渚とビッグツー

 秋田県横手市立春熊中学校三年二組では、六限目の時間を使い、来月の文化祭に向けた話し合いが行われていた。

 

 担任である福嶋先生が校内くじ引きで引き当てた『体育館を使える権利』により、二組の方針はすぐに舞台を行う事に決まった。

 

 教室の窓側一番後ろの席に座る渚は、どんどん盛り上がりを見せるクラスの中で、一人退屈そうに外を見つめていた。

 

 元々目立つ方では無いが、クラスの行事に消極的な訳ではないし、クラスのみんなが嫌いだとかそう言うわけでもない。

 

 ただ、渚には舞台という言葉に苦い思い出があった。

 

 渚が小学三年生だった頃の事。

 

 舞台の発表会で、主役のお姫様役に決まっていた女の子が当日風邪を引いてしまい、セリフの無いただの雲の役であった渚が急遽代役を務める事になった。

 

 渚は本番前の少しの練習を経て、舞台に立った。

 

 だが、役を演じきった渚を待っていたのは、観客の拍手では無く、沈黙であった。

 

 他の組の子、その親、先生達までもが、渚の演技を見て完全に黙り込んでいた。

 

 冷ややかにも感じる周りの目線は、幼い渚に『自分は演技をする人間では無い』と思わせるのに充分だった。

 

 だからこそ、渚は舞台というものに憧れを持ちつつも、積極的にはなれなかった。

 

 そんな渚を置いてけぼりに、クラスでの話し合いは進んでいく。

 

 黒板に書かれた舞台のタイトルは「聖女転生」。

 

 クラスメイトの高田が、いわゆるなろう系が大好きで、実は台本を書いていたという事から決まったタイトルだ。

 

 内容はよくある転生物の作品を参考に、火あぶりの刑にあったジャンヌダルクが異世界に転生して、神だのなんだのから解放され、気ままな人生を送る。というものだ。

 

 反対意見もあったが、最終的にクラスの誰かが放った「せっかく書いてんだったらそれでやろうぜ」が決め手となり、採用されることとなった。

 

 まず裏方担当や小道具担当が決まって行き、話は主役決めとなった。

 

 三年二組にとって、この主役決め程スムーズにいくものは無い。渚を含む殆どのクラスメイトの共通認識であった。

 

 このクラスには、将来の成功が既に約束された春熊中学のビッグツーと呼ばれる二人が存在している。

 

 その内の一人が、吉永 真子。

 

 中学三年生にして既に『若手女優三本柱』の一人と呼ばれ、有名タレント事務所『ブロッサム』に所属しているスタイル抜群の女の子。

 

 ハッキリした二重瞼に綺麗な鼻筋、少しふっくらした唇に小さな顔。少し茶色を帯びた綺麗な髪。

 

 子供のころから芸能活動を行い、清涼飲料水のcmに出演したことがきっかけで一気にブレイクした。現在は有名企業とのcmを何本もこなしている。

 

 春熊中学のみならず、日本国内においてかなりの有名人であり、中学卒業と同時に東京に引っ越すことが決まっている。

 

 そんな真子が、中学生活最後の思い出として学校の舞台に出るというのだから、主役意外あり得ない。

 

 福嶋先生は「主役をやりたいという人はいますか?」当然誰もするはずが無い。

 

 「では、吉永さんにお願いしたい人?」

 

 福嶋先生のその言葉で、総勢28名のクラスメイトが口々に「は~い」と言いながら手を上げていく。

 

 真子は「仕方ないな」と興味が無いそぶりを見せながら、当然とばかりの笑顔を見せている。

 

 渚もそれに釣られて手を上げようとした時、隣の席のある人物が予想外の行動を取っている事に気付き、口をポカンと開けて驚いた。

 

 その人物とは、ビッグツーのもう一人、国宮 圭。

 

 爽やかな短髪。鋭い目つき。176cmの身長に長い足。両耳にピアスを着け、気だるい雰囲気を感じさせつつも、どこか不思議な魅力を放つ男の子。

 

 15歳にして天才カメラマンと呼ばれ、撮った動画は100%バズると言われている。数多くの有名なアーティストともコラボを行い、作った映像作品の数は既に100を越えている。

 

 そんな圭が立ち上がり、何故か渚を指差している。

 

 「俺、こいつにやらせたいんだけど」

 

 「はあ?」

 

 真子と渚は、別の意味のこもった同じ一言を口にした。

    

 全員の注目が一気に渚に集まる。

 

 「ちょちょちょ待ってよ圭。何言ってんの?」

 

 訳が分からずに焦る渚。

 

 「ん?言ってるまんまだけど。嫌なの?」

 

 子共の様な純粋な目で見つめてくる圭に、渚は呆気にとられた。

 

 「い…嫌とかじゃないけどさ…。でも、私なんかより…」

 

 「じゃあいいじゃん、やれよ」

 

