第4話 姫とネクロマンサーと2


「死生観が似ていると言ったけど、要するに宗教観が似てるんだ」

「どのようなところがだ」

「一番は多神教ってところだろうな。例えばパージャ人は森に生えている木は一本一本が別々の神様が作っているって考え方があるだろう?」

「そうだな。だからこそ枝付きや形が違うのだと教わった。それだけ神様が大勢いるということもな」

「ニホン人は更に多くの神が世の中に蔓延っていると考える。麦や米の穂の一粒一粒にまで神様が宿っている。だから粗末にしてはいけませんよと言われて育つ」


 俺がいた時代はそんなこと言う奴は稀有だったが、という言葉をシハンは飲み込んだ。


「それは…夥しい数になるな」

「それともう一つ。歴史の中で海外からやってきた宗教観と土着の信仰が融合したってところもそっくりだ。しかもどういう訳か、ニホンにもパージャにも似た様な観念がある」

「例えば?」

「そうだな…例えばニホン人もパージャ人も死後の世界と自分たちのいる世界が別だとは思っていないところとか、かな」

「ん? どういう意味だ?」

「その気になれば死者と生者がお互いに干渉しあえると思っているところさ、つまりは死者の世界と自分たちの世界は繋がっているって考えているだろ?」

「いや、そんな事はないだろう。少なくとも俺は死んだ人間に干渉したことなんかないぞ」

「そうかな? 夏になると先祖の霊があの世から家に戻ってくると言って、支度をするだろ」

「…ウラムバナのことか」

「そうそう。ニホンだとオボンっていうんだけどな。パージャ人と同じく、死んだはずの祖先の霊が一年に一度だけ帰ってくるから家族総出で持て成す。もしも死後の世界が自分たちと違うところに存在していると思っているなら、死者の霊魂がこっちに戻ってこられる道理がないし、干渉できないならもてなそうとすら思わないはずだ。その上どっちの国でも死者は歩いてあの世に行くと思っている節がある。ニホン人の場合は七日毎に要所々々に辿り着いて、四十九日目にしてようやく死後行くべき場所が決定すると考えているくらい死後の世界は遠い場所にあるが、それでもやはり地続きになっていることに違和感を持ってはいない。これはつまり、心の底では、その気になれば死者と生者は互いに干渉しあえると思っているからさ」

「うーむ」

「この考え方は向こうの世界でもこっちも世界でもやや特殊だな。島国で外界とのやり取りが中々起きないで自国の文化を育んできた、そこに海外からの宗教観や文化が入ってきた。もしもパージャやニホンが一神教の文化だったなら、ここまでのハイブリットな状況にはならなかったかもしれない」

「一神教か多神教かというのは、そこまでのものか」

「当然だろ」

「多神教文化のパージャ生まれで良かったかもな。他の国の一神教みたいなところだったらどうなっていた事か。多神教の方が理解があるんだから、世の中皆多神教になってしまえばいいものを」


 今、パージャが直面している戦争の事実を踏まえてイーデルは発言したのだがすぐにそれを後悔することになる。チャリスの鋭く排斥するかのような声がこだまする。


「それは違うぞ、イーデル」

「チャリス様?」

「其方の今のような考え方は危険だ」

「え」

「我が国を始め、多神教というものは多文化を許容する範囲が大きいことは認めよう。一神教は自らの教えに矜恃を持ち、他の文化を認めずに排他し得ることも確かだ。しかし、それが一神教を貶め、多神教を褒めそやす理由にはならないはずだ。どちらにも欠点はある」

「…」

「多神教は他文化や他の神を容認できるというのは、裏を返せば入ってくるものを拒むことができないということになる。そしてその国にとって良いモノだけが入ってくることはありえない。当然悪しき文化、邪な考え方、我が国にはそぐわない教えがいずれこのパージャにも入ってくることだろう」

「…それは、そうかもしれませんが」

「そうなったとき、我々には一神教のようにそれを退ける術がない。糾弾しようにも、その文化を認めた以上弾圧する事は難しいし、それに民の反感も大いに買うことになるだろう。現に他国との往来や嗜好品の出入が増えた半面、民たちのあり方と考え方が変わりつつあって国の力で抑えられなくなりつつあると、大臣が零していた」

