンダースーツ、手袋、胸当てに、何故か狐のお面を持ってきた。

「アンダースーツと手袋は防弾、伸縮性もそれなりで動きやすい。胸当ては耐久性が優れている割にはかなり軽い優れ物じゃ。どっちにもある白いラインのデザインがお洒落じゃろ。そしてこの狐のお面。防弾加工しとるのに可愛いんじゃ。年頃の娘子じゃからな。お洒落せんと」

「ヘルメットで良い。後頭部が守れん」

「まぁ見とれ。お面じゃが、後頭部も側頭部も守れるように面部分以外でも薄い装甲が付け替えられる。勿論、防弾じゃ。簡単にお面を上にずらす事も可能。ええじゃろ」

「いらん。常にヘルメットで手堅く全方位守らせる」

「任せる言うたじゃろ…。ほれ嬢ちゃん。ちょっと被ってみい」

 クロさんとご老人が話しているところ、所在無さげに見ていると、ご老人に突然お面を渡された。言う通りに被る。

 何だかお香の良い匂いが染みてる気がする。

 視界の端で、クロさんがこちらを止めるように手を少し上げた気がした。

「おっ、被りおったな。うちは試着無し。クーリングオフも無しじゃぞう、黒いの」

 ご老人は、愉快そうに煙を吹いた。

 今度は¥マークだ。器用どころじゃない。

「…いくらだ」

 クロさんは深いため息を吐いた。

 私がご老人にしてやられ、結果としてクロさんがいっぱい食わされた形になってしまった。



 お店で着替えさせてもらうと、クロさんは私を見て一言「狐だな」と言った。

 似合ってる、という意味だろうか。いや、どうなんだろうか。何も言えない。何その感想。

 クロさんが次に歩いて行ったのは、装備を買った店から割とすぐ近くの地下にあるバーだった。その奥に進んでいく。何だかものすごく見られている気がする。これは、私が狐娘になってしまったからだろうか。それとも、クロさんに私がついて歩いているからだろうか。

 奥まで来ると、人は殆どいなかった。ただ一人、恰幅の良い中年の男性が座っている。

「依頼は終わったみたいだな…おぉ!?」

 男性は私を見るなり驚いた声を上げた。やっぱり、クロさんが女の子を…いや、誰かを連れて歩いているというのはすっごい衝撃のようだ。

「ああ」

 驚いた事に関しては無反応で、クロさんは短い返事をした。

「い、いや…ああっていうかお前…女、か?どうした?」

「その事で話がある」

 クロさんは、今回の依頼について報告をし始めた。私はとりあえずクロさんの横にちょこんと座っていた。お酒も飲めないし、そもそも狐のお面は外すなと言われている。何ならここでも声を出すなと言われている。

「成程ね。標的の家にいた、捕まってた子か。流石に最近になって捕まった子の情報は入って無かったな。まぁ、救出依頼じゃあないからなぁ。嬢ちゃんはどんくらい捕まってたんだい?」

 男性が私に話しかけた。

「数日だ。とりあえず、こいつを表に戻す。救護の地孤児院というところだ。色々と取り計らってくれ」

 私がつい喋りそうになったところ、クロさんが答えてくれた。危ない、ちゃんと黙っておかないと。

「普通、裏の世界を覗いちまったらもう危険だってことはわかるだろう?こっちで生きるのも無理そうだが…無理に表に戻すのも危険だぞ」

「わかってる。だから、あんたに依頼してるんだ」

「…へっ。あぁ、わかった。裏からの接触は出来る限り無くなるように手回ししてみよう。それにしても、随分おれのことを信頼してくれてるじゃねぇの」

「そういうわけでもない」

「いや、そこは嘘でも肯定しろよ。まぁ、ちょっと時間もらうぜ。ただ、救護の地か…」

 男性は少し思案顔をした。

 思い出すような、何でもないような…もどかしそうな表情だ。

「何かあるのか」

 クロさんも違和感を感じたようだった。

 表情は変えないまま、顎に手を当てて男性は話を続ける。

「どこかで聞いた気がする。それも含めての、ちょっと時間もらうぜ、だな。請求額は決まったら連絡する。今回の報酬は…あぁ、無しだったな」

「…依頼主は」

 男性の確認してきた話などどうでも良いというように無視し、クロさんは別の問いを返した。

 その問いには、どこか哀感が漂っていた。

「…金は、破産してでも用意してやがったよ。報告したら、破産したってのに泣いて喜びそうな勢いさ。この話はここで終わりだ。さて、まだあのアパートは変えないだろ?連絡するから待ってろ」

「そうか」

 それだけ答えると、クロさんはソファから立ち上がった。

「帰るぞ」

 クロさんは私にそう言うと、入り口の方に歩いて行く。

 男性はクロさんに顔も向けず、片手だけをあげてお別れのサインを送っていた。

「嬢ちゃん、あいつの言う事を聞いて、あいつから離れるな。嬢ちゃんはラッキーだ。普通は助けちゃくれないし、ここまでしてくれない」

 慌ててクロさんを追おうとする私に、男性はそう言った。

 喋ってはいけないので、とりあえず頭を下げた。

「へっ。嬢ちゃん、そんな真っ白じゃあ、この腐った街で生き残れねぇぞ」

 男性は煙草に火をつけ、手で追い払うような仕草をした。

 私は迷ったが、再度頭を下げてクロさんの元へ走った。



 帰り道は、やはり行き道と全然違うルートを通っていた。相変わらず道は覚えられない。行き道よりも時間を大幅にかけて歩いた。傷が少しだけ、熱を帯びて痛みだす。でも、クロさんのことだから、私に嫌がらせをしようとかいう意図は絶対に無いとわかる。会って一日しか経ってないというのに、これは信用しすぎだろうか。でも、助けてくれた恩人だからか、私は信じ切っている。恰幅の良い男性に言われた、真っ白という言葉を思い出して苦笑いしてしまう。私は、何者にも染まりやすいわけだ。

 そんな事を考えていると、アパートに着いた。このボロアパートが醸し出すおどろおどろしい雰囲気。

 うーん、慣れる時とか来るのだろうか。

 アパートを眺めながらそんな事を考えていると、クロさんがドアの前に立ち止まり、ドアの下をジッと見つめていることに気付いた。

 どうかしたのかと思って私が見ていると、クロさんがこちらを向いて一言

「下がってろ」

そう言われた。戸惑いながらクロさんのすぐ後ろに移動する。そして少しだけ下がった。辺りはしんとしているし、出掛けた時との違いは全くわからない。

「ど、どうかしたんですか…?」

 声を出して良いものか迷ったけれど、クロさんにだけギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいの声を出した。クロさんの大きな背中からは威圧を感じる。こちらには余波が来ているようなもので、威圧を向けているのは扉の向こう側に対してだ。それでも、私にはどこか空恐ろしくて、声が震えてしまったのが自分でわかった。

 クロさんはこちらを振り向く事もせず

「ドアの細工に異常がある」

と言った。

 言われてドアを見るけれど、ドアの上部にはちゃんと小さな布が挟まっている。どこか壊れているわけでもない。私にはわからなかった。

「上の布は、挟まってますよ…?」

 私が聞くと、クロさんは少しだけ頭を横に振った。

「あんなもの、気付くようにわざと仕掛けたに決まっているだろう。本命は、ドアの下に隠した特製の、薄く、細い棒切れだ。シャー芯程度のな。開ければ折れる。ドアの軋む音と下のゴミで気付きにくくしている」

 クロさんは、簡潔に私に答え合わせをしてくれた後、軋むドアをゆっくり開けた。

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