第3話 姫とネクロマンサーと


「どうした、イーデル。具合でも悪いのか」

「…胃は痛みます」


 イーデルは行商用の尤も簡素な荷馬車の手綱を持ちながら答えた。チャリスがいうように腹を下したかのような強張った顔をしている。


 それも仕方のない事だった。イーデルはこの数日間、ある懸念で頭を抱えていた。その懸念とはずばり、チャリス姫をどのようにしてシハンと引き合わせるかという問題だった。


 シハンを城の自室にこっそり連れてくるという方法も考えはしたが、図書室とその隣にあるイーデルの部屋は城の中でも奥の込み入ったところにあるため、部外者を連れ込むのは至難の業だった。


 それに引きかえチャリスは隠遁術が使えるので適当な体調不良をでっち上げ、その上人払いさえしてしまえば、多少抜け出したところでばれることはない。が、それも絶対に上手くいく方法ではないし、外にいる間に万が一の事があればそれこそ一大事である。


 イーデルの自宅も候補としては考えたが、やはりシハンの家が持つ、人目を殆ど気にしなくても良いという利点の前には霞んでしまった。


 ハイリスクな方法でローリスクな部屋へ呼ぶか、ローリスクな方法でハイリスクな場所へ行くか。


 それをチャリスに直接相談してみると、姫は悪戯を思いついた子供のような口が耳まで裂けんばかりの笑みを浮かべ、迷うことなく城の外へ出る方法を選んだのだった。


「お咎めを受けるようなことにはなるまい…私が無事に戻れればだが」

「止してください」

「冗談じゃ」


 そういうとチャリスはカモフラージュように積んだダミーの荷物の中に隠れてしまった。


 イーデルは殊更、不自然に見える程辺りを警戒し続けた。


 ◇


「到着いたしました」

「うむ」


 やがて何事もなく、荷馬車は森の中にポツンと一軒だけ建つシハンの家の前に着いた。窓の脇に冬に備えた大量の薪が積んである。


 シハンの家は、森の中にあって少し盛り上がった丘の上に立っている。夜になれば、御伽噺に登場する魔女の家さながらだ。町からそう離れてはいないのだが、うっそうと生い茂る草木は、余程深山に入り込んだかのような錯覚を起こす。ここに来るのが久しぶりのイーデルは懐かしそうに辺りの景色を見ていたが、プライベートで城の外に出ることなどなかったチャリスは、目に見えてキラキラとしていた。


「よう。いらっしゃい」


 二人の気配に気が付いたシハンが、呼ばずとも顔を出した。


「待ってたよ。むさ苦しいところだけど、どうぞ」

「失礼する」


 チャリスは目配せでこの男がネクロマンサーかとイーデルに尋ねた。黙って頷いたイーデルを見て、家の中に入って行く。平静を装っているのかも知れないが、ウキウキとした感情は外にダダ漏れであった。


 久々に入ったシハンの家は、イーデルの記憶に残っているものと大して変わらなかった。


 大きな一部屋を真ん中で区切り、入口側が食卓スペースで奥は書斎兼寝室になっている。シハンは昔から物を置くことが嫌いな性格で机と椅子の他に大きな家具はない。かなり殺風景な部屋だった。


「で、何飲みます?」


 椅子に座った二人に対して、軽い口調で聞いてきたのでイーデルはすぐにシハンを戒める。


「おい。恐れ多くも姫君の御前だぞ。少しは口を謹んでだな…」

「堅い事いうなよ。で、お前と姫さんは何飲むんだよ」

「チャリス様。どうご気分を害されませぬよう」

「私は構わんぞ?」

「ほらな」

「得意がるな」


 イーデルの言葉などはどこ吹く風のシハンは、食器棚とも呼べぬ小さな棚からカップを取り出して、ボトルから何かを注いでいる。遠目に見ても水やお茶の類ではないらしい。


「どうぞ」

「…何だこれは?」

「サイダーですよ」

「さいだー?」


 耳慣れない飲み物の名にイーデルは慌てる。


「お、おい。姫様に妙なものを飲ませるなよ」

「馬鹿を言え。おいしい上に健康にもいい優れものだぞ」


 チャリスは行儀が悪いという恥じらいを持ちつつも、サイダーの匂いを嗅いで安全を確かめてから一口飲んだ。始めて口の中に広がる炭酸の感触に驚いたが、すぐに甘さと爽快感の虜になった。


