7-2.実業家

 いつまでも親友をひとりで待たせるわけにはいかない。

 彼との面会時間はそう長くない。

 であるなら、一分でも、一秒でも多く、ふたりでいる時間をすごすべきだ……とラディアは考え直す。


 作業棚の片隅に置いておいた収納箱を手に取り、ヴァイオリンケースを持って、ラディアは親友の元へと向かった。


 ヴァイオリンの引き渡しと、報酬の受け取りは問題なく終了した。


 前回委託したヴァイオリンの持ち主が誰になり、その人物がどれだけの金額を支払ったのかは、事前に連絡を受けている。


 金貨が詰まった革袋を、ラディアは大人しく受け取った。

 金額の確認は後で行う。

 実際の金額よりも少ない、ということはありえない。


 実際の金額よりも多かったときがあったが、そのときは、ラディアが送金手数料を負担して余分金を返却すると、それ以降、金額の間違いはなくなった。


「ねえ……ちょっと、いくらなんでもこれは……ぼったくりすぎるような気がするんだけど……」


 はちきれんばかりに大きく膨らんだ革袋を受け取りながら、ラディアは目の前のザルダーズを軽く睨む。


「そんなことはない。むしろ、あのヴァイオリニストはいい買い物をしたぞ。数年後のお前のヴァイオリンの金額に度肝を抜くはずだ。この先、ラディアのヴァイオリンを相続するやつは、相続税が払えず困るだろうな」


 平然とした顔で言い返す。どうしてザルダーズはそこまで自信満々でいられるのか、ラディアには全くわからない。


 まあ、巨万の富を築いた実業家にしてみれば、この程度の金は『はした金』でしかないのだろう。

 なにもかもが違っている。


 実業家としてのこの十数年の歳月が、ザルダーズを心身ともに鍛え上げた。

 とても堂々としており、すごくいい男に成長した。


 ザルダーズは慣れた手つきでヴァイオリンケースの中を確認し、ロックをかける。

 ブツブツと口の中でなにやら呪文めいた言葉を唱えると、持参していた革鞄の中にヴァイオリンケースを入れはじめる。


 革鞄よりも大きなヴァイオリンケースはあっさりと、鞄の中に入った。一瞬だけ革鞄の表面に魔法陣が出現するが、すぐに消えてしまう。


 なんの変哲もない地味な革鞄にしか見えない。

 だが、この小さな鞄は、貴重品、芸術品といった高額な品や、繊細で非常に壊れやすいデリケートな品を運ぶことに特化した特殊な魔導具だった。


 異なる世界間の移動にも耐えられ、万が一、時間軸がブレてしまっても、その衝撃に耐え抜き、収納物を保護する機能がついている。


 それだけではなく、うっかり紛失しても持ち主のところに戻ってくる回路が埋め込まれている。

 鞄ごと盗難された場合は、忖度することなく問答無用で自動反撃する回路を、ザルダーズ自らが大改造して埋め込んでいるので安心だ。

 違法ギリギリの危険な改造魔導具だ。


 イキモノ、ナマモノが収納できないのが難点らしいが、ザルダーズの仕事には欠かせない革鞄となっている。


 ラディアが用意したヴァイオリンケースは、問題なく革鞄に収納された。


 そのようなことをしているうちに、ザルダーズの退出時間が刻一刻と迫ってくる。

 楽しい時間はあっという間に過ぎるのだ。


 ふたりは笑顔を浮かべたまま、世間話を交えて会話をつづけ、別れの寂しさを誤魔化す。


 カップの中に残っていたヤギ茶を、微妙な顔で飲み込んでいる親友を、ラディアはじっと見つめる。

 口に合わないのなら残せばいいのに……と思うのだが、ラディアが用意したお茶もお茶うけも、律儀な親友は残すことなどいっさいしない。


「そういえば、新しい事業をはじめるんだってね」

「ええと……どの事業のことかな?」


 空になったカップを手の中で転がしながら、ザルダーズの目が頼りなく泳ぐ。

 事業拡大したり、共同経営をもちかけられたりと、抱えている案件が多くて、ラディアがどのことを言っているのかわからないようだ。


「なんだったっけ? おー……おーく……? 美術品とか骨董品を登録業者だけでなく、一般人も交えて競りで販売するっていう事業だよ」

「ああ。それか。オークションだよ。異世界オークションだ」

「そう。おーくしょん……だったよね」


 ラディアは軽く頷くと、言葉を続けた。


「ザルダーズはギャラリー経営でも成功しているのに、なぜ、わざわざそんな手間のかかる商取引をするの? 最初に聞いたときはびっくりしたよ」

「そうか? 自然の成り行きだよ」

「そんなことないよ。どうして、異なる全ての世界が交わり合うあんな不安定な場所で、素人も交えた『競り』をしようと考えたの? わざわざ異なる世界の人たちを同じ場所に集めるなんて……。それぞれの世界で完結させようとは思わなかったの?」


 経済誌に載っていた新事業の記事はとても小さく、情報が不足していた。

 ラディアの住む世界では農産物や水産物などが卸売市場で売買される『競り』はあったが、『オークション』というものは存在していなかった。

 なので、疑問が次々とでてしまう。


「素人……っていっても、参加資格はちゃんと設定するから、誰でもオークションに参加できるわけじゃないんだけどな」


 穏やかな笑みを浮かべながら、実業家の顔になったザルダーズは、ラディアの勘違いをさらりと訂正する。


 ザルダーズの異世界オークションで取り扱われるモノは、生活必需品ではなく、希少品、貴重品、高額商品だ。なので、生活に余裕があり、支払い能力がある富裕層が前提条件となる。

 となると、それなりに知識もマナーも兼ね備えた貴人だ。


 それだけではなく、異なる世界からオークション会場まで移動できるスキルや能力の持ち主ということになるので、誰でも気軽に参加できる……というものではない。と説明された。


「オレのオークションに参加するには、資格がいるんだよ。参加資格がある人物しか受け取ることができない、特殊な招待状を発行する。それを、出品商品が欲しいと想っている人物に送りつける」

「え? 送りつけるって?」


 ちょっと物騒で強引な響きを感じ取ってしまったが、ザルダーズは気にした風もなく説明をつづけた。

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