第7話:不死身の辰風VS氷川暁

 辰風は、歯を剥き出しに食い縛ると、捻った腰を戻すように剛腕を振って、10名の集団の眼前で大剣を横に薙ぎ払う。


 大剣が通り過ぎた後は、まるで嵐が吹き荒れたように、圧力のある突風が全身を押した。重厚な大剣の見た目も相まって、突風は、より密な物に感じた。中には後ろへ転がった者も居た。


 ただの牽制である——。

 しかし圧倒的な実力から放つ風圧は、すでに牽制の域を超えている。辰風の据わった眼光からも、その薙ぎ払いは、死を予感させるものだった。


「そんな牽制で、この私が怯むとでも!」


 しかし唯一、凛とした声が、臆することなく夜を突く。

 暁は、立ち竦む集団の中で、大地を強く踏んで、大きく後方回転をして距離を取った。そして宙を舞いながら身体を捻ると、苦無を再び投擲した。今後は身体を捻った遠心力も相まって、鋭く風を貫いていく。


 だが、その程度で辰風の猛攻を制することは叶わない。

 重心を下げて、再度身体を捻ると、独楽こまのように回転をして大剣を振り回す。重厚な刃は、眼にも留まらない素早さでくうを切り裂いて、すべての苦無を撃ち落としていた。


 かん、かんかんかんかん——!

 鉄と鉄が衝突する金属音は、闇夜で火花を散らして、鋭く鳴り響く。もやは武装した10名が立ち入る隙も無い。いや、もしも立ち入れば戦火の渦に呑み込まれて、無駄死にしてしまうだけだろう…。


「素晴らしい!では、これならどうでしょう!?」


 月光を背に宙を舞いながら暁は、さらに身体の回転を強める。そして苦無から鎖へと持ち替えると、首輪で繋がれていた刺青の男の変わり果てた姿を投擲した。苦無と同様に、風を射抜くように放たれた男の身体は、すすべく高速で辰風へと向かう。


 辰風は驚嘆をすることもなく、残像を映すほど峻烈に回転していた大剣の遠心力に身を預けて、軽やかな足取りで、男の全身の特攻を避ける。男の全身は、勢いを殺すことなく砂埃を巻き上げて地面に衝突した。


 熟れた果実が潰れるような、鈍い音が耳を掠めたのも束の間——辰風は、回転する勢いをそのままに、真横を通り過ぎた鎖を鷲掴みした。そして射抜くような眼光で、勢い良く鎖を下降へ引っ張った。


「おおおおぉおおおおぉおおおおおお————!!」


 辰風の咆哮が、夜に唸る。

 鎖を通して肌に伝わる彼の膂力りょりょくは凄まじく、今まで感じたことの無い重力が全身に圧し掛かった感覚だった。暁は、まるで羽根を捥がれた鳥のように、抗う術もなく急速に地面へ落下していく。


 だが、暁は不敵な笑みを辞めることはなかった。そしてその邪悪な微笑みを裏付けるように、潰れた刺青の男の身体から「ぷしゅぅぅぅぅぅぅぅ!」と白煙が噴射した。


(この女、死体に煙玉を仕込んでやがったか!)


 自身の背後で噴射された白煙は、辰風、いては10名の集団すら巻き込む勢いで辺りを駆け巡った。まばたきほどの刹那で、すべてが白一色に塗り潰される。


 全員が白煙に包まれると同時に、鎖を支配していた膂力が解放された。暁は、涼しげな表情で、全身を回転させて着地した。

 もちろんこの程度で決着が着いた訳では無いだろう。暁は、向こう側が見えないほど濃厚に巻き上がった白煙の中で、姿なき彼の殺気を肌で感じていた。そして来る瞬間に備えて、腰に携えていた日本刀を抜いた。


 研がれた銀色の切先を白煙へ向けると、


(苦無と同様に、死体を撃ち落とさなかったのは英断ね。お陰で煙玉の直撃を免れたって訳ね。しかし直撃でなかったとしても、この煙玉に包まれた時点で、あなたの敗北は免れない…)


