第7話 蜘蛛の意図

 あれから更に口数の減った太右衛門に、母屋の裏手側にある離れ座敷へと案内してもらった。


 こじんまりとしたその部屋は、いなくなった母子が生活していたと言う割にはあまりに物が無く、桐箪笥きりだんすと部屋の隅に綺麗に畳まれた布団だけであった。


「二人はここで生活を?」


「えぇ、食事以外はほぼこちらに……」


「……なるほど」

 

 ここへと案内してくれる間も、太右衛門は落ち着かない様子だった。そんな彼の様子を見て、何か出てくるかなと思った私は少し問い詰めてみることにした。


「先ほど母屋でも少し気になったのですが、太右衛門さんと一緒に生活されてるのは、娘のおチエさんと孫のジンタくんだけですか?」


「は、はい、そうです」


「失礼ですが、あなたの奥様や他の御親戚などは?」


「あ、あぁ、えっと、妻には先立たれておりまして……それに、幼い頃に山を越えた向こうの村から、この長屋家に養子縁組で来た手前には親族もおりません。ですので、血縁関係にある者は娘のおチエと孫のジンタだけです」


「そうでしたか、ではもう一つ」


「は、はい……」


「この座敷には、布団が大人と子供の一組づつしかありませんよね?」


「と、言いますと……?」


 この人は少し鈍い人なのだろうか、それともトボけているのだろうか。それだけの言葉では、私の意図を汲み取ってはくれなかったみたいだ。


 であるならば、分かる様に直接言うしかあるまい。


「おチエさんの旦那さん。つまり、ジンタくんの父親は?」


「え? あ、ああ! いや、まぁ。その、はははは……」


「いない、って事ですか?」


「ええっと、あ~、なんと言いますか。アレでして……」


「アレ? アレとはなんですか?」


「……」


「太右衛門さん?」


「……」


 様子を見ながらしばらく待ったが、彼はその事に対してダンマリを通してきた。


「ふむ、そうですか。失礼しました」


「い、いえ、こちらこそ……すみません」


 今回の件に関係あるかどうかは知らないが、聞かないでおくのが人の情けと言うものなのかもしれない。


 他所様の家庭の事情に、軽々しく踏み込まない方がいいと考えた私は、それ以上は何も聞かずに部屋の中を見渡した。


 ごく普通の座敷。これといった異変は、特に無いように見える。


 ……ただ、あの一点だけを除けば。


「上がっても?」


「え、えぇ。どうぞ」


 太右衛門の許可を得て、私は彼から借りた草履ぞうりを脱いで座敷へと上がった。母子の為に張り替えたばかりなのか、い草の匂いが部屋中に充満している。


「この香り、私大好き」


「え?」


「い草」


「ああ、はい。最近、畳を張り替えたばかりでして……」


 ふと、我が家のささくれまくったボロの畳を思い出した。


「ウチもそろそろ、張り替えないとなぁ」


 私は手にした蝋燭ろうそくで部屋を照らしながら、その気になる物がある場所へと近寄る。


「蜘蛛の……糸?」


 天井と壁を橋渡しするかの様に架かっているそれは、手に持った蝋燭の明かりを反射させてキラリと輝いた。

 

「綺麗ね」


 美しく伸びる一筋の蜘蛛の糸。だがしかし、それが普通の蜘蛛の糸ではない事を、私は微かに漂ってくる匂いで感じ取っていた。


 二つの香りが鼻腔を通じて、私の脳へと伝達されていく。


 それは、部屋に満ちた”い草”の香りにも負けない、甘い香りと血の香り。


 私の陰祓師としての経験が、その奇妙な香りは異形のモノであると教えていた。


「カイリ。その蜘蛛の糸から、異形の残り香を感じます」


 そしてどうやら、腰からぶら下がった匣も同じようである。


「奇遇ね、私もそれを感じていたところよ」


 そう匣へと返事を返して、私は再び蜘蛛の糸から漂う香りを嗅いだ。


「これ、甘い香りもするけど、血の匂いの方が強いね」


「ですが、座敷からする血の匂いは少々薄いです。こことは別の所に、ねぐらはあると考えた方が良さそうです」


「う~ん。でもこれだけじゃ、糸の主の居場所を掴むのは難しいよねぇ」


 とその時、今まで黙って見ていた太右衛門がおずおずと声をかけてきた。


「あ、あのぉ、如何されましたか? 誰かとお話されていた様に見受けましたが」


 太右衛門には、私が一人で誰かと話していた様に見えたらしい。


 それはそうだろう。何故なら、匣の声は私以外の人には聞こえないのだ。


 どうしてと私に問われても『知らない』としか言い様がない。だって、時からそうだったのだから。


 故に、その存在を太右衛門に説明するのが少々面倒くさいので、私は振り返りもせずに彼を軽くあしらった。


「あぁ、いえ。お気になさらず。独り言みたいなものですから」


「え? は、はぁ……左様ですか」


 納得いってはなさそうな彼を放置して、私はとりあえず目の前の蜘蛛の糸に自分の指で軽く触れて見た。


 それはベタつき、よく伸びて、すごく硬い……とても不思議な蜘蛛の糸。


 その糸は細い見た目とは裏腹に、幾重にも束ねた人の毛髪の様に強度があり、少し力を入れたぐらいでは全く切れる気配がない。それでいて、かなりの伸縮性と粘着性を兼ね備えている変わった糸だった。

 

 たとえこのまま限界まで押し伸ばしたとしても、糸が切れる事はないだろう。


 むしろ、このまま押せば私の指の方が切れてしまい大惨事になる恐れがある。


 そうなれば、座敷一面に血が飛散し、人差し指と永遠のお別れしなければならなくなるだろう。


 そんな恐ろしい光景を想像した私は、身震いしながらそっと指を引っ込めた。


 ともかく、この蜘蛛の糸の存在のおかげで、今回の件に異形が関わっている事だけは確信に至る事が出来た。


 母子が寝起きしていた離れ座敷で見つかった異形のモノと思われる蜘蛛の糸。


 それに、自分の身内がいなくなったのに慌てる様子が見当たらない太右衛門。


 それらの事を踏まえ、彼が重要な何かを隠しているのではないかと思った私は、先ほどよりも少し強めに問い詰めて見る事にした。


「太右衛門さん。最近、娘さんとお孫さんに、何か変わった様子はありませ……」


 そう言って後ろを振り返ると、そこにいたはずの彼の姿が忽然と消えていた。


「え?」


 何か様子がおかしい。私はその異様な雰囲気に、咄嗟に体をかがめて身構えた。


「ハコち。太右衛門さんの気配がしない」


 腰帯に差した短刀の柄にスッと手を添える。


「ええ、蜘蛛の糸に気を取られている間にやられましたね」


 私は気配を殺しながら、り足で出入り口へと移動する。


 人の気配も、異形の気配も全く感じられない。


 周辺に危険が無い事を確認すると、サッと出入り口から外へと飛び出た。


 そうして、すぐさま辺りを探ってみたが、やはり何の気配もなかった。


「私たちに悟られずに、彼は一人でどこに行ったの?」


 すると、先ほど座敷で嗅いだ異形の香りが上空へと昇っていくのを感じた。


 それに釣られて、私は真っ暗な空を見上げる。視線の先には、月明かりに照らされた人影と、扇型に広がった蜘蛛の糸が見えた。


「なにあれ? 人が……空を飛んでいる?」


 呆気にとられた私を嘲笑うかの様に、太右衛門とおぼしき人影は闇夜の骸山へと吸い込まれる様に消えていった。

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