X章ep.15『あなたは僕だった』

 壬晴がオメガとの戦闘を始めた頃、外界にいる巫雨蘭はルシアの治療に専念していた。ゲーム世界ならではの回復薬を存分に使い捨て、レイブンやその他幹部が持つ『創造』の力を駆使して胸の風穴を塞ぎ、そうして彼女は一命を取り留めることが出来た。


「ルシア……」


 安堵の溜息が皆から漏れる。

 眼が覚めた彼女の周りには仲間達がいた。皆は心配そうにルシアの顔を覗き込んでいる。ようやく目覚めた彼女に涙を流す者もいた程だ。


「私は……ううん、ミハルくんは……彼はどうなったの?」


 ルシアはレイブンの膝元から頭を上げて周囲を見回した。

 壬晴とオメガの姿だけがない。


「ミハルくんは今オメガという奴と戦っているわ」

「……ミアハさん……」


 彼女の前に屈み、美愛羽が告げた。

 今現在、壬晴はPVPシステムが敷いた別領域にてオメガとの熾烈な戦いを繰り広げている。戦闘開始から三分は経過していた。制限時間の五分はもう目の前にあるが、あの恐ろしい敵を相手に壬晴はまだ生きているということだ。


「あのオメガとかいう奴……一之瀬プレイヤーが勝てると思うか?」


 不意にナナセが口にした疑問に一同は顔を顰めた。

 

「難しい……どころか、無謀な戦いだ。オメガは六つの災厄とやらを手にしてるんだろ。本体もバカみてぇに強ぇのに、たったひとりで勝てるわきゃねぇんじゃ……」


 ナナセの言葉に反論する幹部はいなかった。彼らも今しがたオメガの強さを痛感したところなのだ。束になっても手も足も出なかった。そのうえ『六つの災厄』を封じ込めた『封印制度・裏』まで向こうの手に渡ってしまった。明らかに勝ち目のない戦いだ。誰もがそれを理解している。


「……大丈夫」


 だが、皆が諦観するだけのこの現状で巫雨蘭だけは信じていた。彼女は静かにかぶりを振って皆に微笑む。


「あの人は絶対に負けない。私は信じてる」


 その言葉に反応を示したルシアは、ゆっくりと巫雨蘭へと視線を向けた。己の分身とも言える存在の彼女は、この絶望の最中でも諦めていなかった。壬晴が勝利し帰還を果たす、そう心から信じている。


「…………」


 どうしてそこまで信じられるのか、ルシアには解らなかった。

 だけど、彼女の中には今の自分にはないものが芽生えていると解る。

 『奇跡』を信じて裏切られた自分ではきっと成し遂げることが出来ない。それをまたこの世界に生まれさせることなど。

 だが、巫雨蘭は違う。己と同じ……否、己とは異なり、本来ならばただ女神の代用品として機能を果たすべく生を受けた。彼女は女神よりも低位である天使、それも偽物と呼ぶべき形だけの中身のない『殻の天使』。

 