「おぉ…!」

「美味いだろ」

「初めての味だ。甘さと香りも良いが、この口と喉にくるシュワシュワとした感覚が小気味よいな」

「気に入って貰えたなら何より」

「相変わらず妙なものを作るな」


 小休止を入れると、イーデルが仲介となり、シハンとチャリスが簡単な自己紹介をした。経緯もへったくれもないシハンの物言いに、ひやひやとしていたイーデルだが、肝心のチャリスは全く意に介していない様子だ。


 コトンッ、とカップがテーブルに置かれた音を合図にシハンが早速口火を切った。


「さてと。時間もないということですし本題に入りましょうか」

「…」

「どうしました姫さん?」


 チャリスは、鼻から深く息を吸い込んでからきっとシハンを見定めていった。


「半信半疑なのだが、其方は本当にネクロマンサーなのか?」

「どうだろうね。姫さんの…というか世の中の人間がイメージする死体に術をかけ、その人間を蘇らせ生死を冒涜する黒魔術師、のようなものを言っているんでしたら、見当はずれだな。オレは厳密に言えば死人を蘇らせはてはいないから」

「そうなのか」

「ええ。そもそも便宜上ネクロマンサーと名乗ってますが、何を持ってネクロマンサーをネクロマンサーと呼ぶのか。その定義がないからね」

「死者を蘇らせる者をネクロマンサーと呼ぶのではないのか?」

「その『死者』っていうのが問題なのさ。お姫様は人が死ぬというのがどういうことか説明できますか?」


 ほんの数間考えたが、チャリスは首を横に振った。


「…いや」

「そうでしょう。生きている、もしくは死んでいるということに、延いては生命について明確に論じられる奴は稀だ。ということは当然、死者というものについても具体的な説明はできない。それなら死者を蘇らせる奴がネクロマンサーだ、と結論付けるのは早計だと言わざるを得ない」

「其方は死とはなんたるものかという答えを持っているのか?」

「自分なりには、ね」

「聞いても?」


 シハンは手を後ろで組み、顔を逸らした。それが窓の外見たのか、それともイーデルの事を見たのかは分からない。


「端的に言えば…元に戻せないものがつまりは死んでいる、とオレは思っている」

「元に戻せないもの?」

「そんな神妙な顔をしなくてもいいよ。比喩的な事を言っている訳じゃない、正しくその通りの意味さ。俺は『死』というものは生き物にだけに当てはまることだとは思っていない。いや、厳密に言えばそうなんだけど、このコップやこの机や椅子にだって、言ってしまえばやがて死は訪れる」

「それは例えば、椅子の足が折れたり、コップが割れたりするということか?」

「機能不全を言っているのではないんですよ、お姫様。欠けたのならくっつければいいし、足が折れたのなら挿げ替えたりすれば使えるだろ?」

「では灰になるまで燃やし尽くしたとしたら?」

「ああ、そこまでやれば確かに椅子や机としては死んでいる、と言えるかな」


 シハンはニヤリと小さく笑った。そして今度ははっきりとイーデルを見た。


「少し前に、どっかの誰かに聞かれたんですよ。『どうして人を殺してはいけないのか』ってね」

「ほう」

「その時も同じことを言った。元に戻せないからだってね…ただ、それは外身の問題だとも付け加えた」

「外身?」

「普通人間が『死』を考えるとき、大抵の場合は肉体の話になる。それが外身の話だ。例えば心臓が止まったとか、首を切り落としたとか、息をしていないとかね。ネクロマンサーの役目は往々にして、この肉体の問題を解決するところにある。だからネクロマンサーのやっていることは、乱暴に言ってしまうと医者に近い」

「うん?」


 にわかには結びつかない例えに変な声でチャリスは答えたのだが、シハンはそれを無視して続ける。


「肉体の救済という意味ではの話になるけどね。オレが知っている限り、他のネクロマンサーが死者を蘇らせる方法は三パターンある。本人の死体を使う、他人の死体を使う、一から別に入れ物を作る」


 シハンが指折り数えていく中で、イーデルは昔読んだ怪談を思い出した。そしてその本についていた妙に鮮明な挿絵まで思い出してしまい、少し気分が悪くなった。


「けれどオレはそこら辺の問題には関与しない。肉体には基本的にノータッチ」

「今、其方は入れ物と言ったが、入れるモノとは具体的に何を差している?」

「良い所を付いてきますね。聡明な人と聞いていたが間違いではないみたいだ」


 驚きつつも笑みをチャリスへと向けたシハンは、愉快そうにサイダーを飲む。そして手振りを入れつつ話し出す。


「入れるモノは人によって呼び方が違う。心、魂、精神、意識とまあ色々だ」

「やはりそう言う存在も扱えるのか、死霊や霊魂のようなものを」

「いや、全然。見た事も触ったこともない」


 肩透かしを食らったチャリスは、少々口ごもった。


「しかし、それではどうやってそんな不確かなものを扱うのだ」

「こればかりは何となくやっている連中がほとんどだよ。理屈でやっているんじゃない、やってみたら成功した。しかも何回もうまくいっている、くらいの感覚でしかない―――――というか、そんなものはハナから存在しない」

