日本人の性質の原点

 5300年前に都市国家が成立した、という説はあくまで推理であって、物証が出てこなくては成立しない。しかし、このシリーズは歴史の真実を探る事を目的としているわけではなく、あくまで世界観構築のための勉強なので、その点は注意しておかれたし。

 あくまで筆者の中で合理的だと思える流れを作っているだけであって、歴史の中では不合理な事も多く起こるものである。


 さて、飛騨口碑の中では、「2500年前に寒くなってきたから、西の方へと広がっていった」という旨の言い伝えが出てくる。時期で言うとちょっと遅いような気もするが、西への大移動は実際にあったと推測する学者は多い。


 例えば、小山修三はその一人である。

『縄文寒冷化による北方民族の大移動』http://www.janis.or.jp/users/ohkisima/zenrekisi/jyoumonkanrei.html


彼によると、縄文中期の日本列島の人口は95%が中部を含む東日本に集中しており、これが寒冷化によって西へと移動していったという。ただ、個人的には95という数字は大きすぎると思っている。西日本が全く住めないほどの土地であったなら、これも理解できるが、いくら暑いとはいえ、そこまで不毛な土地ではないだろう。


 1978年に作られた「小山年代」という彼による年代ごとの人口推計では、3300年前の縄文後期にその大移動が起こっている。当時、日本の二大拠点であった関東と中部からごっそりと人口が減り、西日本のそれが倍加している。


 しかし、列島全体の人口推定が中期に26万を越えているのに対し、後期には16万しかいない。大移動もあったはずだが、40%近くも人口が減少している点にはもっと注目しなくてはならない。


 当然、一瞬にして人口が減ったわけではなく、寒冷期に向かうにつれて徐々に人口が減っていった結果であろうし、そもそもがこの推計は40年以上前に作られたものであり、未発見の遺跡などの事も考えれば、数字が間違っているという可能性は多分にある。しかし、それを踏まえても縄文文化は寒さの前に敗北したと言わざるを得ないだろう。

 といっても、縄文時代の大半は、環境がイージーモードゆえに雨任せ、風任せだったわけであり、勝利も敗北もないのだが、いずれにしても寒冷化によって民族的危機を迎えていた。


 縄文中期までの生活は完全に自然の恵みに頼っていた暮らしであり、四大文明などが自然の恵みを得られなかったがゆえに日本に先んじて文明の高度化が進んでいたのに対して、日本列島では人力での資源確保の必要が薄かった。

 一部、簡単な農耕などは行われるようになっていたものの、高度化する事はなかった。よく日本人は勤勉で~などという事が言われるが、我々の祖先は勤勉などではない。彼らは怠惰な趣味人である。


 縄文土器や、当時の航行技術などから考えるに、知的好奇心や平和主義はこの時代から発露が見られるが、縄文時代の我々は間違いなく勤勉ではない。同時期の他の地域と比べれば、よほど怠惰である。

 この傾向はずっと続いていたし、江戸以前も、明治以降の帝国時代においても、ニートや無職は大勢いた。江戸時代の長屋では昼間からごろごろして酒を飲んでるおっさんがいるし、夏目漱石の『こころ』の主人公はニートの上に友達の恋人にちょっかい出して駆け落ちする。昭和になって資本主義の影響が強まった結果、資本家と官僚の都合によって勤勉を持て囃す刷り込みが行われたというだけに過ぎない。


 縄文民族の性格的な特徴は穏和、ルーズ、好きな事は過剰にやるが、必要のない事はやらない、といった傾向があると言ってよいと思う。縄文時代に戦争がなかったという説は、彼らにとって戦争は「必要のない事」に入るというだけに過ぎない。その代わり、土器に色んなデザインをして、オリジナリティを競ったり、超遠方まで殆ど冒険に近い航行をする。私はこれらの性格的特徴は現代日本人にまでよく受け継がれていると考えている。勤勉さや几帳面さは教育による後天的な獲得であって、先天的なものではない。その証拠に我々は家ではだらしがないではないか。


 我々は他人、または組織、または社会に迷惑が掛かる事は意識して控える傾向が強い。小泉八雲が指摘した日本人の特質であり、「人様」という概念である。これは自然災害が多発する土地ゆえに強化された性質である。


 「人様に」迷惑がかかる行為を慎む一方、「人様」に迷惑が掛からない範囲であれば、我々はだらしがない民族である。部屋が汚い人もいるだろう。自分用のノートの字が汚い人もいるだろう。気心の知れた友人どうしならば遅刻もするだろう。日本の電車は時刻通りに来るが、友達との約束にはちょいちょい遅刻するものだ。


 これらの基本的性質は縄文時代の生活に由来していると筆者は考える。温暖で食糧が豊富な地域の民族にはよくある亜熱帯的気質に、頻発する災害への対応のための共助、社会優先意識を加味したものが我々、日本人の気質ということになる。


 ただし、縄文時代に形作られた基本的性質に、後世で付加された部分として、日本人が戦闘民族になっていったことはいつか触れることになるだろう。大和政権樹立以降、比較的安定していた平安時代も、東征事業は継続していたし、鎌倉以降は完全に武家政権、つまり軍事国家である。鎌倉~昭和までの日本人は戦闘民族であり、何かあると切腹、仇討ち、戦争においては組織的に特攻を仕掛けるようなクレイジーな民族になった。


 敗戦以後、GHQによる武道廃絶や神道教育の廃止などを経ても、この気質は抜けなかった。地域の不良少年が特にメリットもないのに全国制覇を掲げたり、スケバンとかいう武闘派女子児童がいるという訳分からん国なのである。現代においてでさえ、世界有数のスポーツ好きな民族で、各種スポーツでの全国制覇であったり、国際試合には特に熱狂する。


 民族の性質は千年続けば、傾向として定着すると考えている。我々の勤勉さは定着するほどの年月は経ていない。しかし、戦闘性はそれ以上経過している。なので、普段は穏和だが、キレる時は大激怒するような、一見、二面性とも取られるような性質を持っている。

 創作の際にはこの点に気を付けて書かなくてはならないだろう。



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