第14話 刹那に見える逃げ道が

 ずっと、ほたるに言われた言葉が引っかかっている。


 vtuberをやめろと言われても、はいそうですか、とは返事できないけれど、いつか必ずみかんさんが傷つくこととなるという点については、心当たりがあって、根拠もなく否定することができなかった。


 小さい頃から、いろんな習い事を親にやらされてきた。


 ピアノ教室から始まって、英会話、水泳、テニスにソフトボール。地域の合唱サークルに入れられたあとは生け花の展示会に通わされて、美術館や博物館には毎週連れて行かれた。運動も芸術もダメだと分かったあとは食べ物作りのツアーに何度も参加した。


 今思えば、私の両親は、私の中に眠る何かを目覚めさせたかったのだと思う。


 これだけの習い事をしていたと誰かに言うと、必ず驚かれる。普通そんなにたくさん習わせてはくれないと。


 でも、私は何も頼んだわけじゃない。むしろ、頼むように、祈るように手を合わせていたのは、親の方だ。


 そして私は、半年も経たないうちにそれらの習い事をやめていた。


 ピアノは指が届かなくて泣きわめいたし、英会話は先生が厳しくて辞めた。水泳は水を飲んで以来怖くなって潜れなくなったし、テニスは教室の子と喧嘩して行かなくなった。ソフトボールはバットとグローブを買ってもらうところまではいったけど結局一度も使うことなく教室をばっくれた。


 芸術的観点や多彩な視点は私には一つたりとも存在せず、花を刺した花瓶や、名前も知らない誰かが書いた絵画で感動したことは一度もなかった。食べ物を作る過程にも興味がなく、そもそも昔から、大さじ一杯とか、分量を量る過程自体が苦手だった。


 親が私に習い事をさせなくなったのと同じくらいの時期に、お父さんの不倫が発覚して離婚した。離婚の話し合いをする際に、お父さんが「あいつにどれだけ費やしたか」と私を指さしたことがある。


 お母さんとお父さんが離婚した要因の一つに、私が含まれていたことを知って、その日はずっと一人で泣いていたのを覚えている。


 お父さんだけが家を出て行く形となって、残ったのはお母さんと胡桃くるみと、私になった。


 いろんなものを無くしたお母さんは、私に一度だけ、やりたいことはないのかと聞いてきた。あれは今思えば、縋るものが欲しかったのかもしれない。お母さんが欲しかったのは何かを追い、目指す、娘の背中だったのだ。


 けれど私は、言ってしまったのだ。


 ――もう何もしたくない。


 私はどうせ、何をやっても途中でやめる。何か理由を探して逃げ道を作る。


 いつだってやめる原因となるのは、不甲斐ない自分と、普通の人よりできない自分。それに伴う、周囲の目と、哀れむお母さんの顔だった。


 それが嫌で、私は何かを志し、自らを高め、誰かと競争するのを避けるようになった。


 vtuberを続けて、もう一年が経つ。


 正直、ここまで続いているのは初めての経験だ。ようやく、私でも続けられるものがあったのだと、安堵する気持ちもある。


 けれど、時々、不安になることがある。


 あの日、あのとき、探し求めていた逃げ道が、画面の向こうにうっすらと見える瞬間がある。それがどういう状況で見えるのか、まだ分かってはいないけれど。


 私は習い事を続けられなかったことで、家族を引き裂いてしまった。


 あのときの悲劇をまた、繰り返してしまうんじゃないかと、それだけが、気がかりだった。


佐凪さなぎさん!」


 体育の時間、グラウンドのトラック内を走っていると、後ろからみかんさんが話しかけてきた。


 先生から課せられたのはグラウンド五周。みかんさんはすでに走り終わってるはずだけど、何故か残っている。


 私はすでにヘトヘトの状態で、もたつきながら振り返った。


「先生、どっか行っちゃったよ。今のうちに抜けちゃう?」

「あ、う、うん」


 要はサボってしまおうということだった。


 周りを見ると、すでに走っているのは私とみかんさんだけだった。他の人たちは木陰に避難して、各々で談笑をしている。


 二周遅れの私は、まだまだ終わる気配もない。みかんさんの言葉に甘えて、体育館裏の茂みに避難した。


 コンクリートの段差に腰掛けて、息を整える。


 自分で言うのもなんだけど、私は体力がない。グラウンドを二周もすれば足が震えて、肺が痛くなる。長距離走はゆっくり走れる分まだマシなほうで、五十メートルを全力疾走しようものなら、私はゴールと同時に気を失う。


 みかんさんは、私が風邪を引いたときにコンビニまで走っていったあの快足に恥じない体力の持ち主で、汗こそかいてはいるが息はまったく切れていなかった。


「佐凪さんフラフラだったから、みんな心配してたよ。はい、飲み物」

「あ、ありがとう」


 そっか、見られてたんだ。私が五周もできないところ。


 みかんさんから受け取ったスポーツドリンクは、霜が付いていて、すごく冷たかった。


「いくら体育祭前だからって、先生張り切りすぎだよね。ていうか、練習するなら短距離じゃない!? あたし、出るのリレーだけだし」


 みかんさんは落ちていた雑草を拾って、指でくるくる回している。


「佐凪さんもリレー出るんだよね」

「う、うん。なんか、出ることになっちゃった」


 体育祭まであと一ヶ月。


 一人一つの競技に参加することがルールになっていて、私は一番楽な徒競走に参加しようと思ったのだけどすぐに定員が埋まってしまって、なくなくリレーのメンバーに組み込まれた。


