第2話 学校

 学校に着いたときには足が疲れていた。

 あたりまえだ。

 履き慣れない靴で、しかも革が硬い。じゅん自身が足を入れてみて買ったものではないから、ちょっとだけだけどサイズも合わない。

 順は身体は細いけど、足は幅があって、横幅の広い靴でないと合わないのだ。

 そのことはお母さんには言ったのだが、覚えていないか。

 たぶん、最初から聴いていなかっただろう。

 学校は小高い丘の上にあって、登校路の最後がだらだらと長い上り坂になる。

 それが、また、疲れた足にはこたえる。

 今日は、入学式を前に、教科書をもらい、制鞄せいかばんを買い、体操服のサイズを確認して注文し、また、選択科目用のリコーダーとか絵の具とか書道の筆とかを注文する日だ。

 始まってから一時間後の一一時に着くようにした。

 始まってすぐ後は混んでいるだろうと思った。一一時ならば、お昼ご飯前でもあるし、もうすいているだろうと思ったのだが。

 甘かった。

 学校に向かう坂を上っているときから、紺色に白い襟と白い袖口の同じ制服を着た生徒たちが、二人とか三人とか五人とか固まりながら同じ方向に歩いていた。

 坂を上がったところにはみごとな桜の並木があったが、それをきれいと思っている余裕もなかった。

 上がったところの運動場では、たくさんの生徒たちが、何人かずつに分かれてボールを使ったゲームをやっていた。制服を着ている生徒もいれば、体操服の生徒もいる。

 順が行く場所は高校北棟というところの一階だ。高校北棟には直接は入れないらしく、本館という、上に三角定規のような飾りがついた建物から入ってその左側だという。

 それで、その本館という建物に入ってみると、一階の幅の広い廊下に、二度折り返してやっと北棟に入れるという行列ができていた。

 これが、順が並ばなければいけない行列らしい。

 順は人混みが苦手だ。気疲れする。

 でも、教科書ももらわず、買うものも買わずに帰るわけにはいかないので、がまんしてその列に並ぶ。

 救いだったのは、すぐ前に並んでいた子たちも、すぐ後ろに並んでいた子たちも、もとからの友だちグループらしく、その子たちだけでかたまってしゃべったりふざけたりしていたことだ。

 だれにも声をかけられない。

 グループのあいだに一人で埋没していても、だれも気に留めない。

 そのほうがまだ居心地がいい。

 順は、そんな子だ。

 そんな子に育った。

 その校舎の建物に入るまでに三十分ぐらいかかった。

 教室を移動しながら買い物をしていると、終わったときには一二時半になっていた。

 食堂があるのは知っていた。お母さんには、ここの食堂で食べてくるから昼ご飯はいらない、と言ってある。

 食堂でも、順は一人。

 まず、何を食べるか。注文をちゃんと言えるか。

 クロワッサンサンドとミルクコーヒーのセットというのがあったので、それを注文する。はっきり言うように気をつけたからかも知れないが、きき返されることもなく、すぐに出してもらえた。

 順のような内気な子にも使いやすそうな食堂だと思った。

 広い食堂だったから、空いている席はたくさんあった。

 十二人掛けのテーブルで、いちばん端の席に座る。

 少食の順がクロワッサンサンドを半分ほど食べたとき、食堂の入り口から女の子が入って来た。

 その子も一人で動いているらしい。

 順と同じ真新しい制鞄を肩から提げているが、順のと違って、まだビニール袋をかぶっている。買った教科書とかは、それとは別に持っている大きい紙袋に入れているのだろう。

 新しい制鞄を持っているということは、順と同じ新入生だ。

 順はしばらくその子から目を離せなかった。

 ちょっと赤ら顔の丸顔で、すなおな髪を肩の線ちょっと上で切り揃えている。

 でも、どうして順がその子を見続けているかというと、その子が太っているからだ。

 太っているのが珍しいわけではない。

 ただ、この瑞城の制服は、ピンタックというのか、上着の前側にひだ飾りがある。

 順は痩せ型で、胸もそれほど大きくないので、その襞飾りがきれいに収まっているが。

 太った子が着るとどうなるのだろう?

 その太い体の圧力で襞が開いて、とてもみっともなくなるのではなかろうか。

 そんなことを考えたからだ。

 でも、その太った子が、落ち着きなく、いや、活発な体の動きで右を向いたり左向いたりしても、襞飾りがみっともなく開いてしまうということはないらしい。

 順は自分の制服の胸の襞を、そっと左手の親指でめくってみようとした。

 そこそこの抵抗感がある。

 襞飾りがわりとしっかりした作りなのか、それとも、その巨大な女の子に合わせて、服のほうもそれだけ大きく余裕があるように作ってあるのか。

 それで、もう一度顔を上げると、その子も順のほうに目を向けていた。

 あっ、目が合う!

 順は慌ててうつむいた。

 胸がどきどきした。

 頬の上のほうが熱い。

 でも、それは、「対人恐怖症」というのだろうか「視線恐怖症」というのだろうか、そういう傾向の持ち主の順にとっては、普通のことだった。

 普通にあることだった。

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