第13話 『ただの我儘』


 昨日の放課後、俺は結花と二人で河原に向かい、髪留めの捜索を進めた。


 けれど。


 結局、それは見つからなかった。


『そんなに大事なもんなのか?』


 思えば出会ったときにはもうあの髪留めはつけていた。小学生になったお祝いだったのか、あるいはそれよりもっと前に貰ったものなのか。


 いずれにしても、ずっと大事に持っているのだから、その質問は今さらだと思われるかもしれないけれど、そうではなくて、俺はが知りたかった。


 そんな俺の意図を察したのか、結花は捜索の手は止めずに話し始めた。


『これね、あたしがまだ幼稚園だったときにお母さんが買ってくれたんだ。ほら、うちは父親がいないからお母さんが仕事に出てて、帰りが遅くなることもあるでしょ?』


『ああ』


 それは今も続いていることだ。

 だから、結花は一年生のあのときから頻繁にうちに顔を出している。今ではもう家族のような存在になりつつあるくらいだ。


『だからね、たまーにご機嫌取りでいろいろ買ってくれるの。髪留めもそうだし、他にはぬいぐるみとかお洋服とかね。あたしにとって、その全部が宝物なんだ』


『そっか。そりゃ、見つけないとな』


『……うん』


 結局、暗くなるまで探したけど髪留めは見つからなかった。

 聞いたところによると結構な範囲の捜索を済ましていたようで、昨日の終わりの時点でほとんどの場所を探し終えたらしい。


 しかし、髪留めは見つからない。


 なんでなんだろう。

 もちろん、髪留めは小さいし完璧には探し切れていないのかもしれないけど、それでもこんなに見つからないものなのか?