「存在しない?」

「ああ。精神や魂や意識というのは存在しない、と考えた方がオレはしっくりくる」

「しかし・・・私という人間はここにいるのではないのか」

「そりゃ見れば分かります」

「体のことではない。中身だ」

「中身ねえ」

 

 頭を掻きながらシハンは考え込んだ。頭の中を整理する時に頭を掻くのは昔からの癖だ。


「…この手の事を聞かれたときに、オレはよくミートパイの例え話をする」

「ミ、ミートパイ?」

「ミートパイを食べたことは?」

「…何度かあるが」

「へえ。お姫様もやっぱりミートパイを食べるんだねぇ」

「それより、その例え話とはなんだ」


 柄にもなくチャリスが怒っている事に、イーデルはひどく驚いた。ここまで自らのペースを崩されているチャリスを見るのは初めての事だ。


 シハンは気付いているのか、いないのか含み笑いをしてる。


「どういう訳かどこにいっても肉体と精神と魂は切り離されて考えられることが多い。そして大抵はその三つの中で肉体が一番軽んじられる。けれど、さっきも言ったように『死』というのは肉体に起こる問題だ。それを切り離して魂とか精神が不滅のものだと決めつけるのは滑稽だし、ある意味死の恐怖からの逃げともいえる」


 シハンの纏っている空気が幾分か重くなったように感じた。


いいか、と前置きを置いてシハンは如何にも重々しく話し出す。


「人間をミートパイに例えるなら、パイ生地が顔や手足、中のソースが内臓や脳みそだ。じゃあ精神や魂は何だと思う?」

「…味、だろうか」

「その通り。堅い、柔らかい、焦げている、熱い、冷たい、と肉体的な特徴は千差万別。味にしたって甘い、辛い、塩辛い、苦い、と様々だ。これが世の中には十人十色の人間がいるってことになる」

「それはわかる」

「なら、魂が味付けとしたら、オレが言いたい事も分かるだろ? 味その物がミートパイから独立している訳じゃない。無くなってしまうことが死であるなら、切り分けるのが老いていくという事。やがて食べ終わってしまえば、美味しかったと感傷に浸ることしかできない。ミートパイがあるからこそ、その味がある。お姫様という人間がいるからこそ、お姫様という人格や魂がある。器がなければ、それは有りようがない」

「…」

「例え味が一緒でもソースがパスタに掛かっていたらミートスパゲティになって別の食べ物だ。パイ生地の中に別のソースが入っていても然り。どれかを分解して、それが要だとは断定できない。ミートパイはミートパイだからミートパイなのさ。何かが独立したり、分離したんじゃそれはもう別の何かになってしまう…と、考えるのがしっくり来ているって話さ。本当のところは分からん。確かめる術がオレにはない。けど、幽霊や霊魂をみたことがないのは確かさ」


 チャリスが黙って考え込んでしまってのを見て、シハンはカップにサイダーのおかわりを注いだ。そして再び席に着くと、急に話題を変えた。


「ところで、お姫様と騎士様は『転生』を信じているか?」

「転生?」

「ああ。生まれ変わりという奴さ」

「どうでしょうか。私はその…感覚としては信じています」

「私も考え方としてはあり得るとは思う。だが…」


 するとシハンは今日一番の邪な笑顔を見せて言った。


「それならオレが転生者といったら信じてくれるか?」


 チャリスとイーデルは顔を見合わせて何と言うかを考えた。冗談なのか本気なのかが分からないところが嫌らしいと思った。イーデルはそのまま黙ってしまったが、チャリスは違った。


「しかし、それはおかしいではないか。転生とは肉体が滅びても魂が再び生き物の体に宿りこの世に誕生する事だろう。ミートパイの話を借りれば、もはや其方の味は前世でなくなってしまったはずだ。そもそも其方の論では前世という考え方そのものがあり得ないだろう」

