12

 木蔭はそのまま黒猫のすぐそばにまでやってきた。それでも黒猫は逃げない。木蔭はそっと、その黒猫の子猫を両手でしっかりと捕まえた。

 その瞬間、木蔭の中に東雲飾の記憶(それは飾の記憶だとなぜかはっきりとわかった)が流れ込んできた。

 そこにはに飾がいた。……真っ暗な闇の中に。でもいつもの飾じゃないような気がした。それは飾が笑っていなかったからだ。飾と出会ってから、飾はいつも楽しそうに笑っていた。でも、そこにいる飾は全然笑っていなかった。口をつぐんで、ただじっと下を向いていた。なにも見ないようにしていた。髪の毛もいつもの(猫のしっぽみたいな)ポニーテールじゃなかった。今の飾はその綺麗な黒髪をそのまままっすぐにおろしていた。

 飾は一人だった。その周りには誰も人がいなかった。

 霰の中に飾の感情が混ざりこんでくる。それはとても冷たく暗い感情だった。

 ……飾。

 これが本当にあなたの心なの?

 あなたは、……。

 あなたは世界を憎んでいるの? (この世界が大嫌いなの?)

 たくさんの人を恨んでいるの? (みんなのことが大嫌いなの?)

 どうして? (飾はあんなにあったかいのに。あんなにやさしいのに。……あんなに、……あんなに楽しそうだったのに。……あんなに思いっきり笑っていたのに)

 あなたにいったいなにがあったの?

 飾は小さな箱をもっている。

 飾り気のない小さな箱だ。

 その小さな箱を飾は両手でもって、じっとその小さな箱をみつめている。木蔭はその箱の中に、飾の今、木蔭が見ている(木蔭と出会う前の)記憶の一番深いところにある飾自身が自分の奥深くに閉じ込めてしまっている(思い出したくない)記憶があることわかる。その小さな箱を開けて、中身を見れば、きっとなぜ飾がこんなにも心を閉ざして、世界を恨んでいるのか、その答えがわかるはずだと思った。木蔭はじっと考える。私はこの小さな箱を開けるべきなんだろうか? ……それとも、開けてはいけないのか? (どっちなの? 飾)

 いつの間にか木蔭は飾の前に立っていた。

 木蔭の目の前にずっと会いたかった飾がいる。でも、そこにいる飾は木蔭の知っている幽霊の飾じゃなかった。ここにいる飾は飾の記憶の中にいる飾。きっと、幽霊になる前の『生きていたころの東雲飾』がいた。

 木蔭は飾のもっている小さな箱を開けようと思った。箱を開けて、飾が世界を恨んでいる答えを知って、自分の力で、飾を助けようと思った。(だって、私と飾は友達だから)

 そうすればもう一度、幽霊の飾に会えると思ったのだ。

 でも、そっと伸ばした木蔭の手は飾のもっている小さな箱に届く寸前でぴたっと止まった。

 それは飾の流した大きな涙が木蔭の手の上にぽたぽたと落ちてきたからだった。

 小さな箱に集中していた視線をあげると、飾は泣いていた。真っ赤な目をして、泣き続けていた。

 ……あっ、ごめんなさい。飾。そんなにこの箱を開けることが嫌だったの? と慌てて木蔭は言った。

 でもその木蔭の言葉は声にならなかった。なぜか口が動くだけで声はどこからも出てはくれなかった。それだけじゃない。木蔭はどうやら目の前にいる飾には、今の木蔭の姿が見えていないのだと、気が付いた。ここに飾と木蔭がいると思っているのは木蔭だけで、飾には木蔭の姿が見えていないようだった。飾は、今もひとりぼっちのままだった。

「……う、うう」

 飾はうなるようにして泣いている。

 飾はその場に座り込んでしまうとそのまま、嗚咽するようにして、丸くなってわんわんと大きな声を出して、泣き出してしまった。

 そんな飾の前で、木蔭はなにもすることができなかった。飾に声をかけることも、飾にさわることもできなかった。(……自分が今の飾に触れることができないと、……きっと今の私の手は飾からすり抜けてしまうのだと、なぜか木蔭にはわかった)

 木蔭は飾と同じように力なくその場に座り込んだ。それから、目の前で泣いている飾をただじっと見つめた。(……見ることしかできなかったからだ)

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