 俺は授業中もずっとそのことだけを考えていた。


 明日は運動会だ。その準備があるから授業は午前中のみで終わる。係の人は居残り、ボランティアで手伝うことのない人はそのまま帰宅ということになっている。


 結花は今日も諦めずに捜索を続けるらしい。ならば俺も付き合わないわけにはいかない。


 今日もいっちょ頑張りますか、と気合いを入れていると、視界の中の柴田が立ち上がった。


 そして、ゆっくりと結花の席まで歩いていく。あんまり二人をぶつけるべきじゃないと思い、俺も結花の席へと向かう。


「よお、見つかったか?」


「……まだだけど」


 結花は柴田から直接聞いたって言ってたな。そもそも髪留めを捨てた本人を前に、よく我慢していると思う。


 けど、ここで柴田を殴ったところで何も解決はしない。それは結花も分かっているんだ。だから、グッと堪えている。


 それは今も変わらない。


「そっかぁ。おかしいなぁ。見間違えたかな?」


「……どういう意味?」


「いやな、お前の髪留めを投げたのは佐藤だからよ。投げたのが髪留めじゃなかったのかも」


 柴田の言った言葉に佐藤がガタリとイスを揺らして立ち上がる。しかし柴田に睨まれてすぐにその勢いを失う。


「……」


「そう睨むなよ。間違えた情報教えちゃって悪いなと思ったから、俺もちょっと探したんだよ。そしたら、ほら」


 言いながら、柴田はポケットを漁り、そしてそこから髪留めを取り出した。


 結花は目を見開く。

 俺も思わず足を止めてしまった。


「か、返して!」


「もちろんだよ。そのためにこうして取り出したんだから……おっと」


 そう言ったかと思えば、柴田は持っていた髪留めを床に落とした。わざとじゃないような芝居をしていたけど、あれは明らかに意図的な行動だった。


 そして。


 だとすると。


 柴田が次にすることは……。


「やめろッ! 柴田ァ!」


 俺は思わず声を上げる。

 柴田はそんな俺を一瞥して口元に笑みを浮かべた。

 俺は止まっていた足を動かし、全速力で二人のところへ向かう。柴田を止めないと、このままじゃ髪留めが……。


「おっとォ! 落としちまった! 拾わねえとなァ!」


 言いながら。


 柴田は落とした髪留めを思いっきり踏んづけた。あれだけの力で踏まれたら髪留めはきっともう……。


「……え」


 結花はなにが起こったのか分からないように、ただ短く声を漏らした。そして、柴田が自分の足を動かしたところを見て、言葉を失った。


 そのタイミングで俺も到着した。

 髪留めを見ると、割れて壊れていた。


 結花は言葉なく、瞳に浮かべた涙を頬にこぼした。


「ざまぁみな。俺に逆らうからこうなるんだ。これに懲りたら、もう二度と生意気なことはしないことだなァ」


 あーはっはっと柴田は愉快そうに笑う。

 これまで生きてきて、ここまでの男は初めて見たかもしれない。ゲスだと思う奴はいたし卑怯な奴もいた。けど、柴田はそのどれよりも酷く思えた。


「おい、柴田」


「あ?」


 柴田がこちらを振り向いたその瞬間、俺は頬を目掛けて拳を振るった。

 油断していた柴田はガードどころか心の準備もないまま、俺の拳をダイレクトに受けて尻もちをついた。


 なにが起こったか分からず、呆然としていた柴田はようやく事態を理解してきたらしく、真っ赤になった顔をこちらに向ける。


 鋭い目つきで俺を威嚇しようとしたような柴田だったけど、しかし俺の顔を見た柴田は逆に一瞬だけ怯んだようだった。


「多少のことならガキのすることだからって飲み込んでた。けどお前は、超えちゃいけないラインを超えたぞ」


「ケッ。不意打ち一発喰らわせたくらいで偉そうな口叩くんじゃねえよ。そういうことはな、俺のパンチ受けてから言いやがれッ!」


 そう言いながら、柴田は右手を振りかぶった。腕っぷしは大したもんだと思う。ノーガードで受けたら痛いだろうなあ。


 でもなあ。


 ここは引けないよなあ。


「……ッ」


「……は?」


 俺は柴田の拳を真正面から受け止めた。すごい痛いな、と思いながらも何とかその場にとどまることに成功した。


「これで偉そうな口叩いてもいいんだよな?」


 これまで喧嘩という喧嘩はしたことがない。

 人を殴るなんて怖いし、殴られたら痛い。適当に流せばそれを回避できるのにわざわざ痛い目に遭いに行くことはないと思っていたからだ。


 ぶっちゃけ、自分が喧嘩できるかどうかも分かってない。


「……お、落ち着けよ志波。あ、謝るからさ。ここはおあいこってことにしようぜ?」


 震える声で言いながら、柴田は一歩後ずさった。自分の本気のパンチで俺が倒れなかったことが想像以上に効いているらしい。


 ギリギリなんだけど、そういうことならここは耐えきれないと。


「お前は一回でも結花に謝ったのかよ。自分がしてきたことがどういうことか考えたことあるのかよ」


「あ、謝るよ。柊木にも謝る。だから、な? もうやめようぜ?」


 俺が近づくと、逃げるように柴田は後ずさる。けど逃さない。こいつは一度痛い目を見るべきだ。痛みを理解しないと直らない。


 まあ。


 そんなことは建前で。


「歯ぁ食いしばれよ。お前がなに言っても聞く耳持つつもりはないからよ」


「おお、お大人になろうぜ。俺たちもう五年生なんだからさ。な?」


「うるせえ。五年生なんかまだまだガキだよッ!」


 最後にたった一発だけ。


 罰を受けることを覚悟して、俺は柴田に拳を振るった。

 担任は怒るだろう。

 母さんは悲しむかもしれない。

 結花は望んでいないかもしれない。


 けどこれは俺のただの我儘だ。


 それくらいに、俺はこいつのやったことが許せなかった。



 その日の放課後の教室は、これまで見たことがないくらいに静寂に包まれていた。

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