 順番は真ん中くらいで、今から緊張している。クラスの人たちは「気楽にいこう」とは言ってくれているけど、私が足を引っ張ることは確実なので今から気が重い。


「体育祭、競技とかは嫌だけど、こうしてみんなで団結するのは楽しいよね。あと、お昼とか、グラウンドで食べられるのも嬉しい!」


 去年の体育祭は、たしかどこで食べればいいか分からなくて、教室に戻って一人で食べてたんだっけ……。人の少ない場所を選んでしまうのは、ぼっちの習性なのか。


「佐凪さんも一緒に食べようね! うちのお母さん、体育祭の日はめっちゃ気合い入れたお弁当作ってくれるんだけど、毎回食べきれないから、協力してくれると嬉しいな」


 みかんさんが、手を合わせてごめんのポーズをする。私が頷くと、ぱあっと花が咲いたように笑った。


「佐凪さんのお母さんは来るの?」

「土日なら来ると思うけど、平日だし来ないと思う。仕事だから」

「そっか」


 持っていた雑草を投げると、風に乗っていく。それを眺めるみかんさんの表情は、よく見えなかった。


「でも、お弁当は作ってくれる。やっぱり、ちょっとだけ、豪華」

「あはは、お母さんって、なんで自分が出るわけじゃないのに、あんなに張り切るんだろうね」

「わかんない」


 みかんさんと一緒に笑い合う。それはたしかに、なんでなんだろう。


「そういえば、佐凪さん。昨日、ほたるに会わなかった?」

「え」


 蛍、蛍……。


 頭の中でその名前を反芻すると、氷柱が土ゴーンと振ってきた。鋭利なものに、寒気を覚える。


「蛍、佐凪さんに会ってきたって言ってたからさ。すっごく嬉しそうにしてたよ。あたしの後輩がお世話になりまして」


 う、嬉しかった?


 そんな風には見えなかったけど……。


「昔から生き物好きでさ、よくあたしの家の庭に来て、バッタとか、捕まえてたんだよ」

「そ、そうなんだ。仲良いの?」

「うん! 幼なじみ! 蛍、中学のとき生物部がなかったことにショック受けてたから、部活、すっごく楽しみにしてるんじゃないかな。良い子だから、仲良くしてくれると嬉しいな」


 みかんさんの表情はどこか、妹を心配するお姉ちゃんのようにも見えた。それだけで、二人の関係が深いものなのだと感じる。


「で、でも……あれ? なんか、生物部には入らない、っぽかったよ」

「え!? そうなの!? なんで!?」

「わ、わかんないけど。昨日はなんか、あなたが雨白あめしろねーって、言われて、それで」


 やめろって言われたことは、みかんさんのことを考えると伝えないほうがいいかな。仲良いみたいだし。


「ん?」


 すると、みかんさんがピタッと動きを止めて、首だけをこちらに向けた。


「ちょっと待って、なんで蛍、佐凪さんが雨白さんだって知ってるの?」

「え、わ、わかんないけど。みかんさんが教えたんじゃないの?」


 というよりも、ずっとそうだと思ってた。


「教えない教えない! 推しのプライベート情報だよ!? いくら幼なじみでも絶対に言ったりしないよ! 雨白さんのことは、推してるとは伝えてるし、動画も見せたことはあるけど……」

「じゃ、じゃあ、なんで?」

「声、とかかな。佐凪さん、配信でもこうして話してるときでも、喋り方は同じだし」


 そういえば、昨日も同じようなことを言われた。キャラを作っていない、使い分けていないと。


「ごめんね、いやだったよね」

「う、ううん。びっくりしただけ」

「あとで蛍に聞いておくね。まったくもー」

「で、でも、私が雨白だってことを知ってるのもビックリだけど、そもそもなんで蛍は私のこと知ってるの?」

「あ、それは私が、佐凪さんのことをよく蛍に話してるから」

「あ、あれ? 私が雨白ってことは言ってないんじゃ……」

「うん、だから、佐凪さんのこと。普通に、新しい友達できたんだーって。クラスのちょっと不思議な子で、毛虫にすっごく詳しくて、あとはこう、喋るとき上目遣いになるのがかわ――」


 かわ、かわいい?


 それしか繋がる言葉はない、よね。皮、なわけないし、焼き鳥じゃあるまいし。


 ふと、横を見ると、みかんさんが唇をキュッと締めて、真っ赤になっていた。


「という、ように」


 変な口調だった。かしこまり半分、動揺半分。なんだか急に、太陽の日差しが強くなってきたような気がする。首の後ろがやけに熱い。


 互いに顔を見合わせて、会話の続くを探していると、体育の先生が戻ってきた。


 クラスのみんなもグラウンドに集合しはじめていたので、私も立ち上がる。


 遅れて付いてきたみかんさんが、段差でつまずいて、私の背中に抱きついてくる。


 うへぇやい。


 と変な声が出た。互いに。


 なんだこの空気。

 

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