「…すげーな、この子」


 チャリスはふうっと息を漏らすと、今まで纏っていた一国の姫としての雰囲気を脱ぎ捨てて、先程までのような年相応の顔つきに戻る。


「其方の国ではどうだったのだ? パージャと似た様な性格を持っているのなら、同じようなことが起きているのではないのか?」

「そうだね。さっき国の力で抑えられなくなっていると言っていたが、正しくその通りだ」

「やはりそうか…」

「パージャとニホンの一番の違いは戦争で大敗を期していないってところだろうな」

「戦争があったのか」

「ああ。とは言っても、向こうでオレが生まれる何十年も前の話だけどな。けれど…やっぱり戦争に負けるというのは、ニホン人にとって相当大きな出来事だったんだろうな」

「当たり前であろう」

「そんな意識をあっちで生きてる頃にはしなかったのさ。所詮は過去の出来事、歴史の教科書の一ページでしかないと思ってた。けど、この世界に生まれて、パージャで過ごしてみると、色々と思いにふけることも多い」

「聞いても良いか。其方が今思っている事を、これからのパージャのために」

「責任重大だな。つっても、大それたことは考えてないですよ」

「構わん。色々な意味で其方の意見は貴重だからな」

「そうですね、ニホンは戦争に負けてからは、自分たちに勝った国の文化を積極的に取り入れ始めた」

「何故だ? 戦争に負けた国など、むしろ恨み辛みで排除的になるものではないのか」

「そんなことなんか考えられない程、アイデンティティが壊されたんだよ。あれだけの数の神々が宿る国だぜ? 戦争に負けるなんてこれっぽっちも思っていなかったはずだ」

「…」

「それからのニホンは、今での自然崇拝と国家主義を捨てた。神々は自分たちを助けてはくれない、そして兵隊ばかりを死なせた国のいうことなど聞いて居られないってね」

「…そうか」

「そして自分たちに勝った国を見習って、産業と商業に生きることを選んだ。森も山も海も川も、何もかも削っては生産場を作って、店を作って、金を作ることに生きがいを見出すようになる。自然は徹底的に排除され、かつてない勢いで都市化していった。そうしてあっちの世界では、五十年足らずで二番目に国力を持つ国になった」

「すごいじゃないか」

「そういうことがあった時代の後に生まれたから、俺は何とも思ってないけどな」

「それで…弊害はあったのか?」

「もちろんあった…と俺は思ってる」

「どのような」

「商業の世界では成功したと言っていいだろうが、人間は金だけで生きて行くわけじゃないからな。その上、成長が早すぎて、それを支える足場、延いては精神面の土台が出来上がってなかったんだ、と思う」

「というと?」

「簡単な話さ。今までは自然崇拝と沢山の神々に囲まれて、土を耕しながら文化を育んできたんだ。ゆっくりと商業的な成長をしていけばまだ話は変わったんだろうが、いかんせん早すぎた。商人的な考え方と多神教の文化は相性が悪い」

「商業と宗教に相性なんてものがあるのか」

「もちろんだ。宗教というのは商業活動とは絶対に切り離すことはできない、これは一神教も多神教も一緒だ。海山で獲物を捕り、土を耕して作物を作って売って生活を成り立てるという商業活動には多神教が合う。自然は人間にとって恵みと恐ろしさ、豊作と凶作みたいな多面性を見せる。同じ土地でも作物の出来は毎年違う。そういう自然ならではの理不尽さを取り入れて、精神性を保つには良い神、悪い神と色々な受け皿が必要になる」

