009:硝煙弾雨より怖いもの


 「これが除去フィルターだよ。百%天然製。果たしてビニールハウスで生まれた植物が天然なのかと問われれば、疑問符がつくがね」


 実験器具の立ち並ぶ長机を挟みながら、ドーラムは言った。


 彼の指し示す先には巨大な繊維質のドラム缶が置かれている。

 半透明の樹脂によって形成された筒の中に、綿と活性炭、マイクロ単位の極細小の穴が開けられたゴム栓、その他諸々が詰め込まれている。寸法は崩壊前に生産された既製品と同じである。


 部屋の端に聳える巨大な3Dプリンターを見るにドーラムのお手製である事は間違いなさそうであった。


「さすがドーラム。良い仕事ですね、全く」


 ピースがフィルター缶の側面をぺしぺしと叩きながら感心した様に言った。


「それでお代は?」

 

 スペンサーが興味深げに缶を観察しながら問うた。


 これと同じ代物を第六複合体で配給を受けるなら、一週間分の高級食糧と同等の配給券を用意しなければならない。低級食糧の絶望的味により、高級食糧は相対的に破格の価値を誇っている。


 完全な素寒貧であるスペンサーにとっては、切実な懸念事項だった。


「お代?そうだな…」


 ドーラムはまるで思い当たらなかったというような戸惑いを覗かせ、無精髭の生えた顎を撫ですさった。


 それに対して、ピースが口を挟む。


「崩壊前最新モデルのCPUなんて如何ですか?この間、オフィスビルのサーバーから剥ぎ取ったんだけれど」


 妥当な対価であるとスペンサーには思えた。

 少なくとも、見劣りする事はない。下手すれば、価値の天秤は若干やピースに傾いている。


 まあ、なんにせよ文無しのスペンサーに文句をつける余地はない。


「別に要らないさ。正直、等価交換じゃない。このフィルターは放って置いても生えてくる代物だが、崩壊前の遺物はそうはいかない。いつも言っているだろう?調和が崩れる」


 ぺらぺらと宣うドーラム。それに対して、ピースは厄介そうに問い返す。


「相変わらず、偏屈ですね。じゃあ、蓄光ビニールの予備なんてどうですか、貴方に売ろうと思って回収して以来、コンテナの肥やしになっているんですが」


「いや結構だ。半世紀分の備蓄があるからね。それよりずっと欲しい物がある」


「勿体ぶらずに早く言ってくださいよ…」


 ドーラムは微笑み、スペンサーの手首を指さす。


「血液だ。注射器三本分で良い。スペンサー君の血が欲しい」


 スペンサーは顔を若干だけ引き攣らせる。


「恐縮だが、理由と用途を聴いても?」


「研究だよ。より具体的に言えば、遺伝子的多様性を担保する為だ。自然は常に変数に満ちていなければならない。その為の一要素として君の血液をひいては遺伝子を使わせて貰いたい」


 スペンサーは理解の範疇じゃないという表情で言い返す。


「植物に人間の遺伝子をスプライシングさせると?その方がよほど調和が乱れるのでは?」


 ピースが痺れを切らし、口を挟む。


「その話になるとドーラムはうるさいですよ。ここは端的に行った方がいい。少しの流血で手早く事を済ませるか、多大な口論の末に徒労に終わるかです」


 その言葉に不満げに口をへの字に曲げるドーラム。あからさまに弁舌を振いたがっている。


 一方のスペンサーはピースの助言にただ頷くだけ。

 ドーラムの不意打ち的な提案に面喰らっていた事実を客観視し、再び気を引き締めた。


「私は傭兵だ。いつだって天秤に掛けられるのは自分の命だけと相場が決まっている。詮索するまでも無いな、手早く血を抜いてくれ」


 そう言って、スペンサーは手首を差し出した。それに対し、ドーラムは微笑み、ただ一言こう言った。


「イイね」


                   ☻



 スペンサーは小さな丸椅子に座り、手首に刺さったシリンジに赤い血が満たされているのを眺めていた。


 自分の体にこんな液体が溢ればかりに詰まっているのだと考えてみると、何とも言えない気持ちになる。心臓の鼓動が強く感じられ、脳の奥に熱いものを感じる。


 血を見ると何時だって同じ気分にさせられた。


「イイね、次が最後の一本だ。注射は嫌だと泣くやもと思ったが、さすが兵隊だ。崩壊前から続く由緒ある職業なだけはある」


 随分と機嫌よさそうに戯けるドーラム。

 

 注射器を扱いながら冗談を言うのは大概にすべきだ、と心中で呟くピース。


 スペンサーは問い返す。


「逆に聞くが、今まで泣いた奴はいるのか?」


 ドーラムは満杯になった注射針を抜き去り、その針先でピースの方を指さす。


 中々に慇懃な態度である。


「彼女だよ。脳に迸る義肢の激痛や徹甲弾の暴雨より、注射器の針先の方が怖いらしい」


 スペンサーは訝しげにピースの方へ視線を送る。


 肩をすくめ、首を横に振るピース。芝居じみた否定。


「阿保らしい事を言わないで下さいよ。私が何を恐れるって言うんです?私の脳みそは随分と前からグズグズです。そうじゃなかった時分を思い出せないほどに」


「君はそうだが、他の皆は違う。しっかりと覚えているさ。例え脳が薬に濡れていてもね」


 スペンサーは頭を捻る。ドーラムの一言が引っ掛かる。


 『皆』と奴は言った。誰もが知る複数代名詞。


 その意味は単純だ。奴以外にも、この入植地には人間がいるということ。


 しかし、ドーラムの他に人の気配が無いのも事実だ。

 

「皆と言ったが、貴方の他に誰かいるのか?」


「居るとも、判断によっては、居たと表現する方が正しいかもしれないが」


「抽象的だな。結局、どっちだ」


「人が何たるかによるさ。人類が誕生して以来の命題だよ。血の摘出が終わったら、直接、判断を下しに行こうじゃないか」


 煙に巻くように言い逃れるドーラム。それに対し、ピースはこれ以上なく表情を顰め、いい含める。


「ドーラム。その件は余計です。私たちはフィルターを手に入れ、一刻も早く重汚染地帯を抜ける必要がある。それが、契約内容です」


「あの自由本坊、厚顔無恥のピースが契約内容とはね。全く驚かされてばかりだ。とはいえ、成長が嬉しくないわけではない。私は好きじゃないが、契約が大切であるいうのも事実だ。だからこそ、決定権は契約主であるスペンサー君に決めて頂こうじゃないか」


 そう言って、ドーラムは返答を促す。三本目の注射を冷凍コンテナの中にそっと置いた。


「ああ、我々が急いでいるのは間違いない。だが、見て判断を下すというのにそう時間はかからないだろう。何せ、戦闘の最中では数瞬の間に何度も繰り返さねばならない行動だからな」


 スペンサーは大仰に言ってのける。


 一期一会の場所になるとはいえ、抱いた疑念を払拭せずに跡を去るなどということは許せない。


 スペンサーはそういう類の人種であった。


 ピースは頭を抱え、ドーラムは満足げに頷く。


「イイね」


 中身のまるでないドーラムの一言が、医療室のエーテル臭の漂う空気へ静かに溶け消えた。

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