ラストヒーロー

4N2

ユキハルに降る春

 アラームが鳴った。

 

 最大にまで設定している爆音で目覚めた優希晴ユキハルは、いつも通り自室のベッドで目覚めた。


 アラームを切り、大あくびをしながら立ち上がると、聞こえてくるテレビの音に導かれる様に部屋を出た。

 小さなアパートの一室であるこの家では、自分の部屋からリビングへは直通である。

 リビングには誰もおらず、テレビの明かりだけが付いている。


 「また点けっぱなしで行ったのかよ。ほんと、何回言っても覚えないな」


 いつも大急ぎで家を出る母親は、よくテレビを消すのを忘れていく。


 軽い悪態をつきながら、ユキハルはテレビに目をやった。


 朝のニュース番組の星座占いコーナー。一位発表の瞬間であった。


 『今日の第一位はしし座のあなた!最高の出会いがあなたに降って来る予感。勇気をもって一歩を踏み出してみよう。ラッキーアイテムは真っ白な紙。願いを書いてみると叶うかも?』

 

 朝の占いコーナーというものは勝手なもので、占いなんて当たらないとは思いつつも、順位によってその日の朝のテンションを左右されてしまう。

 

 上位だった時の少しの優越感。


 真ん中辺りに位置された時の虚無感。


 最下位で呼ばれた時のがっかり感。


 ただその分、十二分の一の座に座った時の喜びは割と大きい。


 お金が稼げるわけでもないし、特別な力が得られるわけではない。


 少し良い気分になれるだけ。


 だが、その程度の事が日々にとって大事だったりする。


 本日の第一位で呼ばれた男、優希晴ユキハルは小さくガッツポーズをした。


 三日連続占い最下位という歴代最長の屈辱を乗り越えて迎えた本日は、彼の誕生日だった。


 マンション三階からの植木鉢落下。


 電柱からのハトのうんち爆撃。


 100%晴れ予報からのどしゃ濡れ。


 全て、ここ三日間の最下位男に起きた出来事だ。


 不幸な事が起きた分幸福も起きるというのなら、一位の今日に大きな揺り戻しがないと割に合わない。


 必ず良い一日になる。いや、してみせる。


 ユキハルの決意は、並々ならないものになっていた。


 洗面台に行き、いつもより念入りに鏡をチェックする。


 天然パーマのくせ毛っ子であるユキハルは、人よりも準備に時間がかかる。


 今日は更にその二倍の時間をかけて入念にキメていく。


 何故なら今日は一位だから。


 決してイケメンでないことは自分でも分かっている。


 身長168cmの58kgという細めの体型に、絶好調の状態でもクラスメイトの女の子から「今日疲れてるね」と言われるほどの気だるい顔。


 でも、今日ぐらいはキメてもいいじゃない。


 何故なら僕は、一位なんだから。


 ユキハルはリビングへと戻ると、テーブルに置かれたラップにかけられた一人分の朝食に手を伸ばした。


 横には置手紙が添えられている。


 『優希晴!誕生日おめでと!今日も学校頑張ってね!母はお仕事に行ってます。朝ごはんは優希晴の好きなソーセージスクランブルエッグ丼にしといたから、これ食べて元気に行ってらっしゃい。ps・今夜は豪華にすき焼にでもしちゃうからお楽しみに』


 母親と二人暮らしのユキハルは、一人で食事をとる事がほとんどだ。


 起きる前に出て行って、寝た後に帰って来る母親との会話はこの手紙と、たまにのメッセージぐらい。


 寂しい気持ちは当然あるが、一人で育ててくれている母親に文句などない。


 早く大人になって楽をさせてあげたいぐらいには思っている。


 ユキハルは小さく「頂きます」と呟くと、ささっと食事を終えた。


 食器を洗い終えたところで、時刻は七時二十分。


 家から駅までは走っても五分程度。歩いても十分あれば到着する。


 七時五十分丁度に到着する電車に乗れば、登校時間までには充分間に合う。


 ーーまだ時間はあるな。


 テーブルに肘をつき、適当にテレビのチャンネルを回すユキハル。


 同じ様なニュース番組がいくつかある中で、子供用の番組が一つ。


 流行っている玩具の紹介や、新作のゲームの話を司会者が大げさなリアクションでしている。


 「昔は夢中になって見てたよなー」


 懐かしいような、寂しいような気持で眺める。


 この後に始まるのは、日替わりのヒーロー番組。


 小さい頃は待ち遠しくて仕方なかったこの時間も、今となってはどんな作品が流れているのかも知らない。憧れていたヒーロー達から遠ざかっている自分に、それが大人になる事だ、なんて思ってみたりもする。


 少し時間が経ったところで、ユキハルは自分の部屋に戻り、母さんから高校の入学祝いに貰った腕時計(そこそこ良いブランド。お客さんから貰ったけど趣味じゃないらしい)を左手に巻くと、四十分丁度に玄関の扉を開けた。


 小さなアパートの二階にあるこの部屋からは、外の景色がよく見える。


 空は生憎の曇り空。


 ここからそう遠くない場所にある古びた工場からは、黒い煙が空まで登って曇り空と混ざっている。


 ユキハルは階段を降りると、目の前にある細道を抜け、商店街に着いた。


 来宮商店街くるみやしょうてんがいと呼ばれるこの商店街は、今だに昭和の雰囲気を漂わせていて、老舗の団子屋『木ノ蜜屋』を筆頭に、漬物屋や和雑貨屋といった昔ながらの店が多く立ち並んでいる。