「同じ神でも怒らせれば祟るし、崇めれば加護をくださる、ということか」

「まさしく。それに対して一神教は実に商売的な要素と相性がいい。多神教の世界ではあり得ない絶対的価値観を持つ『唯一神』という存在があるからね。基準や意識やらを統合するのにうってつけだ。そして同じく、商売には絶対的な価値観を持つ『金銭』というものが存在する。どちらも今日と明日で価値が違いますのなんてことは…まあ滅多には起こらないし、人間側もそんなことが起こらないように細心の注意をはらう。そして一神教と商売は、自然発生のような理不尽さを認めないところでも共通している。神は人間を救うために存在し、安定的なものを好む。だから一神教の神はよく契約や約束みたいな言葉を使う。それを守っている内は加護に預かれるし、破れば罰が与えられる。悪魔という存在に

したって人間をただただ理不尽に襲うことはない。神との契約を破らせようと画策し、人間相手に取引を持ち掛けてから破滅させるのが好きだったりと、実に商業的だろ?」

「言われてみれば、確かに」

「だからね、ニホンは商業的な社会に変わる為に自分たちの今までの多神信仰を捨てるべきだったのかも知れない。都市化した社会というのは実に商業的だ。崇めるべき自然が都市にはないからね。そこで多神教の精神性を保つのは中々難しい。都市化した街の人間たちは、自然的なものを排斥して絶対的な価値観を持つ何かを求める。だからある者は拝金主義に、ある者は新興宗教に、ある者は芸能人のような突出した人間を絶対視するようにして精神性を保つようになって言った訳さ」

「今までの信仰を捨てるというのは大変そうだな」

「他人事じゃない。パージャもいずれそうなる…と俺は思っている」

「そう思うか」

「ああ。とは言っても、お前が死んで更に経ってからの話だろうけどね」

「…」

「行く末が気になるなら、丁度いい頃合いで蘇らせてやろうか?」

「…考えておくよ」


 いつもの口合いにイーデルとシハンは笑った。が、すぐにイーデルはいつになく神妙な面持ちになった。それに気が付いたシハンは気にかけた声を出す。


「どうかしたか?」

「ふと思っただけなんだが」

「うん?」

「一神教と多神教ってどういう経緯で生まれたんだ?」

「そうだなぁ…飽くまでオレ個人の意見だと、どんな宗教もまずは多神教から始まる」

「どうしてだ?」

「宗教が生まれるには、まず社会性が必要だからさ。世の中に自分一人しか信仰していない宗教は宗教とは呼べない。そこでまず一つの村なり、町なり、国が出来上がる。これはつまり、多くの人間が『定住』するということになる。こうなった場合、人々の一番の関心事は食糧問題だ。海、山、野原に得物を狩りに出かける。すると山岳や海洋に対する恐れや感謝、ひいては崇拝が生じる。これが多神教の生まれる流れだ」

「なら一神教は」

「一神教は、これに対して戦争や略奪、災害、疫病みたいな理由で一つの場所に『定住ができなかった』集団の中で生まれる。どこかに拠点をおき、獲物を狩ったり作物を育てたりという事ができなかった。じゃあ、そういう人たちはどうやって生き延びたかというと、商売と金銭獲得に生きるしかなかった。物品を作ったり、定住組の作った作物を運んだり、金貸しをしたりとね。だが、これは自然相手とはまた別の意味で不安定な生活だ。そうなると、神様の機嫌次第なんて曖昧で相対的なものは必要ない。手堅く確実で、絶対の存在に縋る。こうして唯一なる神が信仰される」

「なるほど」

「その証拠にパージャを始め、多神教の神話には大抵その土地の名前が入る。パージャ神話、ナキリス神話、ゴゴ神話って具合にね。それはあっちの世界でも一緒だ。ニホン神話、ギリシャ神話、エジプト神話…あっちの知名は分からないか」