 「話聞けよ」

 

 そんな二人のやり取りに嫌気が差したのか、真子が立ち上がった(この時、クラスの中で渚だけは、般若の様に怒りの表情を見せた真子が、立ち上がる時には笑顔に戻っていた事に気付いた)。

 

 「圭君、残念だけどもう多数決で私に決まっちゃったみたいよ」

 

 「別に多数決で決まるなんて誰も言ってねえだろ。なあ?先生?」

 

 急に自分に向いたビッグツーの矛先に、福嶋先生は「え~っと…」と詰まる。

 

 「ほら、先生を困らせないであげてよ。せっかくの中学生活最後の舞台なんだから、みんなで良いものにしましょうよ。ね、みんな?」

 

 周りにとびきりの優しさを振りまく真子の笑顔は、周囲の同調を誘うには充分すぎるほどだった。

 

 しかし、圭だけは全く動じない。

 

 「そんなの分かってるって。だからこいつにやらせようと思ってんだよ」

 

 左手の親指で渚を指差す圭。

 

 真子の眉がピクリと動く。

 

 「どういう事?私よりナギの方が良い演技をするって言いたいの?」

 

 「さあ?それは分かんねえ」

 

 「分かんないって何?私は昔からずっと演技の勉強もしてるし、それなりに経験もあるのよ。そんな私が、何もしてない渚に負けるわけないでしょ」

 

 「あ~そう。だったらグダグダ言ってねえで演技で決めたらいいんじゃね?」

 

 圭は渚を見た。

 

 「って渚が言ってるぜ」

 

 (言ってるわけねえだろが!!)

 

 そうデカい声で言いたいところを、渚は何とか堪えた。

 

 出来るだけ穏便に、真子を怒らせずに上手く切り抜けるための言葉を探す渚。だが、話は渚を置いてグイグイと進んでいく。

 

 「分かったわ。じゃあそうしましょ」

 

 真子は意外にも素直に受け入れると、前を向き、座り直した。

 

 「あの~物凄く私、置いてかれちゃってる気がするんですけど」

 

 圭は渚を無視し、高田の元へと歩いて行くと、台本にさっと目を通した。

 

 「うん。粗はあるけど、結構面白そうじゃん。これお前、初めて書いたのか?」

 

 圭に褒められた高田は「うん」と頷くと、初恋相手に告白された女子の様に頬を赤らめている。

 

 「う~ん、この感じだと全部で20分ぐらいの舞台になるか。全部見るのも長すぎるし、最初の15秒の火あぶりにされるシーンにしようぜ。それでいいか?二人共」

 

 真子は不機嫌なまま反応しない。

 

 渚は必死に両手で大きく圭に「やめろ」と送り続けている。

 

 「オッケー。じゃあ決定って事で。セリフも多いわけじゃないし、明日の放課後にしようぜ。高田、悪いけど二人に先に台本のコピー渡してやってくれ」

 

 圭の言葉と同時に、チャイムが鳴った。

 

 ホームルームを終え、さっさと帰ろうとする圭を、渚は引き留めた。

 

 「ねえ。私と真子ちゃんで演技対決なんて、本気で言ってるの?」

 

 「本気じゃねえなら言わねえだろ」

 

 「いやいや。だっておかしいじゃん。私が真子ちゃんに敵うわけないじゃん」

 

 「なんかお前、すぐ諦める様になっちまったな」

 

 圭は少し寂しそうな目を見せると、渚に背を向けた。

 

 「何やっても上手くいく圭には、私みたいな人の気持ちなんて、何も分からないんだよ」

 

 圭の動きが止まった。

 

 「そんなわけねえだろ」

 

 圭はそう呟くと、少しだけ渚を振り返った。

 

 「何も分かってねえのはお前の方だろ」

 

 「はあ?それどういう…」

 

 引き留めようとする渚を無視し、圭は教室を出た。

 

 渚は乱暴に椅子に座りなおすと、頭を抱えた。

 

 (何よ圭の奴。無責任な事ばっか言って。ほんっと意味わかんない。そもそも普段あんまり話しかけてこないくせに急に何だってのよ。もう知らない、決めた。真子ちゃんに話して今回の事は無かった事にしてもらおう。うん、きっとそれが良い。私なんかより、真子ちゃんの方が凄いんだから)

 

 教室内には既に真子の姿は無い。

 

 (まだ遠くには行ってないはず)

 

 渚は急いで教室を出た。

 

 すぐに目に入ってきたのは、神妙な面持ちで向き合う真子と圭だった。

 

 咄嗟に隠れた渚は、聞き耳を立てる。

 

 「圭君、もしかしてまだナギに期待してるの?」

 

 「そんなんじゃねえよ」

 

 「だったら私でいいじゃない。私ならきっと、圭君の夢だって…」

 

 圭の夢。

 

 それは昔、渚もよく圭の口から聞かされていた理想の話であった。

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