 この商店街は駅と直通で繋がっていて、まっすぐ歩いて行き、出口に着けば自動的に駅にも着くというわけだ。


 ほとんどの店が八時には開店する。


 それぞれの店から聞こえてくる声は、どんどん活気を増していっていた。


 「ユキ坊、ユキ坊」


 木ノ蜜屋の店頭から、しわがれた声がユキハルの名前を呼んだ。


 「あっ、おはよう。鶴ばあ」


  鶴ばあは、ユキハルが小さい頃から可愛がってくれている木ノ蜜屋の四代目店主だ。正確な年齢はユキハルにも分からないが、鶴ばあ曰く永遠の25歳らしく(大体その数字を三倍した位が正確な年齢だとユキハルは睨んでいる)、今だに定期的に新作の団子を作り続けているというバイタリティーおばあちゃんだ。


 鶴ばあは手招きすると、小さな団子が三つ刺さった串をユキハルに手渡した。


 「ほれ、新しいの作ってみたから味見にどうだい?出来立てだからうめえよ」


 「へえ~何これ?」


 「知り合いの人からもらった牛乳で作った生クリームで包んでみたんだよ。これがまた美味しくてね~。ユキ坊みたいな今時の子達にも売れるんじゃねえかって思ってんだよ」


 「ふーん」


 一口食べた。


 クリームの甘みと団子の柔らかさは、まるで涼しい風に吹かれながら牧場のフカフカの草に寝そべっているかのような優しさを感じさせる。思わず「うまっ!」と叫んでしまう程の美味しさであった。


 鶴ばあの嬉しそうな顔を横目に、ユキハルは一気に団子を食べ終えた。


 「鶴ばあ、ありがと!じゃあ行ってくるね!」


 「おう、また帰りにでもよりんしゃい」


 鶴ばあが嬉しそうに店内に引っ込むと、ユキハルも再び歩き始めた。


 占いは一位だし、髪型は決まってるし、団子は美味いし、今日は絶対に良い一日になる。


 そう確信し、少しテンションの上がったユキハルは、空を見上げた。


 別に何かの気配を感じたとか、雲の動きが気になったとか、そういう何かの理由を付けるほどでもない、ただ日常でよくある何となくの行動だった。


 ユキハルは曇り空の中に一つ、小さな点の様なものを見つけた。


 「何だあれ?」


 気になって目を凝らす。


 飛行機ではない。


 気球や風船の類でもない。


 正体不明な何か。


 じっと見つめていると、少しずつその点が大きくなって来る事に気付く。


 輪郭がはっきりしていく。そして気付く。それがただの点ではない事に。


 ユキハルは驚いた。いや、驚いたなんてもんじゃない。開いた口が塞がらないままおでこにまで到達しそうな程に驚愕した。


 なぜなら、遥か上空から一人の女の子がこちらに向かって真っ逆さまに落ちて来ていたからだ。


 ユキハルより一回りほど小さく、薄い金色の長い髪に映える真っ黒な帽子に真っ黒なワンピースを着た女の子。


 目を閉じ、落下に身を任せているようであった。諦めているようにも、悲しんでいるようにも見える。


 その女の子の姿に、何故だかユキハルは直感的に、助けないといけないと感じた。


 ユキハルは吸い込まれる様に一歩前に踏み出し、女の子の真下に立つと、女の子に向かって手を伸ばした。


 まるで、何度も映画で見たような光景。


 空から降ってきた見知らぬ女の子を助ける主人公。


 全ての男の子が憧れるようなこのシチュエーション。


 正に、ヒーローになれる瞬間。


 女の子がふわりと主人公の腕の中に着地してストーリーが始まる。


 だが、次に起こったのは、ユキハルのそんな甘い想像とは全くの逆。


 「あれ?ちょっと待って。これ、大丈夫?」


 ユキハルに近づくにつれて、女の子の落下スピードは増していく。


 「やばいやばいやばいやばい。速すぎるって!!」


 どんどん速くなっていくその速さは、ひ弱なユキハルが到底受け止めきれるはずもない事は明らかだった。


 だが、それに気づいた時にはすでに遅かった。


 ユキハルの体は、落下する女の子と衝突するやいなや、おぞましい結末を迎えた。


 コンクリートのひんやりとした感触を後頭部に感じる。


 手や足を動かそうにも、体は動かない。


 いや、動かないのではない、無いのだ。


 恐る恐る視線を下に映すと、ユキハルと女の子の体は、テレビだったら絶対にモザイクが入っているであろう酷い有様の状態であった。


 真っ赤な血の暖かさと、ひんやりとした冷たさが頬を擦る。


 ーー何が『最高の出会いが降ってくる』だよ。


 占いなんてもう二度と信用してやらないからなーー


 痛みが増していく。それと反比例するように意識は遠のいていく。


 薄れていく意識の中、曇り空の隙間から見えたのは、大きな扉。


 空に透明な、だがハッキリと分かるぐらい大きな扉が浮かんでいた。


 「はは、何だあれ。天国への扉って奴かな?僕…死ぬんだな…」


 母さんから貰った腕時計は、7時48分を指しながら止まっている。


 「時計、壊しちゃったな…」


 ユキハルの意識は、ここで完全に途切れた。

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