サクラとお人形さん

 高校一年生新学期が始まる直前の四月初め、私たちは高層マンションに引っ越した。

 駅前の一等地。もともとその一画には私たち一家のパン屋があった。再開発で立ち退いた跡にマンションが建ち、私たちの店はその一階に入り、住居部分二十五階に転居した。

 少し離れたところにある仮店舗と仮住まいには二年近くいたことになる。

 待ちわびた新居だった。そしてベーカリーも新装開店。

 私たちは毎日新商品の開発に追われていた。新規の客も呼びたい。

 焼いたばかりのパンの試作は近所の人や馴染み客に無料で食べてもらい意見を聴いたりした。

 どうやら味の違和感はなさそうだ。

 店は父母そして兄で営んでいる。十歳年の離れた兄はもう店の主力となっていて新作のアイデアばかり毎日考えていた。

「このサクラメロンパン、いけるね」母が言った。

 客が少ない時間帯に私たちは試作品の最終チェックを行っていた。

「もはやメロンパンでもないけどね」美味しいけど。

 形はメロンパン。見た目さくら色。

 イチゴが入った大福みたいなパンもあり、ピンクの花が咲き乱れているみたいだ。この時期だけの色合いだろう。

「イチゴはいっそ大福の方が良かったな」父は身も蓋もないことを言う。

「確かに」私はいつも偉そうだ。作るのに関わっていないから忌憚のないことを言える。「でも、桜は我が家のシンボルだし」

 桜の季節が終わってもしばらくはサクラを模したパンは店に並ぶ。何しろ桜井さくらい家の「さくらベーカリー」だから。


 日曜日の夕刻。あと少ししたら夕の分のパンが焼きあがるから、それを見越して常連客が訪れるだろう。そんな手薄の時間帯にお人形みたいな客が二人現れた。

 双子コーデというのだろうか、赤と紫の色違いのチェック柄ジャンパースカート。

 同系色のベレー帽にフリフリの白シャツ。ミニ丈スカートからすらりとのびた脚はベージュのタイツに包まれ、アンクルストラップ付きのパンプスで足元も決めていた。

 人形コスプレ?

 髪の長さがロングとボブで違うが顔はそっくりだった。まさかの双子?

 って、例のレイヤーさんじゃないか!

「こんにちは」ロングの彼女がにっこりと笑った。「ちょっと早かったかしら」

「あと三十分ほどでまたたくさん並びます」私は答えた。

「あら、残念!」ロングの彼女が両手を頬に当てる。あざとい系か?

「あの――」私は声のトーンを落とした。「伊沢いざわさんですよね?」

 同じマンションの住人で高校の一年先輩伊沢さんなのかと訊ねる。

 学校にいる時の伊沢さんは三つ編み眼鏡というありふれた姿なりの新聞部部員だ。「パパラッチ伊沢」という異名がある。

「そうよー」バシバシと肩を叩かれた。

 確かに伊沢さんだ。いや、ここではレイヤーのひとだ。

 今日はと双子コーデをしているようだ。メイクをすると顔まで双子だ。

「顔まで似せることができるのですね」私は感心した。

 ただ、表情豊かに笑う伊沢さんと違い、ボブの彼女は無表情でクールビューティーといった印象だった。

「メイクしなくても似ているわよ」伊沢さんは言う。そして顔から笑みを消した。

 うん、確かに――そこにクールビューティーが二人並んだ。

 って、そこまで似るかよ! ほんとうに双子じゃないのか!?

「……何か……食べたい……」ボブの彼女がボソッと呟いた。

「はいはい」

 伊沢さんは彼女を連れてイートインスペースに移動した。

「ここで焼きあがるのを待っていて良い?」と、私に訊く。

「では、試作があるのでそれを召し上がって、意見を聞かせて下さい。お代金はいただきません」

「まあ、素敵!」伊沢さんは満面笑みとなった。

 私は工房に残っている試作のパンをとりにいった。まだいくつか残っているはず。

 しかし、どこかで見た気がする。ボブの彼女のクール顔を見ているとそんな気がしてならない。

 化粧が濃すぎるからピンと来ないだけで、すっぴんを学校で見かけているのかも。

「これです」私はふたりに桜シリーズを提供した。「カットしたものですが、どうぞ」

 試食用に切り分けている。切り口から桜餡だの、イチゴだのが顔を出していて、それもまた良い。まさにディスプレイ品だ。

「美味しそう! いや、きっと美味しいに違いない」

 伊沢さんはそう言って、早速ぱくついた。

「うんうん」ボブの彼女もすぐにありつく。

 私は、セルフサービスのコーヒーを紙カップに注いでテーブルにおいた。

「ありがとう。幸せ!」

 また肩を叩かれるのかと思ったから私は少し身を引いた。

「あの……双子ですか?」私は改めて訊いた。

「――ひわうわよ」違うわよ、だそうだ。

「似すぎですよ。それにどこかで見た気がします。学校ででしょうか?」

「――同じ学校だしね」口の中を空にしてから伊沢さんは答えた。「校内で見かけていると思うよ。まあ、この子は眼鏡かけていないから私とは違う顔をしているし」

「あんたが顔を作っているのでしょうが」ボブの彼女が喋った。

「そうとも言う」

 どうも、学校にいる時の三つ編み眼鏡姿の伊沢さんの方が変装らしい。あれもまたコスプレの一種なのか? だとしたら年中コスプレしていることになる。根っからのレイヤーだ。

「いらっしゃいませ」奥から兄が出てきた。「いかがでしょうか?」

 何だよ、一流ホテルのパティシエのつもりか?

「とても美味しいですわ」

「ありがとうございます」

「特にこの桜餡は最高でございますわ」

「恐れ入ります。新装開店を記念して旧店舗のときよりさらに美味しくしました――」

 何だか二人でコントを始めやがった。「セレブ令嬢とパティシエの会話」

 伊沢さんはともかく、兄はその自覚がないだろう。

 兄は美人に目がないが、容姿全体を見てその印象を自分なりに構築して認識するタイプらしく、パーツの細かい差異は無視する。だからコーデが変わると別人に見えてしまうのだ。

 たぶん、今目にしている伊沢さんと過去に何度も出会ったレイヤーとが一致していないに違いない。

 初対面の相手だと思っているな。

 それをわかって伊沢さんは新たなキャラクターを演じているのだ。

 私はただ呆れていた。

「美味しすぎるわ……」ボブの彼女が独り言のように洩らした。

 その声に聞き覚えがあるのだが……。

 よく耳にする声のような気がする。それでいて身近の人物ではない。やはり上級生か。いや、それにしても――私が知るボブカットの女子に該当する人物が見当たらないのだ。

「良い匂い」伊沢さんが鼻をひくひくさせた。

 パンが焼きあがったのだ。少し冷ましてから並べることになる。

「――それではこれで。さくらベーカリーをごひいきに」兄は慌てて奥へと戻って行った。

「ちょっとカツラちゃん、食べ過ぎじゃない!?」伊沢さんが令嬢モードをやめた。

「ん、ごめん、ごめん」ボブの彼女はまるで悪気がない。ひたすら食べている。

 何だ、このギャップは?

 とはいえ、カツラという名に覚えはなかった。誰かに似ていると思ったのは気のせいなのかもしれない。

「ふとるわよ」

「あんたに言われたくない」

 お人形さんたちがコミカルな言い合いを始めたようなので、私はその場を後にした。

 さくらベーカリーはこれからも平和だ。たぶん。

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私たちのベーカリー はくすや @hakusuya

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