002:最も重要な要素


 ガレージの端に建てられたちっぽけなプレハブの中。ピースの声が響いた。


「恐縮ですが、こんなものしかないんです」


 そう言って、ピースはテーブル席に座ったスペンサーの前に金属のお椀を置く。


 若干ひしゃげたその中には、カラメル色のお湯と縮れた素麺が入っている。端には、鉄板ばりに堅固な軍用堅パンが一切れだけ、申し訳なそうに添えられている。


「贅沢は言わないと言っただろう。私もお前と同じ時代に生きる一人の人間だ。ただ、このヌードル缶の消費期限が何十年前に切れたのだろうかと、気にならないと言えば嘘になるが」


 スペンサーは、テーブル向こうの簡易キッチンに置かれた空缶へ視線を送る。


「恐らく、半世紀は経っていますね。とは言え、それ以外にまともな食事はありませんよ。別段、慰めというわけじゃ無いですが、賞味期限が明記されている一方で、消費期限は書かれていません。つまり、このヌードル缶は後何回世界が崩壊しようと祝賀会で供する見込みはあるということです」


 そう言ってピースは楽しげに笑うと、再び電子煙草の電源を入れた。


 スペンサーは何か言いたげにピースを見たが、やがて諦めた様に渡された二又フォークでヌードルを巻き取り、口へと運んだ。


 味付けは合成アミノ酸と塩化ナトリウム、それに風味付き着色食料を使った醤油もどきだ。全てが人工の偽物であっても、麺は程よく腰を残していたし、何よりその温かさが身に沁みた。


 端的に言って、美味かった。


 スペンサーの頬は思わず緩み、それを見たピースの口角も意地らしく歪んだ。


 それから、一言も発さず、スペンサーはヌードルを半分程かきこみ、ふやけた堅パンを齧りとった。


 そこで漸く一息ついて、再びピースを見た。


「一つ聞きそびれていたんだが、良いか?」


 ピースは肩をすくめる。


「何です?どうして、全身ブリキ製の私が自分の寝床に空気清浄機や除染機、ヌードル缶をデポットする必要があるのか、とでも聞きたいんですか?」


「それもたしかに気になるが、それの百二十倍気になることがある」


 そう言って、スペンサーは窓の外に聳え立つHA-88を指差した。


「アレだよ」

 

 その指が指し示す先を見たピースは謙遜という作戦を切り替え、今度は酷い作り笑いを浮かべた。


 そして、入社したての新人セールスマンの様な口調で言った。有耶無耶にしようという意志が余りに明け透けだ。


「HA-88。小野田重工業製の第四世代NAW。工業・建設業を主目的として開発され、実際にその方面で多大な成功を収めたベストセラー機体です。恵まれた積載量から来る汎用性の高さは業界随一!コレに目を付けるとは、少佐のご慧眼に感服しますよ、本当に」


 逃がさないとでも言うように、スペンサーは目を細め、ピースを見た。


「お前の情緒不安定さには呆れるが、その通りだ。言ってる事に間違いはない。アレは工業用NAWだ。間違っても、第五世代軍用NAWを三機同時に相手に出来るスペックはしていない」


 スペンサーはふやけた堅パンをフォークで崩しながら、続けた。


「全く、馬鹿げていると言って良い」


 ピースは謙遜作戦を再び発動する。


「単なる幸運の連続ですよ。少佐が最初に明言した様に、上手く避けるコトが出来たというだけの話です。それに、その闘いの最中、貴女は暗い装甲コンテナの中に押し込められていた。その様子を直接ご覧になってはいない。だから、そう言うんです」