「…」

「何か言いいたそうだね、姫さん」


 黙り切っていたチャリスに気が付いたシハンは、優しく声を掛けてやった。


「いや…先ほど其方が言った一人しか信者のいない宗教は宗教たり得ないというのが、確かにその通りだと思ってな」

「ふふふ。実に良い所に引っかかってくれる」

「どういう意味だ?」

「それは宗教にだけ当てはまる話じゃない。実に多くの物事が複数の人間に支えられることで成り立っている。それは『死ぬ』ということでも例外ではない」

「ん?」

「つまりね、この世の中に一人だけの死と言うものは存在しないって事さ。人が死ぬためには、生きている別の誰かが必要になる」

「そんな事はないだろう。誰かが居ようと居なかろうと人は死ぬ」

「と、皆がコイツのように思って暮らしている訳だ、死んだことがないのにね」

「…」

「それについては思ったことがある。仮に死によって私の意識が終わるのなら、私は自分が死んだということをどうやっても知ることができない、ということだろう」

「その通りだよ。自分の死を自覚するための意識は死ねばなくなるんだ。だからどんな生き物でも死を経験することだけは絶対にない。周りの人間が『ああ、動かなくなった。心臓が止まっている。息をしていない。これは死んだのだ』と確認してくれることでようやく、その個に死が訪れる。イーデルのような錯覚を起こすのは、俺達に想像力があるからだ。他人の死をあたかも自分に置き換えている・・・だが、決して空想の域を出ることはない」

「死は相対的でしかないというのか」

「ああ。死は集団の中でしか作用しないし、個人が死ぬ事などあり得ない」

「…個人が死ぬことなどない。しかし…しかし、個人が集まって集団が生まれる以上――」

「それは勘違いだよ、お姫様。個人が集団を作るんじゃない、集団が個人を作るんだ」

「…また訳の分からない事を」

「そんなに変なこと言っているか? イーデル、仮にお前が今の今までどんな人間とも関わらずに生きてきたとしよう。その場合、一人で生きているという考えは生まれないはずだ。『一人』という考え方が複数を想定している言葉だからね。それを個人に言い換えても話は同じだ。社会やら組織やらの中で、自分と違う人間と接して暮らしている中で、自分は他とは違う。自分は『個人なのだ』と自覚するんだろう?」

「んん?」


 イーデルは頭がこんがらがってしまった。


「集団よりも個人が先立つと勘違いしていると、精神衛生上よろしくないし、それが行き過ぎると利己的な思考になりやすいよ。別に個人を尊重するなとか、社会主義になれって話をしている訳じゃないから、そこは勘違いしないでくれ。個人というものは、それはそれで存在している」

「だが、その個人が死ぬことはないと言ったな」

「ああ、そう言った」

「死というのは相対的で、集団が判定する要素で、個人に決定権がある訳でない」

「そういう事だね」

「ならば集団が個人の死を認めなければ、それは死んでいないということになるのか」

「ん?」


 シハンは今まで見せたことなない顔になった。それは期待に胸をふくらましているというのが一番ぴったりくるような顔だ。


「いや、相対的であるということは言い換えれば、絶対的ではないということでもある…ならば」


 恐る恐る、言ってはいけない事を言ってしまうような心持ちでチャリスはそれを口にする。



「其方は――この世で死んだことのある人間など一人もいないと言いたいのか?」



 そう聞いたシハンは何でもない事のように、実にあっけらかんとした態度を貫いている。


「ああ。というか大分前からそう言ってる」

「言っていたか? そんなこと」

「むしろ初めの方から言っていただろ。俺は厳密にネクロマンサーじゃない。死者を復活させることなんて出来やしない。だって死者なんていないんだからね。皆で死んだと勘違いしているか、死んだということにしているかのどちらかだ。だから俺の使う術というのは、それを指摘して気付かせてやっているだけ。さながら落とし物をした人の肩を叩いて『落とし物をしましたよ』って拾って渡してやるぐらいの話なのさ」

「命拾い、ということだな」


 チャリスの冗談に二人は目を丸くした。けれどもシハンはすぐに破顔して大きな声で笑ったのだった。


「あっはっは! いいねえ。気に入っちゃったよ」

「お、恐れ多くも」

「それで誰を蘇らせたいんだ?」


 その言葉にチャリスよりもイーデルの方がドキリと驚いている。そして神妙な面持ちでシハンを見つめた。


 どうしてだか、少しだけ空気が緊迫した。


「蘇らせてくれるのか?」

「ああ。俺は仕事は気に入るかどうかで決めているからね…ただ一つ、条件というか注意事項がある」

「なんだ?」

「どれだけ気に入った人間の依頼でも、俺は一人に付き一人しかネクロマンスを使わない。それを踏まえた上で、本当に今思っている人間を蘇らせていいのかどうかを考えてみてくれ」