「フウラ……って言うのね、あなたは」


 ルシアは隣に座る巫雨蘭に手を伸ばす。


「ルシア……」


 巫雨蘭は差し出された手を迷うことなく手に取った。


「私は、まだ『奇跡』というものを信じ切ることが出来ない……だけど、私を模して生み出されたあなたなら……私の中にある『女神』の力をきっと受け継ぐことが出来る」

「……ルシア、あなたは……私に?」


 巫雨蘭はルシアが言わんとすることを察した。

 この場にいる全員がルシアの言葉に驚きを隠せなかったが、誰もそれを止めることをしなかった。ルシアの決断というのなら、彼らも信じて見守るだけだ。


「あなたが心に『奇跡』を願うのなら、きっとその想いはミハルに届く。あなたの想いがあの子を救う……」


 ルシアは巫雨蘭にその決意を問う。


「女神の継承……あなたに受ける覚悟があるなら応えて。あなたが願う『奇跡』でミハルを救いたいと言うのなら、この呼びかけに……」


 巫雨蘭は躊躇わない。

 彼女が愛する壬晴を救う道があるのなら何処までも手を伸ばす。

 それが女神の力であろうと彼女は迷いなく受け入れる。

 巫雨蘭はルシアの手を両手で優しく包み込み、そして告げた。


「私は応える。女神の力を受け入れ、世界に『奇跡』を齎すと」


 斯くして、女神の継承は成された。

 ルシアの胸元に刻まれた『女神の紋章』は巫雨蘭のもとへと移転する。

 白く輝きを放つその刻印に、巫雨蘭は請願の言葉を告げた。


「ミハル……あなたにこの力を授ける」


 私が願う『奇跡』の力をあなたへと届けよう。



 誰もが持つ心の空間。そこに壬晴はいた。

 いつもと違い暗闇ではなく、広い青空の下、生い茂る草原の中で、壬晴は対面に座る相手と白いテーブルを囲んでいた。まるで優雅なお茶会の、平和な微睡まどろみの時間にいるようだった。


「ミハル……お前は、オレだった」


 壬晴は影と向かい合っていた。

 彼、フィニスの声はとても穏やかに聞こえる。


「フィニス……それ、どういう意味だよ?」

「我はお前が抱える闇の部分だった」

「え……っ?」


 唐突に切り出した言葉に壬晴は口を呆然と開く。


「女神ルシアは願望器に人々の願いを込めて我を生み出したと言ったろう? 戦争ばかりの世界に終止符を打つべく救世主の誕生を望んだ」

「ああ、そうだ。お前が見せた通りだよ」


 壬晴がそう応えると、フィニスは先を続けた。


「願望器から本来生まれるはずだったもの、救世主とやらは人の形をした、れっきとした人間だ」

「……それって」

「ミハル、お前はな……願望器から生まれるはずだった人間だ。ルシアが願った奇跡の産物が本来のお前のあるべき姿だった」

「…………」


 その事実に壬晴は眼を丸くする。

 自分がどう生まれたのか、親は何処にいたのか、それが今まで謎だった。だが、その答えは願望器にあった。

 まるで神話に出てくるパンドラの匣だ。匣の中に残された『希望』をすくい出したのが壬晴という存在。『奇跡』の力を持たない、役立たずの抜け殻。


「我はお前から乖離した闇だ。だから、こうして影の姿しか持たない。我だけが生まれ、お前は願望器の中に留まり生まれることがなかったからだ。我とお前は表裏一体の存在だった。それがルシアによって生み出された人造人間であるお前の正体なんだよ」


 そして、新たに生み出した仮初の世界で、ルシアはフィニスを壬晴に埋め込んだ。元々あるべき場所に納まったと言えばいいだろう。ルシアが壬晴を器として選んだのは無作為でも何でもなかった。


「……最初から決められた運命だったんだ……」


 だからこそ、壬晴はフィニスそのものと言えるだろう。

 器と力が乖離してしまった故に、また繋ぎ合わされた。

 長く己を苦しめたものは、本来あるべき己の中のその力と闇だった。


「女神が真に……そして、この世界に『奇跡』が蘇り、すべての人々が心に願うことが出来るようになった今、我らは本当の姿となる」


 フィニスはこの話に結論をつける。


「世界に『終末』を齎すのではない。世界に蔓延る悲しみを『ゼロ』に戻すのだ。そのために我らは生まれた」


 そう……僕らは、始まりと終わりのゼロを間違えた。


「お前のもとに還ろう。さぁ、すべてに決着をつけ今度こそ世界を救え。我らの女神が願うままに……」

「そっか、そういうことだったんだ……」

「気付いていたか? 我が最初からお前の味方だったということを」

「ああ、そうだな。悪夢だって、お前の意思じゃない。思い返せば、お前は僕と敵対することは一度もなかったんだ。ありがとう、フィニス……僕の相棒、その片割れよ」


 二人はひとつに戻る。

 今度こそ世界を救う、救世主として降臨するために。

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