「まあ、その通りだけどね。だが現にオレには前の人間だった頃の記憶があるんだな、これが」

「それなら、転生についてはどう説明する?」

「説明自体は簡単さ。ミートパイの話を借りるけどね」


 チャリスとイーデルは無意識に身を乗り出して聞き入った。


「世界というのはここ一つだけじゃない。星の数よりも多くの世界がこの世界の外側にも点在している。さあ、その中でたまたまミートソースがパイ生地に包まれることが決まった、人間としての肉体を得た訳だ。天文学的な確立だが、ゼロだとは言い切れない…さらにその上、別の世界に存在していたそのミートソースとの味付けが完全に一致するという奇跡が起きたとしたらどうだ? 別の世界にオレの魂を持った別の体のオレが登場するという訳だ」

「だが、それでは記憶があるというのはおかしいではないのか?」

「そんなことはない。キーワードは『時間』と味その物は『情報』ってことだ。甘い辛いは受け手の感覚であってミートパイに他意はない。この味付けそのものはオレだけの味で、前のミートパイが食べられた後に、今のミートパイが作られたとなれば情報は共有される。結果として前の肉体の記憶を持った人間が誕生したとしても不思議ではない」

「しかし、前の肉体の記憶はどこに保管されていたのだ? 前の人間の脳ではないのか」

「脳みそそのものが情報を記憶していると証明できた奴はいない。脳みそはそれの情報の変換装置みたいなもんだ。具体的なものを情報に、反対に情報を具体的なものに変換する役目を担っているってだけだ」

「…御伽噺が好きな性分で良かったと心底思う」

「そうだな、証拠もなにもない。まさしく御伽噺だな」


 再び会話が途切れた。


 三人は噛みしめるように甘いサイダーを味わった。イーデルは姫の前であるということもうっかり忘れて、だらしなく伸びをして体をほぐしている。チャリスに話しかけられ、慌てて取り繕う。


「イーデル。この前の『モモタロー』という話はこの者から聞いたのか?」

「その通りでございます」

「そうか。ならばあの話は、前の世界の話か?」

「ああ。オレが住んでた国の御伽話だよ」

「別の世界にも御伽噺があるのだな」

「ああ。かなりの数があったよ」

「前の其方の生きていた国はどのような国だったのだ?」

「そうだなあ…思えばこの国と大分似ているね」

「ほう。どのようなところがじゃ」

「例えば島国であるところとか、箸を使ってものを食べるとか、あとは色々な宗教を複合して受け入れているところとかですかね」

「その国の名は何という」

「ニホンっていうんだ。その上面白いのが、その世界での異国の言葉だとジャパンっていうんだよ」

「へえ。パージャをひっくり返した様な名前だな」

「そのニホンという国の者は、皆そんな事を考えていたのか?」


 いつか見せたのと同じくらい興味津々の顔つきでチャリスは尋ねる。


「いやいや、こっちの世界と同じでそんなこと考えている奴はアホか心を病んでいるかのどちらかですよ。それに『死』とか『別世界』とかの話なんて考えていられるほど時間に余裕がない連中がほとんどだったし。オレを含めてね」

「…なあ」

「ん?」

「前世の記憶が残っているんだとしたら、その前の世界で死ぬ時の記憶も残っているのか?」

「ああ…連日連夜、馬車馬みたいに働いててな。意識が朦朧としたまま帰り道を歩いていたらトラックに轢かれたってところまでは記憶にある」

「とらっく?」

「前の世界にあった、鉄の出てきた荷車みたいなやつだよ」

「むう」

「けど悲観はしてない。こっちの暮らしは楽しいし、満喫できている。前の世界には魔法がなかったんだよ」

「そうなのか。魔法なくしてどうやって生活ができていたのだ」

「向こうの世界は魔法の代わりにサイエンスって力があってな。実はこの世界より便利だったりする」

「そうなのか。行ってみたいな」

「一縷の望みにかけて死んでみるかい?」

「おい」

「いや、止めておこう」

「その方が良い」


 いい加減、シハンの軽口にも慣れたと見えて三人は冗談で笑い合えるようになっている。


「ところで…其方はさっきのような着想をどこから得たのだ? そもそも死者を蘇生させるなどという御伽噺のような魔術をどうやって会得したのだ」

「師匠がいたんだよ。実はさっきのミートパイの話も師匠の受け売りだ。ところどころオレ風の意見を入れたりもしてるけどね。そういう意味じゃ、この国の死生観とニホンの死生観が似通っているのは助かったな。教わっていて大した苦ではなかった」

「ほほう」

「興味がおありで?」

「うむ。大いにある。異世界の話など、どんな御伽噺よりも面白い。詳しく聞いても良いか」

「もちろん」


 シハンは小腹が空いたのか、パンを取り出してきて食べ始めた。勧められたが、チャリスとイーデルはそれを断った。

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