011:荒廃と荒廃


 太陽の砦を出立し、一時間と経たずにスペンサー達は重汚染地帯へと侵入した。


 。広がるのは何処迄も荒涼とした景色。


 崩壊した廃ビルが寄り集まった小山の群れ。陥没し、廃墟の残骸に断絶され、複雑怪奇に入り組んだ迷宮の如き道路。度重なる化学兵器とNAWの炉心融解により生み出された汚染物質の吹き溜まり。


 民生品のNAWでは真面に踏み入れえない魔境と化している。


 第五空白地帯からも更に見放された、全てが灰色の死の世界だ。

               

 そんな中でも、HA-88の走りは快調だった。アスファルトを踏み抜き、汚染された灰燼を撒き散らす様は、さながら欧州へと攻め込まんとしたフン族である。

 滲み出る憤懣が目に見える様だった。


 しかし、その憤懣を抱いているのはHA-88でもその操縦者でもない。


 それは機体背部の装甲コンテナに詰め込まれた人物のものであり、その矛先も自分自身へと向けてのものだった。


 それを嗜めるような無線が飛ぶ。


「少佐、良い加減曲げたへそを戻してくださいよ。気まずいじゃありませんか」


 少しの間を空け、スペンサーは返答した。


「怒ってはいない。ただ不愉快なだけだ。あの食人サナトリウムも、そしてあれに納得しかけた私自身も」


 ピースはこれ見よがしに溜息をつく。


「私はパイロットであって、客室乗務員ではないですよ。ご機嫌伺いされたいなら、将軍にでも昇格してからでお願いします」


 スペンサーは微かに笑い声を漏らす。その吐息がマイクに掛かる。


「ああ、その通りだな、ピース。贅沢を言えるご身分じゃない。楽しく行こう、世界がどれだけ碌でもないにせよ、だ」


 そう言って、スペンサーは液晶に表示された一帯の地図を確認した。


 この辺りは、第六複合体が保管していた崩壊前のデータに該当がある。

 というのも、この辺りは第六複合体の前身となった企業六つのうち一つが本社ビルを構えていた土地だからである。


 おかげで、ガスの配管の一本までしかと記録に残っている。


 しかし、それも崩壊前のデータだ。

 爆風を浴び、化学薬薬品に焼かれ、時間という名の最大の大量破壊兵器に晒され続けた一帯は様変わりしている。


 唐代の城塞など比ではなく脆く崩れ去りつつある。


「二十度ほど、カメラの位置をずらしてくれないか?」


 言われた通りに動かしつつ、ピースは聞いた。


「敵でも見つけました?」


「いや、違う。地図の更新をしている。うちの上層部はこの辺りを取り戻したくて躍起になっているからな。事前調査というやつだ」


「それまたどうして?不毛の極みですよ?」


「分からない」


 スペンサーは無愛想にそう答えた。


 そして、それは真実だった。

 彼等が廃墟に残された崩壊前の技術を求めているのか、それとも数多の戦禍を生み出してきた概念である『正当性』を主張したいが為なのかも定かでない。


 ただ一つ確かなことは第六複合体がこの場所をコンコルドと見做し、泡銭を注ぎ込んでいるということだけだ。


「真面目に答えてくださいよ。情報将校でしょう?」


「言い訳がましく聞こえるかもしれないが、フィクサーというのはあくまで一匹の猟犬に過ぎない。飼い主の予定している今夜の献立が何かなんて知らされない。ただ推察し、任務を遂行するまでだ」


「そういうものですかね。生まれてこの方、組織や集団に所属した事がないもので、よくわかりませんよ」


「そういうものだ、今も昔も変わらないんだ。ピース」


 そこで会話は一旦の区切りを見せた。


 心地の良い沈黙が流れる。無線から流れるノイズですら、耳障りよく感じられた。


 暫くすると、ピースの無線から鼻歌が聞こえてくる。


 それはやがて、無意識のうちにHA−88の古びたHUDの底に眠っていたあるプレイリストを呼び起こす。


 これまでも幾度も起こっていた事象。神経をHA−88へ直列している為に生じる気味の悪い機能だった。


 だが、同乗者を乗せたことなど一度もない為にピースはこの事象の存在に気づいていなかった。


 ある種のデジャヴじみた違和感を覚えることあってもそれきりだ。


 いつもと違い、今日は同乗者がいた。そして、当然のようにその曲に言及する。


「良い曲だ」


 その声を聞いたピースは鼻歌を止め、体をぴくりと震わせる。HA―88も踏み出す足を間違える。その二つが同時に生じた、曲に合わせ、調和していた。


「な、何の話です?」


 ピースはどもりながらそう問い返した。無意識に歌っているのを指摘されることより気まずいことは、そう多くない。物心ついてから一人で過ごしてきた少女なら尚更だ。


「今、歌っていた曲だよ。『Somebody To Love』。博愛主義なんて言葉が潰えて久しいが、随分と感傷的な歌詞だ。それでいて、歌声が力強い」


「今、歌ってました?」


「ああ、実にご機嫌にな。『私たちは誰かを愛さなきゃならない』なんて台詞、きょうび聞く事はない」


「歌なんて歌うタチじゃないんですがね。無意識なんでしょうか?」


「脳は人のままなんだろう。なら、無意識があったって不思議でも何でもない。当然のことだ」


「そいつはそうなんですが、『Somebody To Love』なんて曲、私は知らないんですよ。そもそも、私が生まれた時には音楽家なんて職業は絶滅しておりますから」


「そう聞くと、確かにおかしな話だ。誰かが無断でお前の脳味噌にUSBメモリでもブッ挿したんじゃあないか?」


「いつの時代のデバイスの話をしてるんですか。あんなセキュリティがガバガバの代物を使っていたという事実が信じ難いですよ」


「冗談さ、情報将校なりのな。だ。お前が最初に言ったように気分は良くて越した事はない」


 そう楽し気に嘯くスペンサー。


 だが、その言葉が計り知れぬ運命の引き金を引いたかもしれないと気付くのは、それから数秒後の事だった。

 

 次の瞬間。音を置き去りにし飛来する対NAW徹甲弾。それがHA−88に着弾した。

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