第14話 <回想>ドス黒い感情(おチエ視点)

「な、なんで……そんな事を、訊くの?」


 私は髪を切る手を止めて、絞り出す様な声でジンタに訊き返した。


「だって、村の大人たちが、オラの血は異国人の穢れた血が流れているって言うんだ。その証がその青い目と、金色の髪なんだって。だから、優しい俺たちがその穢れた髪を切って清めてやるって言って……」


 ジンタの告白に、私の頭の中は真っ白になる。手にしていたハサミが、するりと畳の上へと抜け落ちた。


「け、けが、穢れた血…‥?」


「母親が穢れてるから、その女から生まれたお前は穢れの塊だって」


「どうして……」


 どうして、そんな酷い事が言えるのだろうか。


 愛しい我が子から聞かされた村人たちの心無い言葉に、悲しみで止めどなく涙が溢れ出てくる。私の視界は、瞬く間に涙で歪んで見えた。


「お、おっかあ……?」


 私の事は何を言われてもいい、好きなだけバカにすればいい。


 父さんの気持ちを裏切ってまで村を捨てて逃げ出したのだから、私の事はどれだけ言われようが構わない。


 でも、ジンタは違うでしょ、この子は関係ない。


 息子は他の子たちと髪と瞳の色が少し違うだけじゃない、他の子供たちと何も変わらないのに……どうして、そんな酷い事が言えるの?


 どうして、こんな幼い子にそんな酷い言葉を言えるのよ。


 私やジンタが、あなた達に一体何をしたって言うの? あなた達には何の迷惑もかけてないじゃない!


「ぐっ、うぅぅぅぅ。ぐぅぅぅぅぅぅぅ! あぁぁぁぁぁ!」


 涙と共に嗚咽が止まらず、呼吸が苦しくて着物の襟をギュっと強く握りしめる。


 息子を侮辱された悲しみは、言い知れぬ強い憎しみへと変わっていく。


 涙が流れ落ちる度に、私の心は自分ではないドス黒い何かに支配されていった。


 私の……私の可愛いジンタが、穢れているですって? こんなにも美しい金色こんじきの髪と空の様に澄み切った碧眼のどこが穢れているって言うの……?


 穢れているのはお前たちの方だろう、お前たちの心の方だろうが! 


 許せない、絶対に許せない! ケガをさせ、髪を切り、汚い言葉で私のジンタを傷つけた報いを必ず受けさせてやる! 絶対に復讐して……!


「おっかぁ!」


 ジンタの声によって、私はへと戻される。気づかなかったが、いつの間にか心配そうな表情で、ジンタは私の膝元へと寄り添っていた。


「お、おっかあ、とっても怖い顔をしてる……」


 私は今、そんなにも恐ろしい顔をしていたのだろうか。怒りで我を忘れていた様で、自分では分からなかった。


「あ、いや。ご、ごめんね。お母さん、そんなに怖かった?」


「うん、でも……今はいつもの大好きな顔になってる」


 そう言ってジンタは私に笑顔を向けてくれる。愛しい息子の笑顔に、私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。


