縄文都市国家の成立

 頭がいっぱいになってきたので、もう一度整理。


 鬼界カルデラ噴火後、避難民は各地に散らばった事は間違いない。

 避難先は、中部、関東、東北、北海道。国外に出た部族の場合は、朝鮮半島南部、また、朝鮮半島を経由した後、中国大陸、東南アジアが考えられる。


 アラスカ経由で北米に行ったグループもあるとは思うが、そこまで遠方に行く合理的理由がない。よって、いたとは思うが、ごく少数だろうし、そこまで遠くなると避難というより、単なる移住である。


 逆にアジア方面に散った者達の場合は、まだ避難と言ってよい。噴火後、太平洋側は漁獲量が落ちたはずで、元漁業民である避難民は途方に暮れていたはずである。朝鮮半島南部は漁獲量への影響は少なかったと推測されるので(この前提が間違っていれば崩れるが)、朝鮮半島南部、また、そこを伝って、中国方面へ流れていった部族もあると思われる。(避難→移住のケース)


 もちろん、噴火災害が契機となって漁業から狩猟採集民に転職した者達もいるだろう。内陸部に避難した者達はそういう者も多かったと思われる。


 西日本の人口は激減し、代わりに中部、関東に増えた。増えた場所は自然の恵みが豊富にある山岳地帯だと推測される。


・食糧が豊富

・過ごしやすい気候

・東に比べて被災地の復旧確認がしやすい


 これらの点から日本アルプス付近には特に多くの避難民が流入したと考えている。


 既存の集落に合流せず、新たに開拓したグループはあっただろうか?

 当然あっただろう。しかし、それほど多くはなかったと考えている。理由は二点。


・良い土地には既に先住者がいる

・紀元前5300年という時期の問題


 綺麗な川と豊富な食糧を抱えた森、しかも、できれば過ごしやすい気温という条件が揃った場所にはほぼ例外なく先住者がいただろう。現代では山には人が少なく、平地に都市があるが、当時は逆である。山の方が恵まれた高級地であり、平地は貧困地帯となる。良い場所が既にないとなれば、あまり良くない場所を開拓するという選択肢しかない。


 さらにこれは縄文前期~中期の出来事であるという事。日本列島にヒトが住み始めてから、万年単位で経過しており、鬼界カルデラほどの規模でなくとも、数限りなく、地震、噴火、津波といった災害はあったはずである。

 そんな中で、人類が生存するためには(綺麗事ではなく)助け合いが不可欠であり、DNAレベルで頼る、頼られるといった選択肢がとっくに刻まれているはずだと考える。というか、そういう選択肢を採らないグループは生き残れずに自然淘汰されていったはず。


 これらの理由から、中部以東の山岳地帯には多数の避難民が流入したと考えており、特に日本アルプス付近は多かったのではないかと考えている。


 ただ、気になる点が一つ。飛騨山脈に比べ、木曽山脈、赤石山脈付近に遺跡が少ないのだ。いや、あるにはあるのだが、少し離れた標高の低い川沿いに多い。この位置にあるという事は気候が寒冷化してくる縄文後期~末期あたりが中心だと思われる。(多分、wikiでも見れば載ってると思うので、今度、確認する事にする)


 木曽、赤石は調査が進んでない可能性がある(正直、地元が近いので、その理由もなんとなく分かる)。色々な状況を考慮すると、この付近に人が住んでいないわけがないのだが、調査が進んでないのか、調査してるのに出なかったのかは分からない。



 この辺りはいずれ大学にでも確認してみるとして、日本アルプスへの人口流入があった、という仮定で進めてみよう。(その方が面白いから)