 暁は、氷のような冷たい微笑を浮かべた。白煙は、毒茸どくたけを調合した特別性である。一度吸い込めば末端から痺れが侵蝕していき、いずれ全身が侵される代物だ。


(やれやれ。10名も煙玉に包まれましたが…まぁ尊い犠牲でしょう。さて、見せてもらいましょうか。不死身などと、ふざけた通り名の実力を——)


 彼女は、一手先を進む自身の技術に、絶対の自信を感じていた。それを裏付けるように煌めく刃に、彼女の薄い微笑みが映る。


 だが、その余裕も、僅か数秒後には、必死の形相に塗り潰されるのであった。月明かりに照らされていた日本刀の煌めきが、黒い影に覆われた。不可解な違和感を覚え、頭上を見上げると、特徴的な黒い外套が視界を掠めた。


 まさか——!

 そう、脳裏に走った暁の違和感は、正しかった。白煙を超越するほどの飛躍を見せて、頭上で手裏剣を構える辰風が、そこには居た。手には代名詞とも言える大剣は携えていない。しかし今は大剣の行方を詮索するほどの余裕は、彼女には残されていなかった。


 辰風の剛腕が鞭のようにしなやかな動きで、手裏剣を投擲する。


「くっ!」


 暁は、頭上から降りかかる手裏剣を、後方回転をして距離を取る。そして体勢を整えて、日本刀を翳すが、すでに間に合わない。


 彼女の一連の動作は早いが——遅い!

 すでに眼前に差し迫った辰風の拳が、彼女の頬を掠めていた。間合いを詰められ、剣を振る余裕すら与えられない。


 間合いを取って剣を振るか、徒手空拳に切り替えるか——その判断すら与えられないほどの、乱打が彼女を襲う。しかし暁も、戦闘において引けを取らない実力の持ち主である。辰風の嵐のような殴打に、日本刀を捨てて、残された左腕と足蹴りで応戦する。


「剣士のくせに、素手で来るなんて不恰好だわ!」


「何とでも言いな。どんな手を使ってでも、やられる前にやる。それが俺の語る不死身だと、てめぇが殺した男から聞いてなかったか!?」


「生憎、堂山様以外に興味が無いものでね。聞く耳すら持たなかったわ」


「だったら——」


 嵐の攻防の中、辰風は彼女が必然的に手薄となる身体の右側へ、中段の回し蹴りを放つ。残された左腕で防ぐと、それを見計らったように身体の左側に、渾身の拳を叩き込んだ。

 

 横腹に捻じ込む拳は、まるで鉛のように重く、彼女の口腔から空気がすべて吐き出されるほどの衝撃だった。呻き声すら上げることも出来ず、彼女は「かはっ」と空気を吐き出す。


 そして辰風は、さらに腰を大きく捻って、左の拳に全身の体重を乗せながら、


「——てめぇ自身の身体で、よく覚えておきな!」


 拳を振り切って、彼女を吹き飛ばした。暁は地面と平行になるように全身が宙に飛ぶと、為す術なく地面に倒れ込んだ。しかし衝撃は緩和されることなく、砂埃を巻き上げながら地面を転がっていく。


「瑠璃猫!今だ!」


 回転する視界の中、風になびく美しい白銀の糸が僅かに伺えた。しかしそれが何かを判断する暇もなく、辰風の一声で、彼女の全身は縄で締め上げられていった。手、脚の全身が巻き付かれ、一切の身動きが取れない。


「…にゃあ」


 暁が頭上を見上げると、暗闇に浮かぶ真紅の瞳が、鉤爪を覗かせて怪しくこちらを覗いていた。佇む少女が、刺青の男が語ったもう1人の銀髪の少女だと気付くと、暁は視線を合わせて、


