001:機械少女と女兵士


 橙色に染まる無人の廃墟都市。日は傾き、影法師がその身を限界まで伸ばしている。


 面積二十万平方キロメートルに及ぶこの広大な汚染地帯。


 残留する汚染物質と放射能は生物の侵入を拒み、その探索には常にNAWの鋼鉄の肉体が不可欠となる。


 一帯の勢力によって、此処はと呼称されていた。


 恐らく、此処に人類の遺物が大量に埋まっていなければ、誰一人ここを訪れることはないだろう。


 百害あって、一利のみ。それが第五空白地帯である。


 その只中を堂々と闊歩する、一機のNAWがいた。無骨な見た目に似合わぬスマイリーのペイント。吹き上がる白煙と重厚な四脚。見間違い様もないピースの乗るHA-88である。

 

 HA-88は手近な廃墟の影へと入り込んだ。


 その幅は凡そNAW一台が通れるか否かの境界寸前。

 それでも肩を擦らず、その回廊を上手く抜ければ、かなり広い空き地へ出る。


 建設予定地として確保されたその場所は、崩壊によって本来の役目を果たせず残されている。


 そして、空き地に張りだすように建てられたコンクリート製の建物には、一枚のシャッタ―が存在していた。


 ピースは無線で特定の信号を一定間隔で飛ばし、シャッターを開錠する。

 

 HA-88はその巨体を器用に中へと滑り込ませ、天井から吹き付けられる洗浄液で身を拭う。


 そして、除染室を隔てる二つ目のシャッターをくぐれば、其処はLEDが中を照らし出すれっきとしたガレージであった。


 簡易クレーンが天井を張り巡り、スペアパーツとおもしき鉄塊が壁際に積み上がっている。 真面に整頓されているのは、中央の駐機スペースと右の角に建てられた小さなプレハブの一帯だけだ。


 HA-88はガレージの中央で止まり、そのエンジンの息吹を止めた。


 胴体上面のハッチが開く。その中から身を滑り出させたのは、身長160㎝程の少女。

 その髪は燃え尽きた薪木のように黒と白と灰色が斑に混じり合っている。


 上に羽織った作業用ブルゾンがはためく。その背中には、円の中に鳥の足跡を逆さまにしたような図形、ピースマークが描かれている。


 彼女が上面の装甲板に降り立つと硬質な金属の音が鳴り響いた。


 彼女の両足は細身の金属製義肢であり、靴すら履いていない。


 彼女はスキップするようにHA-88の背部に増設された装甲コンテナへと渡り、その開閉ボタンをカツンと突いた。


 彼女の両腕は金属製義肢で恐ろしく精巧に、それでいて人間らしく駆動した。


 度重なる汚染への曝露は彼女に何一つとして残しはしなかったのだ。


 感傷に浸る間もなく、装甲コンテナの閂が外れる音が鳴り、その重厚なトラップドアが上へと跳ね開いた。


 中から、いきなり罵声が響く。


「交戦は避けろと言明したはずだ!無線も勝手に切って、何を考えている!?」


 その声の主は、重力を感じさせない身の軽さでピースの前へと降り立った。


 灰色をした細身の防護スーツを着た身長180後半の長身の女。

 スーツの上からでも分かる程にその身は引き締まり、洗練された筋肉が流麗なラインを引いている。


 彼女は煩わしそうに、赤い菱形六面体のエンブレムがあしらわれたヘルメットを脱ぎ去った。

 

 燃えるように紅い短髪がヘルメットの下から漏れ出る。


 その様はバーナーが火を噴いたかのように見えた。それほどに鮮烈な赤だった。


 年は三十前後。苛立たし気に細められたその瞳はフレッシェット弾の矢羽根より鋭い。

 余裕の無さが滲み出る程に顔は顰められていたが、生来の顔立ちの良さを打ち消す迄には至っていなかった。

 