 言い訳を次々と継ぎ足してゆくピース。それに対し、スペンサーは賛同しつつも生来の優秀さを垣間見せてゆく。


「確かに目は無かったが、耳はあった。私はこれでも情報将校の端くれだ。連中の無線を盗聴するなんて訳なかった。あの内容は蹂躙と言って差し支えない」


 蹂躙という単語に反応し、ピースは笑みを消す。


「コクピットの予備電源だけで良くできましたね。パイロットなんてやるより、基地で無線を弄っているべきでは?」


「それに関しては私の我儘で有り、矜持だ。誰しもが大なり小なり持ってるものだろう?そんなことより、答えてくれ」


 スペンサーの瞳は隠しきれない無邪気な好奇心に満ちていた。少年が月やその他の星々を見つめるのと同じ類。


 凡そ、それに対し真っ向からNOを叩き付けられる程に太い神経をピースは持ち合わせていなかった。


 彼女の全身に張り巡らされた光ファイバーでも不可能だった。


 観念した様に、ピースは話の取っ掛かりを放った。


「少佐はNAWに一番必要なものは何だと思います?」


「優秀なパイロットだ」


「まあそれは勿論、その通り。実際、最後のT-96と銃口を向け合った時、相手方が秀潤せず、もう少しでもライフルの腕が上手ければ、結果は別のモノになっていたかもしれない。では、NAWの機体性能に限って言えば?」


 スペンサーはフォークを麺の塊に突き刺したまま、眉間に皺を寄せる。


「正直、どれか一つに絞る事は出来ない。強いて言うなら性能のバランスだ」


「軍人らしい答えですね。信頼性と答えるかとも思っていたんですが、性能で苦杯を喫した直後とも有れば総合力の高さを推すのは良く理解できます」


 ピースはべらべらと言葉を並べ、電子タバコから汽笛の様に蒸気を噴かせた。


「私の答えは少し違います。かなり拍子抜けだと思いますが、宜しいですか?」


 スペンサーは麺を啜りながら頷いた。どうやらヌードル缶が相当、気に入ったらしい。苦笑しながら、ピースは続けた。


「答えは単純。“馬力”です」


 馬など電子データ上だけの存在になってしまったが、その言葉はしっかりと残っていた。有史以前から変わらぬ単位だ。


「コンパクトで大出力のエンジンさえあれば、更に強い武装と更に厚い装甲、そして速力だって得られる。全てが馬力の上に成り立っている。騎馬兵が戦車に取って代わられたのも、戦車がNAWにとって代わられたのも、全て同じ理由です」