「その白銀の髪色、真紅の瞳。あなた、もしかして…」


 何かを悟ったかのように一言呟く。しかし瑠璃猫は、文脈に囚われることなく、緩急の無い口調で「捕縛。完了」とだけ発した。

 これ以上、成立しない会話を続ける様相は無い。まるで最初から定められていたかのような鮮やかな捕縛に、暁は視線を瑠璃猫から夜空へ移した。


 そして状況に似合わない気怠そうな口調で「あーぁ。捕まっちゃった」と子ども染みた言葉を漏らした。背中越しに伝わる地面の冷たさが、ひんやりと彼女に沁みていた。


「さっきまでの勢いはどうした?随分と呆気なく諦めるじゃねぇか」


 辰風は、彼女の身体に打ち込んだ左拳を振りながら言葉を投げかける。そして次第に霧散して開けてきた白煙の場所へと歩んでいった。


 暁が視線を移すと、倒れ込んだ10名の隣で地面に突き刺さった大剣が伺えた。そして辰風は、大剣の柄を掴むと、黒い外套に繋がれた革で簡易的に縛って背負った。


 暁は、地面に突き刺さっていた大剣をいぶかしそうに眺めていたが、しばらくすると納得をしたように、言葉を紡ぎ出す。


「あぁ…なるほど。突き刺した大剣を踏み台にして、煙玉を逃れたのですね」


 辰風は「ご名答」と返すと、さらに言葉を続ける。


「何も斬ることだけが剣の使い道じゃねぇさ。道具ってのは、要は状況に合わせた使い分けが、大切ってことだ」


「道具は、状況に合わせて使い分ける……ふふ。良いことを言うわね」


「…まぁそんなことは、どうでも良い。そんなことより色々お聞かせ願おうか」


「ふふ。何を?」


とぼけてんじゃねぇ。望月堂山——もとい鉄鋼黒蟻についてだ」


 そう言うと、横たわる暁の頭上に近付いて、瑠璃猫と共に彼女を見下ろした。戦況を重々に知らしめるように佇む2人の風格は、月明かりを背にしていることも相まって、底知れぬ圧を帯びていた。しかしは暁は、捕縛されている身にも関わらず、静かに微笑んでいる。


 そんな不気味な彼女に、眼も暮れず、


「てめぇ及びそこに倒れている10人の内に望月堂山は居ないな。察するに…氷川暁と見受けるが間違いは無いな」


 そして家屋の壁に、張り付いたように息を潜める壱吉へ「どうだ。合っているか」と言葉を投げた。壱吉は、捕縛されいる暁と倒れ込んでいる10名の姿に若干緊張感が綻んだのか安堵の様子で、


「ま、間違いありません。ここに望月堂山は居ません。その人は氷川暁です…!」


「あら、懐かしい声。こうやって声を聞くのは、3年振りかしら」


 捕縛されているため壱吉の姿を直接見ては居ないが、声を聞くと懐かしそうに眼を細めた。そして、にぃ——っと口角を上げると、


「本当に懐かしいわぁぁ。私が、元藩主の望月源斎を殺した時のことを思い出しちゃう…」


「い、今。父ちゃんを殺したって…!?」


 暁の言葉に、真っ先に反応したのは壱吉である。それは襲撃され、顔面に幾重の火傷痕を着けられた当事者である母・望月澄世ですら、何故か記憶に無かったことだからだ。

 襲撃されて顔を見ているはずなのに、ずっと確証が持てなかった事実である。それを一種の自供のような形で、聞かされることになった嫡子である壱吉の心境は、複雑そのものだろう。


