第22話 家族

 翌日も午前中に奥さんが、午後には戸川と梨奈がお見舞いにきてくれた。


 その日は問診があり、あれ以来頭痛が無い事を伝えると、そのままいけば月曜には退院だと言ってもらえた。

病室に戻り月曜に退院だと言うと、戸川と梨奈はここが病院だという事を忘れて大はしゃぎした。



 その翌日は土曜という事もあり、朝から梨奈が病室に居座っている。

さすがに昼食は奥さんに引きずられて家に送還されていたが、午後には今度は戸川と共にやって来た。


 梨奈は父さんのご飯が不味いやら母さんがいつになくおろおろしてるやら、家の事を面白おかしく話している。


「綱一郎君、梨奈がおったら、研修の復習ができへんのと違うか?」


 そう言う戸川に、梨奈は邪魔じゃないと言って不貞腐れた。


「落竜の衝撃で学科が抜けたら、さすがの日野くんも怒るで?」


「寝るまでの時間にじっくりやってますよ。消灯の頃にはすっかり眠くなってちょうど良いです」


「それ座学ダメな子がよう言うやつやな」


 戸川は大笑いした。


「え? 綱一郎さんって座学ダメなん?」


 戸川は、良い方では無いらしいと言って笑っている。


「ちょっと意外やわ。真面目に勉強してはるから、てっきり得意な方なんやと」


「真面目にやっとるだけで、頭に入っとるわけやないらしいで?」


 戸川がそう言うと、梨奈は大爆笑だった。


「……努力はしてますよ」


 二人にからかわれ、岡部は少し拗ねた顔をした。


「座学って努力でするもんと違うよ? ちゃんと理解せんと」


 梨奈はケラケラと笑い出した。


「どうしても癖で暗記しようとしてしまうんですよね」


「ほな日野くんの教え方が下手なんやな」


 戸川は岡部の下手な言い訳にがははと笑いだした。

すると梨奈が何かを思いついたようで、いたずらっ子のような顔をした。


「ねえ綱一郎さん。ゴールの首都はどこ?」


 ゴールはフランス、そこまでは覚えた。

首都……そもそもフランスの首都ってどこだっただろうか?


「……み、ミラノ」


「え、嘘やん。もう資料渡したんずいぶん前よ? ありえへんわ」


 梨奈は今まで聞いた事の無い大声で笑い出した。

戸川は暗記もさっぱりじゃないかとつられて笑いだした。




 翌日、いつもより少し遅く奥さんと梨奈が見舞いに訪れた。

岡部は研修の資料をじっくりと復習していたところだった。


 奥さんはいつにもなく機嫌が悪い。

よく見ると梨奈も機嫌が悪い。


「綱ちゃん、ちょっと聞いてよ! 梨奈ちゃんがね、あんまりもたもたするもんやから、置いてこう思たら駄々こねるんよ」


 そう言うと、奥さんは梨奈を睨みつけた。


「乙女は準備に時間がかかるもんやの!」


 梨奈はぷいと奥さんから顔を背けた。


「何が乙女や。便所が長いだけやないの!」


 奥さんの指摘に、梨奈は顔を赤く染めて睨みつけた。


「おかしな事言わんといて! 服選びに苦戦しただけやもん」


「あんた、あんな長い事便所におったら痔になるよ?」


「もう! 乙女の秘密を赤裸々にせんといてよ!」


 岡部は関わったら余計な怪我をすると思い、愛想笑いをしてやり過ごしている。

その後も何やかやと二人で口論を続け、梨奈がぐぬぬとなったところでやっと終戦した。


 奥さんは、ふと岡部の枕元にある研修の資料を手に取りパラパラと見始めた。

勉強は捗ってるのと言う奥さんの一言に、梨奈がクスクス笑いだした。


「綱一郎さん、ゴールの首都はわかったん?」


「『シテ』でしょ。さすがに覚えたよ!」


感心感心と、梨奈は笑いがこらえきれない。


「ほな、ペヨーテの首都は?」


 ペヨーテは確かアメリカ。

首都……胸を張って言う事でもないが、そもそもアメリカの首都も知らないのだ。

こっちの首都なんてわかるわけがない。


「はい、時間切れ。絶対覚えられてへんやないの」


 悔しいが反論のしようがない。


「あら? 綱ちゃんって勉強苦手なん?」


 奥さんは何故か、岡部にではなく梨奈に尋ねた。


「得意では無いみたいよ?」


「元の世界と違うから、まだ覚えられてへんだけやなくて?」


「天性なんと違う?」


 梨奈がそう答えて笑い出すと、岡部は少し拗ねた顔をした。

それを見て奥さんが眉をひそめた。

 

