第14話 女王の謁見

 昔、お母さんが“お盆を過ぎれば涼しくなる”って言ってたけど、9月になっても真夏日が続いている。そろそろ天照大神も雨の岩殿に閉じこもった方がいい。


 暑すぎる……


 学校を終えた僕は、汗に濡れたハンカチを首に巻いて家路を急ぐ。


 アパートに着くと玄関の前に1人の女性が立っている。見たことない女性だけど絶対に知っている。一目見ただけで“誰のお母さん”か理解できた。


 髪の毛は濃い黄金色。濃紺のシャツが真っ白な肌を強調させている。日本人離れして、外国人と言われても違和感がない顔立ち。そして青い目。


 子供を産んだとは思えない美貌。お尻のラインに沿ったベージュのスカート。


 年齢不詳だけど、少なくても40歳は超えてるはず。エルフは長寿だから200歳か500歳かも。しかし翠の年の離れたお姉さんって言われても全く違和感がない。


 紛れもなく翠のお母さんだ。


 何故僕の家に……。翠に何かあったのだろうか。それとも僕との関係についてだろうか。


 僕を見つけると、笑顔で会釈をしてきた。


 僕も挨拶を返す。


 まさかエルフの女王様に謁見する日が来るなんて。何かのリングを探しに行くのか、ドラゴン退治を頼まれるのか、それともこの場で断罪されて処刑? 


 あぁぁ……良いイメージが全くわかない。


 ◇


 テーブルを挟んで、エルフの女王とクリエイターを目指す男が対峙している。緊張感が走るなか、コーヒーの湯気が2人の間に立ち上っていた。


 こう言う時に気付くんだ。僕はもともとコミュ障で、世間話ができる人間ではないってことを。しかも相手が翠のお母さんなら、なおさら……


「新君。翠がいつもおせわになってます」と、またしても僕に頭を下げてくる。


 女王の一撃目は普通の挨拶だった。ただの挨拶でも僕には重い一撃。


「い、いえ。僕がみ、翠さんに、お、お世話になってるんで……す」


 緊張すると言葉が出にくくなる。僕は相変わらず器が小さい。


「ふふwうわさ通り、翠を立ててくれる優しい人なのね」


「え、あ、いえ」と何を言ってるか分からない返事を返した。


 僕の話を母親にしてるんだ。自分を優しいとは思ってないけど、彼女はそう思ってくれていたことが嬉しかった。


「そう言えば学園祭の演劇すごかったわね。お話も演出も新君が考えたんでしょ? 私も観てて感動しちゃった」とお嬢様の如く両手を握っている。笑ったときの目を閉じるところが彼女に似てる。凄く安心できるんだよな。


「あ、いえ、あれは翠さんと二人で……考えたんです。み、翠さんがいなければ絶対に成功しない劇でした」


「ねぇ最期のセリフとキスは新君が考えたって言ってたわ。あのシーン凄く憧れる。あの子いつも家で練習してたの。私がロミオ役で「ジュリ大好きだ!」って言ってたのw」


 毎日練習してる言ってたけどお母さん相手だったんだ。


「えぇ……そんなに練習してくれてたんですね。嬉しいです……」


「新君のために絶対失敗できないからって、毎日愛の告白してたわwふふw」


 どうして今、劇の話をしてるんだろう。絶対に別な話があるはずなのに。


「翠さんは夏休みの時には……完璧に覚えていました。本当に努力家で僕が追いつくのがやっとでした」


「ふふw同じこと言ってたわ。「新君ずっと前を走ってて追いつけない。だから私が足を引っ張らないようにしないと」って。お互い支え合っていたのねw」


 翠は同じことを言っていたけど、本当に僕を引っ張ってくれているのは翠なんだ。


 エルフの女王は、学校や私生活のことをたくさん教えてくれた。でも今日は、僕と演劇の話をするために来たわけじゃないだろう。


「ねぇ、翠は大学生活楽しんでるのかしら」


 翠はお母さんに大学の話はしないのだろうか。ここまで仲の良い母娘なら話はしているはずだから、大学じゃなくて”生活”の方を聞きたいのかもしれない。でも”毎週セックスしてます”なんていえないよぉぉぉ……


「翠さんは本気で理学療法士になろうと頑張っています。だから平日は会わないようにして連絡だけにしています。それと……言いにくいのですが……会うのは週末だけにしているので、学業は疎かにしていない……つもりです」と健全な仲を装っているけど信じてもらえるだろうか。


 翠のパジャマ代わりのTシャツはしまってある。常備している彼女の着替えもクローゼットの中にある。歯ブラシも脱衣所だから見えない。彼女と朝チュンしてる形跡はない……はず。


 もし近くに住んでいたら毎日の様に会っていたかもしれない。そういう意味では会うのに30分以上かかるのはお互いに勉強時間も取れてよかった。


「昔から勉強熱心だったから安心はしてるの」


 勉強”は”安心できてもそれ以外が心配なのか。じゃあ不安なのは僕の事だ。僕と彼女は不釣り合いなのかもしれないけど、これからも支えていきたい。


「本当に努力家で、翠……さんを見てると僕も頑張らなきゃって思います」とお母さんを見ると楽しそうに僕を見つめている。ここで信頼してもらわないと本当に別れることになる。