 ちなみに縄文時代の中部の人口推計については、田中英道という研究者によれば、縄文前期→中期にかけて、25000人→72000人に増えたというデータを出している。関東は43000人→95000人であり、中部の増加率が非常に高い。ただ、現状、縄文時代の遺跡はまだまだ眠っている可能性が高く、高度経済成長期に開発がされなかった地域などは全然、調べられていないようなので、正直、このデータはあまりアテにならないとは考えている。ちなみに彼は関東に高天原があったという論者のようである。



 さて、前々項でもやった話ではあるが、再度整理。


 九州、四国、西日本から来た多数の避難民グループは避難先を探しつつ、岐阜北東部までやってきた。愛知、三重付近では標高の関係で受け容れ先が少なかったが、この辺りから長野、山梨と山が多くなり、受け容れ容量には余裕がある。


 多数の避難民が受け入れ先を見つける事ができたものの、結果、付近の人口は膨れ上がることになる。人が増えれば、揉め事が起きる。これによって仲裁者である長の権限が強くなる。この時期以前は基本的に血縁集団で成り立っていた日本の縄文社会に、初めて都市国家のようなものが生まれた可能性がある。


 古代ギリシャなどの都市国家というものは、交易に必要な大きな川と、耕作が可能な平野部を備えた土地に生まれたわけだが、日本の場合は違う。蒸し暑い日本列島の中で過ごしやすく、食糧豊富な山に突然、避難民が流入してきた結果生まれたのが、縄文都市国家である。


 縄文時代は、灌漑農業など必要なく、文明が発達しているわけではないので元々、交易機会も少なかった。例えば、古代ギリシャなどでは、様々な食材や調度品などの物品、書物が取引されたわけだが、縄文時代にそんなものはない。交易品はせいぜい、宝石の原石や果物、薬草の種子だと思われる。日常的に交易するわけではなく、おそらくは労働時間が少なくなり、涼しくなった秋に出かけて行って、冬を取引先で過ごしながら種子などの交換をして春に戻ってくる、というようなのんびりとした交易だっただろう。貨幣が発明される前で、お金持ちとか資産家みたいな概念がないので、おそらくビジネスという感覚ではやっていない。旅行の一環のようなものではないか。



 日本アルプスと呼ばれる三大山脈は比較的近い位置関係にあり、この辺りにいくつかの都市国家ができ、さらに関東にもそういった都市国家が生まれた。それらは地元民と避難民の混合国家であり、まだまだ原始的で小規模であった。これらは西日本の復旧状況を確認するために定期的に調査団を送ったり、情報共有を進めていたと思われる。


 現代的な感覚では、こういった集団同士は対立、抗争が勃発するのではないかと思ってしまうが、おそらくその感覚はこの時代には当てはまらない。なぜなら、大量の穀物を作って保存するわけではなく、貨幣もない。富の蓄積がないので、命を懸けて奪い合うものがないのである。


 個人や、小集団同士の抗争は感情に起因して起こる事も多いが、ある程度の規模になれば、利害や損得でしか発生しなくなる。直接の利害関係がない者は抗争に参加する意義がないので、大集団同士の抗争はなかなか起きえないのだと思う。


 狩猟採集生活を営み、医療も発達してないわけなので、女余りの時代でもあり、女性を奪い合って戦争をするというのも考えにくい。この時代の死亡率では、人口過多にもよっぽどなり得ないので、領土拡大戦争も必要ない。


 富、領土、女以外の要因での戦争って何があるだろうか。


 この時代はそれほど深くない怪我でも破傷風などで命を落とすので、食糧などの命に直結する物資、資源が充足しているのなら、労働力である男を消費してまで戦争をするというのは、合理的ではない。戦争しても一時的な得しかなく、命を落としてまでそんなことをするよりは、狩りとか釣りにでも行く方がよっぽどいい。



 こうして各山地に生まれた都市国家は、西日本の復旧まで緩やかに連帯しつつ、復旧以後は西日本に植民しながら、適宜、交易を続けていたのではないかと考える。


 こういった時代が寒冷化が始まる縄文後期まで続いたのではないだろうか。


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