だから私は愚者になる

白里りこ

だから私は愚者になる


「ほとんどの人は狡賢いから、自分が傷つかないように上手く逃げちゃうの」

 そう、母が教えてくれたことがある。私が小学生だった時のことだ。

「自分がいじめられたり、置いてけぼりにされたりすることが、一番怖いからね。そうならないためならどんなことだってするんだよ」

「ふうん」

 私は俯いた。

 これまで断続的にいじめを受けてきたけれど、何で自分ばかりそうなるのかさっぱり分からなかった。今やっと分かった。私は賢くないし器用でもないし鈍間だから、逃げるという能力が無くて、そもそもその選択肢すら知らなくて、いつも取り残されるから狙われるんだ。


 でも……でもそれじゃあまるで、みんなは、自分さえ守ることができれば他の誰かが泣いたって構わないみたいだ。……ああ、そうか。狙われるようなヘマをする愚か者ならいじめられて当然だ、って思えば、罪悪感からすらも自分を守れるんだ。むしろみんな、私を踏みつけにするの、すごく楽しそうだもんな。

 何だよそれ。楽しく遊べて保身もできる、超オトクなプランじゃん。賢いね、みんな。


 でもそういうの、良い子は真似しちゃ駄目なやつじゃない? 誰かを犠牲にすることで自分たちが楽しむなんて、褒められたことじゃないのは確かだよ。

 私は自分に誇れる自分でありたい。利己的な理由で他人を見殺しにするのは……うん、やっぱり、そういう手があると知った上でも、選択肢には入らないな。却下。

 私は絶対あんな風にはならない。あんな、醜悪で、残酷で、性根の腐った人間たち。

 悍ましい。


 そんな訳で私は、置いてけぼりにされちゃう子たちに、いつも手を差し伸べることにしていた。やり方は簡単。一人で寂しそうな子を見つけたら、その子のそばにいるだけ。

 まあ、とばっちりで私ごと踏みつけにされることもあるんだけど、その子が一人きりで傷つくよりは幾らかマシだからね。


 昔から大嫌いなんだ、誰かが置いてけぼりにされるのは。ほら、家族で出かける時もさ、弟妹はすぐ迷子になるから、私が見ていないとって気にかけていたし。たまたま私が長女で、しかも迷子になりにくい性質の子だったから、余計にね。


 そういえば妹がまだ生まれていなかった時かな、弟の歩くのが遅いのにイライラした母が「もう置いてくよ!」って脅してずんずん先を行くものだから、私が弟の所に戻って一緒に置いていかれることにした事件があったな。母は気付かずにずんずん行っちゃったけど、私は母の「置いてくよ」が嘘なのを知っていたから、弟に「大丈夫」と言い聞かせて、わざと立ち止まって二人で母の戻りを待っていた。そしたら、保護者不在のチビ二匹を不審に思った大人たちが続々と集まってきて大変な騒ぎになっちゃって、戻るに戻れなくなった母に後でしこたま怒られたっけ。


 そういう奴なの、私は元から。そういう性分。きっとその辺のいじめっ子とは脳の作りが違うんだ。或いは、生きる上で何に価値を見出しているかが違う。

 私は、集団の中で上手く立ち回れるような社会性を備えた賢い人になることよりも、誰かが一人で悲しんでいたら自分を犠牲にしてでもその子の力になれる優しい人になることの方が、うんと大切だと思った。だから、そのように行動した。それだけ。深い理由とかは無い。人が人に優しくするのに理由は要らない。


 中学校に上がっても、やっぱり私は愚か者の烙印を押されたままだった。というか、私がそれまで庇っていた子が私立中学校に行っちゃったから、いじめの標的が私一人になっちゃって、事態はむしろ悪化していた。こうなってくると私は、優しい人とかじゃなくて、本当にただの莫迦ということになる。あーあ、損な役回りだな。損得勘定を放棄してきたのだから当たり前だけど。


 廊下を歩いているとクスクス笑われるし、前の席の人からプリントを受け取ると囃し立てられるし、明日の持ち物を書き留めていたらメモ帳を奪われて晒される。せめて学校生活に必要な最低限のことくらいはさせてくれないかなって思ったんだけど、「お前は生きてるだけで二酸化炭素が出て迷惑だから、地球のためにも今すぐ死ねよ」って言われるくらいだから、そもそも生きることが許されていなかったっぽい。


 全く、どいつもこいつも、私より頭の出来が悪くて成績も悪いくせに、どうやってスケープゴートを作るかってところばっかり賢くて、すぐ私を見下す。莫迦にする。ホント、何様のつもりだって感じ。


 でも中学生は数が多いせいか、生贄のヤギは一頭じゃ足りなかったみたい。じきに、私の他にも置いてけぼりが複数発生し始めた。

 例えば、まだお昼を食べ終わらない子が一人だけいるのに、みんながワーッとどこかに遊びに行っちゃう。

 こういう時、迷わずみんなについて行けるのが、賢くて社会性のある子。生存戦略としてはそれが正解。で、愚かで社会性の無い私は、迷わずその場に残る。焦ってお弁当を掻き込むその子に「慌てなくていいよ」と告げて、あとはのんびり待つ。そしてその子と二人で穏やかに昼休みを過ごす。これが私の中では正解。


 そうやって生きてきたこと、そのようにしか生きられなかったことを、後悔したことは無い。いじめで受けた心の傷は深く、十年以上経過しても未だ治癒していないけれども、私は自分を誇ることができている。

 勿論これまでの人生で、誰に対しても常に優しく接することができていたかと問われたら、それは全く違うと言わざるを得ない。人間は完全なる無罪ではいられない。私も例外ではない。

 でも仮に、賢さと優しさ、どちらかを選べと言われたら、私は躊躇いなく優しさを取る。そんな人でありたいと今でも思っている。

 愚かだの何だの、好きに言えば良い。

 私は自分の価値判断を信じている。

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