 ピースは不敵に笑い、窓の外を振り返る。


「HA-88こと、私のHAPPYが一世代先のT-96に勝ったのも同じですよ。HA-88はその昔、こう謳われていました」


 アルミサッシの窓際に備えつけられた本棚へと手を伸ばし、一冊の雑誌を取り出すピース。その背表紙には数え切れない程の付箋が貼られている。


 紙を傷つけないよう、慎重に金属製の爪先でページを捲る。それこそ、聖書を扱う神父の様な手つきで、百年前の通俗誌を取り扱った。


 ちらと覗いた表紙には、『月刊NAW・12月号』と書かれている。


『HA-88がデパートを建てるのか、HA-88の上にデパートが建つのか』


 ピースは朗々とその一節を読み上げ、満足気にスペンサーを見る。

 その様子は、聖職者とは打って変わり、誕生日に買ってもらった図鑑の知識を親へ披露する少女のようであった。


 しかし、その楽し気な雰囲気と反し、スペンサーの反応は怖ろしい程に塩だった。


「済まないが、冗句の意味が分からない。そもそもデパートとは?」


 スペンサーはフォークを置き、スーツの胸元から出した清潔な合成セルロース布で拭う。


 ピースはその様を露骨に嫌そうに見て、彼女のお椀とフォークを取り上げ、流しへと放り込んだ。


「まて、スープをまだ飲んでない」


 不意を突かれ、なすすべなく食器を奪われたスペンサーはそう叫ぶ。


「食べたきゃ、明日も出しますよ。地下室に腐ることもなく大量に詰まってますからね。それより、貴女が最初に聞いてきたんですから最後まで人の話を聞きましょう」


「ああ、そうだった。HA-88の性能の話だったな。それで、馬力がどうした?」


「はあ、そこからですか? 本当に貴女が第六複合体の情報将校なのか疑わしくなってきましたよ」


「残念ながら、事実だ。なんなら、階級章を見せようか?」


 そう言って、スペンサーは肩口に取り付けられた腕章を見せつける。金色の三本の矢羽根が装飾されている。第六複合体の少佐の階級章。


 ピースは他所の勢力の組織表などカケラも知らなかったが、それが紛いものだとは到底思えなかった。

 

 時々、NAWの残骸から出て来る連中の死体にも同様の布切れが着いていたからだ。


「イエス・マム。少佐殿。二度と疑問は呈しませんとも」


 諦めたようにピースは嘯き、話を続けた。


「いっそのこと、面倒臭い前置きは全て省きましょう。外連味も何も有りはしないですが、答えはいつだって単純です。私のHAPPYが強いのは、コクピット容積を限界まで削り、特殊なエンジンを二連直結させているからですよ」


「だからわざわざ私の機体のコクピットを切り取って装甲コンテナにぶち込んだのか?」


「その通りです。二人乗り出来るスペースなんて物理的に存在しませんからね」


「実際どのぐらいだ?」


 ピースは引き攣った薄ら笑いを浮かべながら、自身の身体のラインをなぞって見せた。


「空き容量はゼロですとも」


 スペンサーは鼻で笑い飛ばす。


「それでどうやって操作出来る?ゴミを漁るどころか、背中も掛けやしないだろ」


 ピースは自身の義肢を叩いて見せる。


「義肢を動かすのと大差ありませんよ。コクピットとは名ばかりの密閉容器の中で緩衝材に埋もれ、ケーブルに神経を接続すれば万事解決です。バッテリーの端子を脳に突っ込むには相応の頭痛が伴いますが、幸運にも私にはコレがある」


 そう言って、指の間に挟んだ電子煙草を振って見せる。ガラス管中の虹色の液体、リバシンが波打った。


「お陰でどれだけ無茶な武装を積もうが、規格外の装甲を積もうが、拾ったスクラップを積む余裕がある。それこそ、NAWのコクピットを背負いながら、軍用機三機と渡り合える程の余裕です」


「特殊なエンジンというのは?」


「それ即ち、小型核分裂炉から搬出される熱エネルギーを特別上手く活かせるエンジンの事ですよ。核分裂という爆発的なエネルギーがそこにあるのに、それを運動エネルギーや電気エネルギーに変換する動力部は余りにも貧弱である。NAWこと、Nuclear Auto Warrior の開発当時から変わらぬ課題がそれです」


 ピースはこれみよがしに溜息をつき、HA-88を見つめる。


「余り言いたくは無かったんですが、私のHAPPYにはそれを解決出来るエンジンが乗ってるんです。普通のNAWじゃ無理ですが、HA-88のあの胴体なら何とか載せられますね」


「そんな都合の良い代物何処にあるっていうんだ」


 ピースは肩をすくめる。


「発電所ですよ。崩壊前に遺棄されたラヴァナス発電所の動力室です」


 その発電所の名をスペンサーは知っていた。

 戦前の地図にその名を見た覚えがある。東の端だ。少なくとも、発電所の名前という点においては嘘は言ってなさそうだ。


 だが、それ以上に信じ難い事があった。


「アレには発電所のジェネレーターが載ってるとでも?」


「だから言ったじゃ無いですか、HA-88の上にはデパートが建つって。デパートが建つなら、発電所ぐらい建ちますよ。端から勝負になんてなっちゃいないんです。少なくとも、出力の観点ではね…」


 スペンサーは呆けた様に窓の外の黄土色の巨人を見た。その胴体には、郷愁を感じさせる落書きの微笑みが浮かんでいる。

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