道しるべの先

 或いは或いは或いは――と私はいつも考えているような気がする。それはまだ見てないない道を可能性を模索しているようにも思えるし、自分への言い訳を探しているようにも思えた。しかし選択肢は樹形図のように数多くあるように思える一方、たった一つしかないようにも思えた。私はいつもいつも何かに追い詰められている。そんな気持ちで私は日常を送っていた。


 私の本当にしたいことはもう何年も前から決まっているのに、そこに全力で取り組めない自分がいた。小説を沢山書いていつか作家になろう、そう決めてから多くの時間が流れた。いつか死ぬ時に、私は精一杯やったと思えるように私は努力して行きたい。そう思ったのも、もう何年も前の話だった。


 しかし、私は毎日は作品を書くことが出来なかった。出来なかったというのは正しくないのかもしれない。本当に出来なかったのか? という自問が生まれてしまうくらいには、私は私の過去に自信がない。日々は揺らぐ体調に支配されていたものの、では本当に小説を書けないのかと思う日も数え切れないくらいあった。このままでは作家になれないかもしれない。焦りはあった。世の中の作家になる人はきっと毎日、作品を書いているだろう。体調が悪くとも、きっと書いているだろう。そう思っても、パソコンに向かうことが出来ない日があった。


 私の頭の中にしか存在しない物語を世に生み出せるのは私しかいない。私は作家になりたい。私の書いた物語を多くの人に読んで貰いたい。そう、思っている。けれど、今年の夏に体調を崩して一作品の随筆しか応募出来ていない私は、ふと考えた。私は本当に文章を書くことが好きなのだろうか――と。私に出来ることは物語を書くことしかないから、だから作家になるしかないと、消去法で思っているだけなのではないだろうかと。世の中には文章を書ける人が大勢いて、私などその中の一部にしか過ぎず。別に私がこのまま物語を書くことをやめても、誰も咎めることはないだろう。私の心の中にある多くの物語がひっそりと死んで行くだけだ。誰も何も困りはしない。


 私は誰かや世間に認められたくて小説を書くのだろうか。確かに、いつかそれで身を立てたいという思いはある。誰にも届かないまま物語を書き続ける人生より、誰かの心に届く作品を書き続けられる人生を私は望んでいる。しかし、望んでいるだけでは願いは叶わない。私に出来ることは、コンスタントに作品を書き続けることだ。そう分かっているはずなのに、何故、それを実行することが出来ないのだろうか。体調だろうか。或いは――やる気がないのだろうか。


 有り体に言えば、疲れているのは事実だ。日々に疲れている。だが、生きている人間は少なからず何かを背負っているものだ。後悔や切願を持っているのは決して私だけではないだろう。皆、何もつらくなどないという顔で街を歩いているけれど、その人にはその人にしか分からない思いがきっとあるだろう。私が自身の病気や環境を理由に小説を書くことをやめても誰も咎めはしないだろうし、水が低い方へ低い方へ流れて行くように私が楽な方へ歩いて行ったとしても誰も責めはしないだろう。私にとって執筆することは楽なことではない。ただ、だからと言って本当に執筆することを好きだと言えるのだろうか。これからもずっと書き続けて行く覚悟が本当に私にあるのだろうか。


 一度、道しるべを失った時にどうしたら良いのかが私は大人になった今でも良く分かっていない。道を戻れば良いのか、信じる方向へ進んで行けば良いのか。私は長い時間を過ごして来たけれど巡って行く季節や社会に置いて行かれたままで、ただただ立ち尽くしているだけなのかもしれない。私が年齢の割に思考や外見が幼いのは、私の奥底を反映してのことなのかもしれない。与えられるはずだったものをずっと希求している幼い子供のまま、私は止まった時間の中にいるのかもしれない。