「天性はあんまりやないの。きっと才能が開花してへんだけよ。あんたの運痴と一緒」


「もう! 便所の事はええやないの!」


「便所やのうて、運動のことよ!」


 二人のやり取りを聞きながら、岡部は必死に平静を装っていたのだが、堪えきれなくなって吹き出してしまった。


「それやったら天性やん」


「梨奈ちゃん、諦めたらそこで終いよ?」


「意味の無い熱血はやめて!」


 奥さんは、すっかり時折見せるいたずらっ子の顔をしている。

梨奈はすでに笑顔ではなく反論に必至になっている。



 その日は、奥さんと梨奈は、お昼も家には帰らず病院近くのお店に食べに行った。

帰ってきてからも、梨奈と奥さんはお昼の食事の事で言い合いをしている。


 何事かと尋ねると、定食屋で梨奈の渋い注文を店員が迷わず奥さんの前に運んできたのだとか。

奥さんは、あんたのせいで老けて見られたと梨奈を責め、梨奈も梨奈で人の好みにケチつけるなと怒っている。


 岡部は何を頼んだのか尋ねたのだが、梨奈は口ごもって俯いてしまった。

奥さんにも同じ事を尋ねた。


「私は小判揚げと俵揚げの定食やで。俵揚げが白揚げでね、蟹が入ってたんよ! あの値段でえらい頑張ってはるわ」


「どうせ蒲鉾や」


「ちゃんと蟹やったよ! 蟹と蒲鉾の違いくらいわかるもの!」


 奥さんが珍しくむきになっている。


「で、梨奈ちゃんは何を食べたの?」


 さすがに岡部に同じ事を二度聞かれ黙っているわけにいかず、梨奈は重い口を開いた。


「……里芋の煮物定食」


 岡部はかける言葉が見つからなかった。

奥さんはそれだけじゃないと言って憤った。


「食べ終わった後にね、最後に梅干し食べて、いつまでも種を舐めてるんよ!」


「良えやないの! 減るもんやないんやから」


 つまり梨奈は、梅味の飴の感覚で梅干しの種を舐めているらしい。

それは確かに岡部から見てもどうかと思う。


「貧しく見えるから止した方が良えよ?」


「なんで梅干しの種舐めただけで、貧乏に見えなあかんのよ!」


 さすがに梨奈が不憫になってきて、岡部は助け船を出してやる事にした。


「『天神様』は食べなかったの?」


「『天神様』って何?」


 岡部の助け舟に、梨奈はきょとんとした顔をしている。


「梅干しの種の中のクニっとしたとこだよ。知らない?」


「ええ? そないなとこ食べはんの? 綱一郎さん貧乏くさい」


「あれ美味しいんだよ!」


 梨奈は、そんなの聞いた事がないと言って岡部を煽った。

それを聞いて奥さんはケラケラと笑っている。



 そこに戸川が病室に入って来た。


「ずいぶん盛り上がってるようやけども、ここ病院なんやからほどほどにな」


 そう言われて奥さんも梨奈も少ししゅんとした。


「で、何がそない盛り上がってたんや?」


 奥さんは、生徒が先生に言いつけるように、梨奈が食後に梅干しの種ずっと舐めてたと戸川に言いつけた。


「ああ、あれな。あの癖は僕も前から気になっとったんやわ」


 戸川の予想外の言葉に梨奈は唖然とした顔をした後、拗ねた顔をした。


「良えやないの。減るもんやなし……」


「そもそも、ずっと舐めてて旨いんか? あれ」


「あれの中食べへんだけマシやもん!」


 梨奈は完全に拗ねてしまい、口を尖らせて岡部を見ている。


「ああ『天神様』な。歯が立たへんから、もう食べられへんけども、昔は必ず食うてたわ」


 戸川の予想外の発言に、梨奈は顔を戸川の方に移し非情に驚いた顔をしている。


「え? 食べたことあんの?」


「あるで。子供の時は梅干し食うたびに食うてたわ。おつな感じなんやで。今やったらあれつまみに熱燗呑んでみたいわ」


 梨奈は驚いて奥さんの方を見た。

だが奥さんは食べた事無いらしく首を傾げている。


「そないに美味しいん?」


「旨いで。ちとぐにゅっとしててな。らっきょの甘酢漬けの芯の部分に似てるかな? そやけど、そない渋い事誰が知ってたんや?」


 梨奈と奥さんは同時に岡部を指した。


「小さい頃に、亡くなった祖父に教えてもらいまして……」


 岡部は、そう言って苦笑いした。


「歯が丈夫なうちしか食えへんから、爺さんも、今のうちに食べておけって思たんやろうな」


「……僕を酒飲みにしようとしたんだったりして」


 岡部は少し照れてはにかんだ。


「孫と一緒に酒呑むなんて至高の夢やな」


 戸川は、岡部の肩をポンと叩いて笑い出した。



 岡部はふいに欠点を武器にしろという祖父の言葉を思い出した。


「欠点を武器にか。深い言葉やな」


「何年も前に言われた言葉ですが、いまだに意味はわかりません」


「それができたら、人生楽に生きれるんやろうな」


 そう言って戸川は微笑んだ。

すると奥さんがいたずら子の顔をした。


「梨奈ちゃん聞いた? 欠点を長所にしていくんやて」


 梨奈は急に不貞腐れたような顔をする。

戸川はまた始まったというような顔をした。


「何が言いたいの?」


「梨奈ちゃんも、あない巾着袋みたいなだぼっとした服やなく、もっと胸を強調した服を選んだら良えいうことよ!」


 自分のお気に入りの服を『巾着袋』と言われ、梨奈は額に青筋を走らせた。


「そないなことしたら、道行く人が悩殺されてまうやないの」


「裏も表もわからへんのに、どうやって?」


 奥さんの指摘に、戸川が噴き出してしまい梨奈にギロリと睨まれた。


「顔が付いてる方が表や!」


「確認してるうちに目覚めるんちゃう?」


 梨奈は怒りに震えているが、奥さんは大爆笑している。



 だが二人の会話で、岡部は何かがわかったような気がした。

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