第4話 門を仰げば

 馬車はやがて門の前に着き、二人は石畳に降り立った。


 門は切り出された石で組まれていて、扉はない。近づいて見れば、そこには大小の美しい彫刻がほどこされているのだが、いまのアイラにその余裕はなく、ただ「でかい」と思った。どうも、道中いろんなことに驚きすぎて、感情の網目がだいぶ粗くなってきたらしい。それだけアイラには王都は刺激的だった。


 門から先は、石畳が道となって敷地の中へ続いていた。


「大きな荷物はこのまま君の部屋へ運んでおいてもらうから、我々は中を見に行こう」


 そういって、レオンハルトはやや及び腰になっていたアイラを門の前へ立つよう促す。


「えっ、レオさんが先に行かないんですか?」


「もちろん、案内はするがね。しかし最初は、自分の足でまたぎたくはないかい? 周りの助けはあったにせよ、君の力でたどり着いたんだからね。……でもその前に、上を見てごらん」


 促されるまま、アイラは門の正面に立ち、重厚なアーチを見上げた。


 するとそこには、こちらを見下ろす顔が彫られているようだった。人間のようでもあるが、厳しい表情からは、人ならざる者をも想起させる造形だった。


「鬼……ですかね?」


 アイラのつぶやきに、レオンハルトは「ほお」と少し感心したような声を上げた。


「では、どのような鬼に見える?」


「ええ? うーんと……そうですね、怖い顔ですけど……」


 アイラは少しだけ考え込むと、鬼の顔を見上げながら答えを返した。


「悪い鬼、ではないと思います。昔読んだおとぎ話に、そういう鬼が出てきて。いつも怖い顔をしていて、後ろ暗いことがある人はその鬼に出会うと食べられるぞって噂されているんですけど、あるとき男の人が、大事な戦いに向かう途中で鬼と出会ってしまって、でも鬼はただ頷いて見送るんです。怖い顔のままだから、出会った男の方はびっくりして身構えちゃうんですけどね」


 レオンハルトは少し頷きながらこの話を聞いていたが、アイラが話し終えると、クククッと笑い出した。

 

 アイラは振り返って、


「す、すみません、変でしたか!?」


 と慌てたが、レオンハルトは手の平でそうではない旨を示した。


「いやいや、失礼。ヴィルの手紙で本が好きだと聞いてはいたが、いやいや、フフフ……」


 そう言ってなんとか笑いを収めると、レオンハルトはこう続けた。


「そのお話の続きはこうだ、鬼が何もしてこないとわかると、その男は急いで戦いの地に向かった。到底勝てるはずのない戦だったが、それでも守る者のために男は戦わねばならなかった。しかし戦が始まってみると、多くの敵が戦う前に男を恐れるようにして逃げていったんだ」


 アイラは驚きつつ、言葉をつないだ。


「そのおかげで戦に勝ったあと、味方の一人が言いました、『お前の肩に鬼が乗っていたぞ』って。男の人はすぐに鬼に会った場所へ戻ると、鬼がまた怖い顔で頷き、どこかへ消えていきました、めでたしめでたし……どうしてわかったんですか?」


 目を丸くするアイラに、レオンハルトは隠しきれない笑みを浮かべて答えた。


「アイラ、君が読んだのはただのおとぎ話じゃあない。この国の古い神話の一部だよ。まったく、よく読めたものだ、写本にしたって古代語で書いてあっただろうに」


「えっ、あれ物語じゃなかったんですか?」


「まあ神話だから、そうともとれるが……いやはや、大した洞察と記憶力だ」


 レオンハルトはそう言いながら、自分も帽子を取って頭上の彫刻を見上げた。


「君の言う通り、これは今話した鬼の彫刻さ。神話の土地の名をとって、〈アスガルの鬼〉といってね、古い慣習だけど、こうして土地の境界に置くことで魔除けになるとされているんだ。そしてこれが君の眼には悪い鬼に見えなかったということは……」


 つられて同じように鬼を仰いでいたアイラは、視線を感じてレオンハルトに向き直る。その視線を確認するようにして、レオンハルトは頷いてみせた。


「きっとこの鬼は、君の味方にもなってくれるはずだ」


 そう言って微笑みを向けるレオンハルトに、アイラは元気よく「はい!」と返した。幸先の良い話を聞いて、少し緊張がほどけるように感じた。


 しかし、レオンハルトの次の言葉は、彼女を再び緊張させることとなる。


「ところで、この門をくぐる上で君に確認しておかなくてはならないことがある」


「な、なんでしょうか?」


 少し声の雰囲気が変わったのを察して、アイラは門の真下で身構えた。


 彼女が自然と半歩ばかり後ずさるのを、レオンハルトは見届けた。そして彼は〈レブストル〉第一のルールを、ゆっくりとした声で伝えた。


「アイラ、君には一つ、ここで名前を捨ててもらう」


 その言葉にアイラが身を固くし、沈黙する二人の間に春の風がずけずけと吹き過ぎるまでを、ただ門の鬼だけが神妙な顔で見つめていた。

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