 私は、いつか作家になれば今までの私の全てが報われると思って生きて来た。ずっとそう信じていた。しかし、その心に何の根拠もなかったことを私は知った。誰にそう言われたわけでもないのに、私は私を信じていた。私は思い描く。自分が作家になった未来を。パソコンに向かい、自分の書きたい物語を沢山生み出して行く姿を。ただ、そこに幸せはあるのだろうか。自分の好きなことを仕事にした自分に喜びは本当にあるのだろうか。たった一人、部屋でパソコンに向かう自分。そこに幸福はあるのだろうか。私の本当に望む未来は、それなのだろうか。私は自分に自信が持てなくなって来ていた。


 世の中に溢れている沢山の文化、沢山のコンテンツを自分の中にインプットしては作品という形でアウトプットして来たつもりだった。全てを作品に還元出来る作家という職業にずっと憧れ続けて来た。けれど、その輝きに私は本当に今も惹かれているのか分からなくなっている。


 私は自分を救うのは自分自身だと思っていた。いつか作家になり、物語が誰かに届けば全て報われると考えていた。けれど今、心から真っ直ぐにそう思えなくなっている自分がいる。私は人の中に帰りたいと思っていることに気が付いてしまった。もう帰れない家族のいる家を理想化して心の内側に留めながら、自分の住んでいる家を現実のものとして理想にしようと努力して来たつもりだ。しかし、頑張っても頑張っても自らの家は映画の中のセットのように思えた。私の買った家具、お気に入りの雑貨。そういったものに囲まれても私の気持ちは空虚だった。どれだけの私物を増やそうとも、私はその中で取り残されていて私の空虚な心だけが浮き彫りになった。


 内ではなく外に自分の喜びを求めたこともあった。だが、誰もに生活があり誰もに帰って行く家がある。皆、自分とは違う時間を生きている。そんな当たり前の事実に打ちのめされて私は人を求めることをしなくなった。


 結局、私に出来ることは小説を書いて作家を目指すことなのかもない。しかし、もう何百回と考えた結論に辿り着いても、私は目標に向かって歩いて行くことを躊躇ってしまっている。ずっとずっと小説を書く。それが本当に私の望んだ道で、未来なのだろうか。隣に誰もいなくとも、物語を生み出して行くことが私の望みなのだろうか。


 誰でも良いから傍にいてほしいと思ったことも何百回とあった。けれど、ただ擦れ違っただけの人に感じた体温を求め続けても叶わないまま終わった。不意に繋がった繋がりは不意に離れて行く。そう学習しても、触れた心に感じた温もりが忘れられなくて仕方なかった。


 誰かが傍にいてくれれば作家を目指せるのかもしれない。しかし、そんな条件付きの希望など、本当に心からの望みだろうか。私は実は作家になど興味がないのかもしれない。気が向いた時にだけ、書き散らかせれば満足なのかもしれない。そう思った。だが、とも思う。私から書くことを除いたら、一体何か残るというのだろう。他者の生み出したコンテンツを楽しむだけの日々に私は満足出来るのだろうか。恋人がいれば、それで万事がうまく行くのだろうか。考えても分からなかった。


 もう一度だけ、頑張ってみようかとも思う。しかし、何を基盤にして行けば良いのかが分からない。何処に向かって歩いて行けば良いのだろう。欲しいものなど、もうとうに忘れてしまったようにも思えるし、未だ心の底に揺れているような気もした。もう一度だけ――そう思っても何も出来ないまま時間が過ぎて行く。このまま時間に取り残されて行くのだろうか。未だ答えが出ない。答えが出ないまま歩いて行くことは怖かった。


 だが、答えが出るのは十年後かもしれない。その時、もっと早く行動しておけば良かったと思っても後悔ばかりが募るだろう。それならば今の内に今の自分の目標を仮置きして、そこに向かって歩いて行くべきだろうと私は考える。いつか、執筆以外に私のしたいことが見付かる可能性もあるだろう。或いは夢みていた作家になり、満ち足りた気持ちになることもあるだろう。何が私にとって希望に成り得るのかがいつか本当に分かる日まで、私は物語を綴って行こう。その気持ちを此処に残す。    

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続く足跡 有未 @umizou

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