黒曜岩の幸福

みつば ざわ

読み切り 黒曜岩の幸福

 暴風豪雨の雷鳴轟く夕暮れ時、私は傘もささず、雨具も身に着けずに幼い頃から慣れ親しんだ道を鼻歌を歌いながらスキップしたり、くるくる回ったりして踊るように進む。今の私は誰から見ても楽しそうな人間だろう。

 頭の中に今日までの記憶が流れる。思えば私の人生は火山で採れるそのままの黒曜岩だった。

 幼い頃から母親には「あなたの弟だけ産まれてくれば良かった。あなたはいらない」と言われ続け、父親には殴る蹴るの暴行を実家を出るまで加えられ続けた。弟は父親に頭を撫でてもらっていた。そんな家庭環境だから弟には馬鹿にされていた。

 保育園から高校まで同級生や先輩、後輩からいじめられた。小学校4年生のとき、担任の先生にいじめのことを相談したら「話し合えばなんとかなる」と言われた。形式的に話し合うが解決したのは表だけで裏では続いていた。この際、担任から両親にいじめの件が伝わり、母親からは家の面子を潰すなと叱責され、父親からは「お前が弱いからだ」と頬をぶたれた。私はこの件以来、いじめのことを誰かに相談することをやめた。

 家名を汚すわけにはいかないと母親が薦める大学に入らされた。単位を取る科目も全て母親の言う通りにしなければならず、窮屈だった。しかし、大学では誰も私に話しかけてこないので学校へ行っている間は自由だった。この時期が一番楽だったかもしれない。

 大学卒業後は大企業を薦める母親を突っぱねて、適当な中小企業に就職した。母親は丸一日私に怒鳴り散らした。父親には今までで一番の怪我を負わされ、弟からは大嫌いな毛虫を見るような目で見られた。それでも私はこれで自由になれると這いつくばって外へ出た。

 実家を出て実際に会社で働き出しても母親からの私を責める連絡は続いたが、私は家から自由になった。しかし、就職した会社には午前8時から午後11時まで拘束されたため、時間的自由はない。ちなみに午後5時からはサービス残業だ。こんなサイクルはほぼ毎日だ。さらには休日の半分くらいはサービスで出社するというブラックぶりだった。そのうえ、上司は自己中心的で面倒事が嫌いな性格であったため、少しでも失敗すれば1時間くらい小言をネチネチ言われた。ここから出ようと考えたこともあるが、今までの経験から人間なんてどれも同じだと早々に諦めた。毎日毎日、心臓が動いているから生きているというような状態だった。

 まるで走馬灯のように思い出されていく経験は、いつか相談した人に言わせれば誰でもあることらしい。けれど私からすると自分以外の全ての人の人生は限りなく透明な加工済みのダイヤモンドに見える。私みたいな未加工の黒曜岩ではない。 

 母親と父親に生まれたことを歓迎されていないと分かったその日、私の心には炎が生まれた。その炎は私の心の暗さが増す度にどろどろとした重たいマグマへと変化していった。

 私がこの会社に新卒入社し、7年目のある日だった。新卒社員に年齢を訊かれたので29歳だと答えた。返ってきた言葉は「じゃあ、もう30なんですね。人生終わりじゃないですか」というものだった。私の何かが糸が切れるような音を立てて切れた。嗚呼、私の人生はもう終わっていたのか。

 私の心は燃えていた。でも、新卒社員の一言で一気に冷えていった。出来上がったものは、今まで味わってきたどろりとした暗い感情に染められた限りなく黒い未加工の黒曜岩だ。

 もう、私の人生は終わりなんだって。そう思ったら胸がすっとする。私は踊らずにはいられなかった。

 暴風豪雨、雷鳴轟く夕暮れ時の中、外へ出ている人は全く見あたらない。水位が上昇した荒波を立てる川へ辿り着く。まるでオアシスでも見つけたかのような気持ちになる。

 川の水へと足を踏み入れる。一歩、また一歩と歩みを進める度に苦しみの錘から

開放されていく感じがする。嗚呼、やっとこれで私は幸せになれる。それなのに何故だろう、涙が一筋流れた。 

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黒曜岩の幸福 みつば ざわ @zawa_mitsuba

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