「おっかあ、オラは大丈夫だよ。大人たちは色々言ってくるけど、お友達は一緒に遊んでくれるから」


「ジンタ……」


「おっかあを心配させたくなくて、ずっと黙っててごめんね。ごめんなさい」


 そんな風に泣きそうな顔で謝ってくる我が子を、私は力いっぱいに抱きしめた。


「ううん、お母さんこそ、ごめんね。何もしてあげられない母親で、ごめんね」


 私はどうかしていた様だ。怒りに任せて、とても恐ろしい事を考えていた。あれは人間が抱いていい感情なんかじゃない。


 あれは、悪鬼羅刹の感情だ……


「そんなことないよ、オラは優しいじいちゃんと大好きなおっかあがいれば、それだけでいいから。謝らないで、おっかあ」


「……ありがとう、ジンタ」


 そうして、ジンタの坊主頭を撫でてあげる。息子のサラサラだった髪の触り心地は、ザラザラとしたくすぐったい刺激に変わっていた。


「ねぇ、ジンタ。お母さんと約束してくれる?」


「ん? なぁに?」


「しばらくの間、外で遊ぶのを止めて欲しいの」


「え?」


 私の言葉を聞いたジンタが、とても悲しそうな表情をする。可哀そうだけれど、息子を守るにはそうするしかない。外に出ない事が一番なのだ。


「でも……お祭りの日に、タエちゃんと一緒に遊ぼうって約束してんだ」


 ジンタを座敷に閉じ込めるなんて、私だって本意じゃない。でも、ジンタを守るにはそうするのが一番だって、思ったから。それしか出来ないから。


 ……しかし、お祭りなら多くの人の目もあるし、それにそこまで酷い事はされないかもしれない。


「ねぇ、おっかあ」


 可愛い息子の懇願するような青い瞳に、私の心が大きく揺れ動く。


「お願い、お祭りの日だけ」


 ジンタには敵わない……と、根負けした私は小さく溜息をついた。


「わかった。お祭りの日は、出かけてらっしゃい」


「うん! ありがとう、おっかあ!」


 大喜びで座敷を走り回るジンタを見ながら、私は何もしてやれない己の無力感に打ちひしがれていた。


                   ◇◆◇◆


 ──そうして、村のお祭りの日。


「……ただいま」


 玄関から聞こえてくる愛しいジンタの声。


 お祭りに出かけていた我が子を迎える為に、私は手にしていた裁縫道具を置いて立ち上がると、座敷から玄関へと向かう。


「おかえり、ジンタ。今日は楽しかっ……」


 障子を開けると、そこには俯いた表情のジンタが佇んでいた。金色こんじきの坊主頭からは、一筋の赤い液体が顎まで伝っている。


「……っ!」


 ついに、ジンタは頭部から血を流して帰って来た。


 我が子の痛ましい姿に、再び私の心の中に醜い感情が湧き上がってくる。


 私が甘かった……彼らはそんな優しい奴らじゃない、外道なのよ。村中の人間で寄ってたかって私のジンタを虐めて楽しむ、ただの外道なのよ。 


 父の立場を考えて、大人しくしていようと心に決めていたけど、もう我慢の限界だった。これ以上は、無理だった。


 私は……生れて初めて人を殺してやりたいと思った。


                 ◇◆◇◆


 ジンタを寝かしつけた後。


 私は縁側で月を見上げながら、どうにかして村人たちに復讐してやりたいと、そう考えていた。


 と、その時……


『おい、女。醜い憎悪が駄々洩れだぞ?』


 どこからともなく聞こえてくる声に、私は慌てて周囲を見渡した。だが、真っ暗な夜の帳が広がっているだけで、人の姿なんて影も形も見当たらない。


「な、なに? 誰かいるの?」


『俺が何者とか、そんな事はどうでもいい。重要なのは、お前が俺の力を必要としているって事だろ?』


 その声は、鼓膜に響いて聞こえる声ではなかった。頭の中に直接流れ込んでくる感覚に、言い表せない気持ち悪さを覚える。


「あなたの、力を……?」


『ああ、そうだ。俺は力を持っているが、残念ながら骸山の中腹にある廃坑に閉じ込められていて外に出る事が叶わない。でな、自分の分身を外に放っているんだが』


「ぶ、分身?」


『おう、丁度いま、そいつがお前の家の前を通ってな。醜悪な憎悪を感じ取ったから声をかけたってワケよ』


 謎の声にそう言われて月明かりの注ぐ庭へと視線を向けると、そこには米粒程の小さな蜘蛛が歩いていた。


『普段はな、廃坑奥に閉じ込められている俺と人間の波長が合わないから声なんて聞こえないんだよ。だけどな、今のお前さんみたいに憎悪と怒りを垂れ流している状態なら、不思議と波長が合うんだよ。馬が合うって奴だな。キヒヒヒヒ』


 とっても不気味な声が頭の中に響いて来る。これは現実なのだろうか……いや、悪い夢でも見ているに違いない。


 そんな風に考えていると、先ほどの小さな子蜘蛛がいつの間にか私の体を伝って、手へと登って来た。


「ひっ!」


『ほら、お前には復讐したい奴らがいるんだろ? ならよ、その子蜘蛛を口から飲み込んじまいな。波長がバチバチに合っている今なら、簡単に疑似融合して力を振るう事が出来るぞ?』


「あ、あなたの、目的は……なんなの?」


『目的? そうだな、強いて言えばよ、お前と融合する事で人間を喰らう事が出来るのよ。それだけだ。後はお前の好きにすればいい』


 良く分からないあやかしの言う事だ。その言葉を、全部信用する事なんて出来ない。絶対に、何かを企んでいるに違いない。


 でも、非力な私では村人達に復讐するなんて到底無理な話だ。もし、人間のままで復讐しようとして返り討ちにでもあったら……ジンタの身や、それに父さんだって。


 このまま我慢してずっと村で過ごすのか、それともジンタを守る為に奴らに復讐するのか。理性の天秤は、右へ左へと大きく揺れ動いていた。


『キヒヒ、お前は息子を守りたいんじゃないのか? ウゼェ奴らを片っ端から殺したいんじゃないのか?』


「……」


 このまま我慢したとして、ジンタが無事に過ごせるとは限らない。今日だって、頭から血を流して帰ってきているのだから、いつ殺されてもおかしくはない。


 ヤられる前に、ヤるのよ、おチエ。


 愛する我が子、ジンタを守れるのはあなただけよ……あなたしか守れる人間はいないの。あいつらを、憎いあいつらを痛めつけてやれ!


 囁いてくる妖と心の中に潜む悪魔に唆され、私の理性の天秤は大きな音を立てて復讐へと傾いた。

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