それを茶化すように、ピースは言い返した。


「そう怒らないで。綺麗なお顔の性能が落ちてしまいますよ。スペンサー少佐。それに言っておきますけど、あそこで先に手を出していなければ、此方が鉄屑になってましたよ」


 スペンサーと呼ばれた女は悩まし気に腕を組む。


「違う、私が言っているのは、それ以前の市街地の抜け方だ。堂々と大通りを突っ切っていくやつがいるか?ゴミ漁りってのは、もう少し人目に付かず行動するものだろう?」


 その言葉に、長くなりそうだと結論付けたピースは、面倒臭げに鋼板の上へと腰を下ろす。


 金属義肢で器用に胡坐をかき、ブルゾンのポケットから電子煙草を取り出した。


 その薄い唇で蒸気口を加え電源を入れる。剥き出しの硝子管が沸き立ち、有機溶剤の果実臭が香る。


 有機溶剤リバシン。世界を変えた新技術の一つ。

 NAWの動力部である小型核分裂炉に充填され、反応の制御を可能とした偉大な物質。


 しかし、その裏の顔は余りにも非情だ。吸引した者に強い陶酔感と中毒症状を与える。シンナーなど目ではない。

 

「ここら辺りに人目なんて在りはしないですよ。普通ならね」


 蕩けた目でスペンサーを見る。世界は全て無問題だと言いたげな表情だ。しかし、それに対してその言葉には毒が含まれている。


「アナタが文句を垂れるなら、こっちにだって言い分はありますよ。私は、アナタがあそこで野垂れ死に欠けていた理由をまだ聞いちゃいない。少なくとも、貴女の口からはね」


 そう言って、装甲コンテナの奥を更に覗き込むピース。その奥には、回転鋸によって切り取られたNAWの胴体の一部が転がっていた。


 スペンサーの被っているヘルメットと同様の赤い菱形六面体のエンブレムが鈍く光っている。


「さしずめ、貴女の所属する第六複合体がお隣の民兵組織コーザ=アストラと紛争を始めて、その先兵として派遣されたのが貴女。威力偵察にぶつかってみた結果、お仲間もろともあの戦闘集団にボコられた。命からがら逃げ出したは良いが、NAWは半壊。汚染地帯のど真ん中。しかし、運良く通り掛かったのは、物好きなゴミ漁りだったと…そんな所でしょうね」


 そこまで一気に言い切ると、大きく電子煙草の蒸気を吐き出した。


 宙へ甘い匂いの毒が広がる。人を愚図にし、天国という名の辺獄へ誘う魔性の気体。リバシン、それが毒の名だった。

 

 ピースの言葉を一つとして否定しなかったスペンサーだが、その匂いに関してだけは別だった。勘づく否や鼻を覆い、ピースを睨み付ける。


「おい、ピース。お前幾つだ?」


「17ですが、いきなり、なんです?今の自分の状況の惨めさのせいで、私の若さに嫉妬しました?」


「悪いことは言わない。ソレは辞めておけ、無くちゃならないものだが、吸ってはいけない代物だ」


「ははは、他人を心配する暇があるなら自分の未来を憂うべきですよ。カスター将軍みたく、スペンサーカービン片手にリトル・ビッグホーンの荒野でインディアン相手に名誉の討ち死にとはいきたくないでしょう?」


 卑屈に笑うピース。人間離れした歯並びの良さの合金製入歯が覗く。つぶらな瞳の奥では作り物のレンズが駆動している。


「可愛げの無い女の子だ。本当に、人間なのか?」


「すくなくとも、脳味噌は人間ですよ。それ以外はブリキ製だけどね」


 スペンサーは少しだけ押し黙り、聞いた。元来、口下手なのかもしれない。


「私は憐れむべきか?」


「何方でも構いません。このおかげで、通りを防護服なしで外の世界を闊歩できる。ひょっとすると、生身の貴女より人間らしい生活を送れてるやもしれませんね」


「一理あるな。とはいえ、それも崩壊以前の世界基準の価値観だ。今は違う。人工臓器や義肢の移植確率は5割以下だ。そんなギャンブルをお前は体の全てを入れ替えるまで繰り返したわけだ。十分、頭がおかしい」


「手術場所を選べば、六割ぐらいにはなりますよ。少佐」


 そう嘯き、懐へ電子煙草をしまうピース。そして、気を取り直したように立ち上がり、近くに折りたたまれたタラップを下ろす。


「こんな場所で長く話し過ぎました。明日は貴女のお仲間の前哨基地までお連れしましょう。今は休む時です。戦士にもゴミ漁りにも同様に休息が必要ですよ」


 ピースは四本の義肢を巧みに動かし、慇懃にタラップへとスペンサーを促した。

 その向こうには、壁面に寄り添うようにちっぽけなプレハブが建てられ、淡い橙色の明かりが灯っていた。

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