「翠も同じような事言ってたわ。新君が凄く頑張るから私も頑張らなきゃって」


「はは……そう言われると……恥ずかしいです」


「新君が翠に夢を与えてくれたのよね」


 僕が与えたんじゃなくて、彼女が自ら選んだ道だ。僕は手を差し伸べたに過ぎない。


「あ、いえ、僕に勇気をくれた翠さんが、目指す道が無いって……言ってたので、少しでも力になれればと」


 ダメだ。このままじゃ信頼を得ることはできない。もっと堂々と話さないと。


「ふふw新君は翠のことが大好きなのねw」


「あ! え……はい、好き……です」


「そう……ありがとう」


「あ、いえ……こちらこそありがとう……ございます」


 少しの沈黙が流れる。悲しそうな目が翠にそっくりだ。恐らくこれからが本題なのだろう。


「翠はね、大学を卒業したらお見合いをする予定なの」そうか、お見合いかぁ。家もお金持ちだしな。え? 


「はい……え? えぇ!!」


 最上級魔法並の攻撃が僕の心臓を突き刺す。お見合い? どういうことだ……


「新君……」


 突然三つ指ついて頭を下げてきた。怒られたり怒鳴られるかと思っていたから、お見合いに土下座ってどういうことだ。


「あ、頭上げてください」と何度もお願いしても顔を上げない。


「大学を卒業する前に翠と別れて」


「……それは……」


 事の詳細を話してくれた。お父さんの会社は事業の失敗が続き数年前から赤字経営らしい。立て直しを図っているけど、今のところは上手くいってない。ライバル会社の社長が翠の存在を知り、息子と結婚して兄弟会社といて合併すればいいと提案があった。大学に通っているなら卒業後にお見合いして結婚すれば借金を全て負担すると。


「だから本当にごめんなさい」


「いえ……」


 これは……どうしようもないよ……別れるしかないのか。本当に愛しているのに。


「でも今は翠を支えてあげてほしい」と青い眼が鋭く僕を突き刺す。


「え……?」


「本当はこんなわがまま言ってるのは分かってるんだけど……翠には新君が必要なの」


「僕が必要?」


「あの子は新君を心から尊敬している。ただ好きなだけじゃないの。今の大学を選ぶ前に私に言ってきたわ。「私が心から尊敬できる人に出会った。その人が私に未来の道を開いてくれた。彼を支えて彼のために生きたい」って」


 お母さんにそんなことまで話してたんだ。翠の気持ちはすごく嬉しいけど、後数年に別れるなんて。


「で、でも大丈夫なんでしょうか。結婚する予定があって、僕と……付き合ってるのは」


「私の本心は翠の思うように生きてほしいって思っている。だって普通の女子だもの」


 目に涙が浮かんですぐにでも零れ落ちそうだ。


「小学校の時は体が弱かったけど、それ以上に感情が希薄だったの。それは友達と遊ぶことを知らずに毎日勉強尽くしで、心が病んでいたのだと思う。だから中学からは習い事を辞めさせて人と関わって欲しいって思ったのよ」


「翠さんから聞きました。お母さんが習い事を止める事を突き通したって」


「新君にそんな事まで話してるのね。中学校に通い出すと友達も増えてきたみたいで。それと陸上を始めてから自分で目指す道が出来て、すごく楽しそうだった」


「自分が認められた感じがしたって言ってました。でも高校で怪我をして見つけた目標を失ってしまってって」


 凄く悲しそうな顔をしている。一番近くにいる母娘が何もできないのは辛いのだろう。


「何を言っても寂しそうで、家でも笑顔が無くなってたのよ。私もどうしようもなくて……」


 涙が溢れて頬を伝っている。この涙は過去の辛さの涙じゃなく、僕にどうしようもないお願いをして、僕と翠の未来を奪おうとしてるから涙が溢れてるんだ。


「でも演劇をやるって決まってからすごく嬉しそうだった。新君のことを話す時も楽しそうで、恋してる顔してて……嬉しかった」


 恋……してたんだよな。でもその恋の終わりの宣告に来てるんだ。


「我儘言ってごめんなさい」


 それは我儘じゃない。恐らく僕たちが付き合う事を応援したいのだろう。でも会社が傾いてどうしようもなく僕に会いに来たんだ。


「いえ、僕は翠さんが生きがいを持って今の大学で成功するのを助けたいんです。あと3年かもしれませんけど一生懸命彼女を支えていきます」


「本当にごめんなさい」


 ハンカチで頬を押さえているが大粒の涙が溢れている。


 恐らく翠には言ってない事だ。彼女から別れる選択肢はない。だから僕に言いに来たんだ。僕から翠に引導を渡してくれと。残酷な行為を僕にお願いしてるけど、お母さんもどうしようもないんだ。


 本当は、ずっと……一生……一緒にいたいのに。


「いえ、わかりました」


 そしてエルフの女王の謁見は終わる。玄関を出て見送ると何度も振り返って頭を下げていた。女王は何も悪くないのに。


 彼女を一生支えてくことはできないのか。


 演劇みたいに逃避行はできないのだろうか。


 彼女に僕が必要なくなる時が来るのだろうか。


 翠が大学卒業まで3年とちょっと。それまでは彼女を支えていこう。


 まだ先のことなんてわからないよ。僕が翠と付き合えたことだって奇跡なんだ。だったら別れないことだってあるかもしれない。

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