「ふふ、どうやら口が滑ったかしら?」


 そう言うと、暁は上体を起こして、辰風と瑠璃猫を見上げた。その表情は、先程までの10名の集団を指揮していた凛とした佇まいは無く、狂気に歪んだ笑顔が浮かんでいた。


「てめぇ…この状況で何を企んでやがる!」


 捕縛された身とは思えないよどんだ雰囲気に、辰風の声に力が入った。


「不死身の辰風…あなたの言う通り私の名前は氷川暁。そしてここに堂山様は居ないわ。でもは、ここにある」


 辰風は、背の柄を握り締めて、半身を切る。表情こそは変わらないが、瑠璃猫の鉤爪を構える動作にも、緊張が走った。


「あはは!予想以上に追い詰められちゃって、少しびっくりしちゃった!だからこれは、私からのご褒美。知りたがっている鉄鋼黒蟻の一部を、見せて上げましょう。は、状況に合わせて使わなくちゃ…でしょ?」


 すると2人の後方で、パキパキと関節が鳴るような不可解な音が生じた——。しかし2人は、この不可解な音に聞き覚えがある。


 歴戦のはなとの戦火で、脳裏に刻まれるほど、何度も聞いた音である…。直近であれば、大熊蟷螂おおくまかまきりの時に聴取した音だ。


 それは、10名の武装した彼から発せられる音だった。


「ふふ……早々に仕込んでおいた甲斐があったわ。さて…不死身の辰風と銀髪のお嬢さん。この氷川暁が、そこの道具10個と一緒に戦闘のいろはを教えて上げる……」


 するとそれが合図でも合ったかのように、10名の武装した彼らが、呻き声を上げながら、それぞれが断末魔を上げていく。


「ぁ……あぐ…っ。あ、頭ガ……割れソ…うダ……」


 もはや流暢に言葉を発することも叶わない。涎を垂らして苦しそうな複数の呻き声が、辺りに木霊していた。

 そして彼らの全身は、内側から奇怪な何かが這いずり回っているかのように波打っており、衣服を突き破る勢いを見せている。人体の構造の範疇を超えて蠢く全身からは、が産声を上げようとしていた。


 次第に彼らの皮膚は、黒く光沢を帯びた外被へと変化していく。


「瑠璃猫!壱吉の側に行って守れ!」


「否。先手。必須…!」


 辰風の怒号と共に、瑠璃猫は暁に向かって、鉤爪を振り上げる。普段の緩慢な動作からは想像も付かないほど、眼にも止まらぬ速さで斬り付け、突風となって砂埃を巻き上げた。


 しかし、すでにそこに暁は居なかった。音を置き去りにするように、瑠璃猫の横を駆け抜けていき、辰風との戦いで振り払った日本刀を拾い上げた。そして勢いをそのままに駆けていく。


「あ……っははははははは!速い速い!でも一歩先を行くのは、やはりこの氷川暁のようね!」


 全身を縛っていた縄はすでに解かれていて、地面と平行になるほど前傾姿勢で闇を駆け抜けていた。その速さを物語るように、一本に束ねた黒髪は、闇に溶けるように靡いている。


 そして驀進ばくしんする先は——。


「う、うわああああああああああああ!」


 壱吉の叫び声が木霊した。

 眼を見開いて、狂気に歪む笑顔が一直線に、自分へ向かって来る。


「急げ瑠璃猫!こっちは俺が引き受けて、すぐに片付ける。自己防衛を続けてそれまで時間を稼いでいろ!」


 瑠璃猫は白く細い脚を、くの字に畳んで力を込めると、勢い良く大地を蹴って、暁へと跳躍をした。今、2つの疾風が、闇夜に混ざって、壱吉へと駆けて行く。


 辰風は、瑠璃猫が追いかけるのを横目で流すと、再度大剣を眼前に振り翳した。鋭い眼光の先で、10名の集団が、深淵から響くような重低音の唸り声を上げながら、黒い異形へと変化を遂げようとしていた。


 氷川暁と瑠璃猫と望月壱吉。

 不死身の辰風と10名の黒い異形。


 今、それぞれが、それぞれの異様な殺気を放しながら、対峙をしていく——!


「あ、っははははははははははは。さぁ!第2回戦と意気込みましょうかぁ!!」


 もはや凛とした佇まいの暁は、そこには居ない。混じり気の無い純粋な狂気と殺意に支配された悪魔が、闇で高らかに笑っていた。

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