「…」

「姫様はまだ若い、というよりも幼い。これから先、蘇らせたい人間はごまんと出てくるだろう。そのカードを本当に今切っていいのか、よく考えてみてくれ」

「…わかった」

「別に時間制限は設けないよ。城に帰ってじっくりと考えを巡らせるといい」


 そういうとシハンは一度書斎の方に引っ込んでしまった。イーデルも何となくチャリスの傍には居づらかったので、何とか理由を付けてシハンに着いて行った。


 シハンは机に向かうと、何やらメモを取り出した。イーデルは適当な本を物色し、彼のベットに腰かけてそれを読み時間を過ごすことにした。


 三十分ほどたち、シハンの作業が終わると二人は書斎を出て再び元の部屋に戻って来た。チャリスは変わらずジッと動かずに、物思いに耽っている。


「因みに今は誰を蘇らせたいんだ?」


 二人が戻ってきていた事に気が付いていなかったチャリスはハッと、一瞬身を竦めた。そして顔だけをシハンに向けた。


「それを教えると何かあるのか?」

「いや、興味本位だ。教えたくないなら教えなくていい」

「…母上だ」

「え?」


 シハンも驚いていたが、それ以上に面食らったのはイーデルの方だった。


「お待ちください、チャリス様。患ってはおいでですが、お妃さまはまだご存命では」

「表向きはそうなっておるが、既にお亡くなりになっている」

「そんな…」

「おいおいおい、何で公表しないんだ?」

「父上の意向じゃ。恐らくだが、戦争に赴いている兵たちの士気を下げぬ為であろう。王宮内部でも限られた者しか知らぬ。他言は控えてもらいたい」

「…」

「ま、誰も信じちゃくれないか」


 そうして姫とネクロマンサーとの対談は終わった。


 ◆


 シハンは夕食に二人を招待したが、流石にこれ以上城を離れている不安が勝りそれを断った。


「気を付けてな」

「ああ」


 日が傾くのが心なしか早いように感じた。再びチャリスを荷台に乗せ布で覆い隠すと、イーデルは手綱をしっかりと握った。馬は嘶き、重々しく荷車を牽き始める。シハンは荷馬車が森の中へと消えて見えなくなるまで見送っていた。


 人気のない森の中に、車輪が地を転がる音が空しく響いている。吹き付ける風の冷たさにイーデルは思わず身震いをした。すると後ろからチャリスの声が聞こえた。


「イーデル」

「はっ」

「城に着くまでの間、少し眠りたい」

「畏まりました」


 返事をしたイーデルは再び前を向き、自分の両頬をパシッと叩いた。夏の終わりの空気を目いっぱい肺に入れると細く、長くそれを吐き出す。


 念願叶ってチャリスをシハンと引き合わせることが出来たのに、イーデルは何故かどうしようもない不安に駆り立てられていた。しかし、二人を繋いだことは彼にとって決して間違いではなかった。


 数か月後、身をもってそれを知る事となるのだが、この時はそのような事は知る由もない。


 城に戻ったチャリスは開口一番、しばらくの間、御伽噺の模索は止めて、シハンの言っていた事を深く考えてみたいと言った。


 不意の事だったのでイーデルはひどく寂しい気持ちになったが、それを口にすることなどは自分が許しはしない。彼に言えるのは、畏まりましたという一言だけである。


 イーデルはてっきり一月程度の話かと思っていたが、実際にチャリスは半年たっても図書室に顔を見せはしなかった。近衛騎士として殆ど毎日、彼女の顔を見ているはずなのにイーデルはもう幾日もチャリスに会っていない様な気分のまま、日々を過ごしている。


 しかし。


 それさえも、今から起こる事の重大さに比べれば幸せに思えるほどの平穏な時間であったと、イーデルはつくづく思い知らされる。


 パージャの首都と、その象徴たるこの城は戦火に巻き込まれることになるのだから。

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