第7章 ラディア

7-1.ヴァイオリン職人

「どうしてなんだろうな……」


 ヴァイオリンケースの中に弓とヴァイオリンをしまいながら、ラディアもまた親友と同じことを呟いていた。


 ケースにロックをかける。

 金属のロックはパチンと乾いた音をたてて、ケースの蓋をぴたりと閉じる。

 もうじきこのヴァイオリンはラディアの手を離れ、ザルダーズの手を介して新しい持ち主の手に届けられるのだろう。


 ザルダーズに任せておけば、このヴァイオリンの行く末は大丈夫だ。

 今回の『この子』もまた、大切に使用してくれる人の手に、間違いなく渡るだろう。


 ザルダーズが言う通り『この子』は今までの中で最高のできだった。


 ラディアが日々たゆまぬ研鑽をつづけた結果が、ようやく花開く時期にさしかかったともいえる。


 優秀な弟子が身の回りの世話もしてくれるようになって、より制作に集中できるようになったのも影響している。


 素材の面でも、良質の木に巡り会え、それを入手できるルートが確立した。

 がんばって交渉して、有り金をはたいて購入できるだけ購入した。購入できなかったぶんは、問屋の方で取り置きしてもらっている。

 ラディアが一生かけても使い切ることができないくらいの量だ。


 問屋の主人はラディアの買い占めに呆れ返っていたが、ヴァイオリンに最適な木が見つかったのだ。

 他の用途などには使われたくない。


 あとは、ニスの調合だが、その木のニスが手に入るのであれば、最高のヴァイオリンができそうだった。


 なのに……。


「どうして、ザルダーズは最後まで演奏してくれないんだろう……。僕はただ、ザルダーズが幸せな気持ちで弾いてくれるヴァイオリンを作りたいだけなのに……」


 いつも、いつも、ザルダーズは試奏を途中でやめてしまう。

 自分が作った楽器で『天上の鳥歌』を完奏してくれたことは一度もない。鳥が舞い降りた部分で演奏がぴたりと止まるのだ。

 あれだけ気に入っている曲なのに、ザルダーズは最後まで演奏しようとはしない。

 そのことが無性に悲しく、悔しかった。


 今日こそは、もっと先まで聞くことができるのでは、と思っていたのだが、結局はだめだった。


 唇が震え、目頭がふわりと熱くなる。

 今、ここで涙を流すわけにはいかない。


 ザルダーズは複数の世界に知れ渡っている有名な実業家で、とても忙しい身だ。

 そんな彼がわざわざ時間を割いて、こんな秘境の森まで来てくれているというのに、涙を見せるわけにはいかなかった。


 自分が泣いている……と知れば、心配性で、おせっかい焼きの親友は、仕事をキャンセルし、ラディアが元気になるまで泊まり込むとか言いだしそうだ。

 これ以上は親友に迷惑をかけたくない。


 幼い頃は家族ぐるみの交流があったとはいえ、今となっては、ザルダーズは巨万の富を築いた実業家で、ラディアは貴族ですらないただの貧乏職人だ。

 こうして対等に話をしていることからして、分不相応なことだろう。


 幼馴染みというだけで、ザルダーズの貴重な時間を自分のために使わせ、自分の代わりにヴァイオリンを販売してくれている。

 

 親友は音楽を勉強していた頃の人脈を使って、ヴァイオリンを売ってくれている。


 近頃は無謀にも、世界コンクールで賞をとるようなヴァイオリニストに接触をはかり、ラディアのヴァイオリンを売ろうとしている。

 どうしてそうなったのだろう、とラディアはびっくりしているし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 世界的に有名な実業家が、自ら訪問して、このヴァイオリンを使ってくれ、購入してくれと頭を下げたら、どれだけの人が「ノー」と言えるだろうか。


 ラディアがよく知っているザルダーズは、貴族にしては珍しく、己の身分や権力を振りかざすような人物ではなかった。


 秘境にこもり、世捨て人もどきな生活を送っているラディアではあったが、ザルダーズの情報だけは積極的に耳に入れるようにしていた。


 ザルダーズはそれなりに危険な目にあいながら事業を続けているが、少なくとも彼の方から他人を陥れるような行為はしていないようだ。


 ただし、己の身に降り掛かった火の粉を払うことは、しっかりとやっている。

 その件に関しては、相手側の自業自得っぽい部分もあるようで、世間の評価はザルダーズに好意的だ。


 ただし、その火の粉の払いかたが、恐ろしいくらいに苛烈……と伝わってくる。


 その情報源を全面的に信じるのであれば、一度、ザルダーズが敵と認識した者に対しては、徹底的に容赦ない報復を行うそうだ。

 ザルダーズに余計なちょっかいをだして倒産した会社、存在を消された貴族は、相当数になるらしい。

 

 報道が面白おかしく誇張しているのでは、と世間の人々は思っているが、ザルダーズの幼馴染みであるラディアにしてみれば、ザルダーズらしいとも思うし、これでもずいぶん『まるくなった』んだなと思っている。


 今ではザルダーズの事業を邪魔しようと企む輩はいない……というか、ザルダーズがすでに全滅させてしまったようだ。

 実に、ザルダーズらしい生き方だ。


 昔と変わらない親友。

 だが、昔と違って、遠い別の次元の世界で親友は生きている。

 本来なら、もう交わることのない世界で、それぞれが別の道を歩んでいる。


 なのに、ザルダーズは昔とかわらず、ラディアに接してくるし、なにかと世話を焼きたがる。


 そしてラディアはそれを心地よいと感じ、彼の優しさに甘えている。

 いけないことだとわかっている。

 そろそろザルダーズには昔のしがらみから開放され、自由の身になるべきだ。己にふさわしい世界で存分に暴れて欲しい。


 一挺のヴァイオリンを売るためだけに、異なる世界を渡り歩くようなことはして欲しくなかった。

 彼なら小さなことに囚われず、もっと、もっと、大きなことを成し遂げることができるだろう。

 これ以上はザルダーズに迷惑をかけるわけにはいかない。と、ラディアは強く言い聞かせる。


 毎回、毎回、ラディアは己自身に言い聞かせるのだが、親友のヴァイオリンを聞くとその決意は簡単にゆらいでしまう。


 ラディアはザルダーズに会える日を楽しみに、毎日指折りながらヴァイオリンを作り続けている。


 また次も来てほしい。

 いけないこと……と思いつつも、この関係がいつまでも続いて欲しいと願ってしまう。

 半年に一回、訪れる幸せの時間。


 そして、次こそは、ザルダーズの演奏を最後まで聞きたいと、ラディアは思ってしまうのだ……。

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