5-6.ベテランオークショニア

「ミナライくん、サウンドブロックは見つかったか?」

「いえ、見当たりません」

「棚下の隙間に転がり込んだのかな? 暗くてよく見えないなぁ」


 ふたりが床上に這いつくばっていても、ワカテくんは我関せずを貫き、己の作業を淡々とこなしている。


「方向的にはここらあたりだと思うんだけどなぁ?」

「おかしいですね……」

「ミナライくん、ライト付きルーペを持ってきてくれるかな? それで、棚下を照らしてみよう」

「わかりました」


 ミナライくんは急いで立ち上がり、ルーペがしまわれている棚へと駆けていった。


「どうかしましたか?」


 老齢だが、張りのある男性の声が事務室に響く。

 短い一言なのに、それだけで室内の空気が引き締まり、自然と背筋が伸びる。

 力のある穏やかな声に、ミナライくんとチュウケンさんは思わず動きを止めた。

 ワカテくんも書類から目を上げ、声の主が立つ事務所入り口へと視線を向ける。


「ベテランさんにオーナー。これはお見苦しいところを」


 チュウケンさんは慌てて立ち上がると、パンパンとズボンについた埃を払う動作をしてみせる。

 掃除が行き届いた事務室の床上に、埃などが落ちているはずもないのだが……。

 どう答えたものかとチュウケンさんが困っているところに、別の声が割って入る。


「オーナー……。これはどこに置いたらいいんですか?」


 布に包まれた状態の絵画を抱え持つスタッフが、事務室の外からザルダーズのオーナーに声をかける。


「タルナーの風景画は、三番テーブル横でお願いします」


 オーナーに代わり、ベテランオークショニアがスタッフに指示をだす。


「残りの絵はどうしますか?」

「そうですね。ひとまず、五番テーブル横に」

「わかりました」


 数名のスタッフたちが布で梱包された絵を抱えて入室してくる。

 事務室は一気に賑やかになった。


「贋作判定に使用するのは第一会議室と第二会議室……だけでいいかな?」


 オーナーがスタッフたちの作業を見守りながら、ベテランさんに質問する。


「オーナーの考えている方法で、この数量の絵を再鑑定するというのなら、第三会議室も確保しておいた方がよいでしょうね」

「それでは、第一会議室から第三会議室を一室にして、絵画展示用にセッティングしておいてください。それから第四会議室は、控えの間として使いましょう」


 絵を運び終えたスタッフたちにオーナーが次の指示をだす。

 スタッフの動きがにわかに慌ただしくなった。


 今まで静かだった事務室が急に賑やかになり、たくさんの人たちが忙しそうに歩き回る。


 奥の会議室からは、仕切り壁を移動させる音も聞こえてきた。


 昨日、賓客から『三番待合室に贋作がある』という指摘を受けたことにより、昨夜からザルダーズのオークションハウスは大変な騒ぎになっていた。

 騒ぎの原因はそれひとつだけではなかったのだが、贋作指摘もかなりの大問題である。


 オーナーやベテランさんは、もろもろの問題について徹夜で対応していたようで、少しだけ……ほんの少しだけ、表情に疲れが見えている。


「大変だ!」


 ミナライくんは叫ぶと、備品が収納されている戸棚の扉を開ける。

 ライト付きルーペが入っている箱を取りだすと、チュウケンさんのそばに急いで駆け寄った。


 早くサウンドブロックを見つけださないと、誰かに踏まれたり、蹴られたりしては、サウンドブロックが可哀想だ。


「このライトで見えるのでしょうか?」

「やってみないことにはわからないねぇ」


 箱の中から三つほどライト付きルーペを取り出すと、チュウケンさんはスイッチをいれる。


「なにをしようとしているのですか?」


 忙しく動き回るスタッフたちを目で追いかけながら、ベテランさんがふたりに問いかける。


「あ、いえ、ちょっと……」


 言葉を濁しながら、チュウケンさんがにへらと笑みを浮かべる。


「ふたりして木槌と打撃板の入った収納箱をひっくり返してしまったんですよ。その拍子にサウンドブロックがどこかに転がっていったようですね」

「…………」


 ワカテくんはそれだけを言うと、再び書類へと目を落とす。


「あはははは……」


 チュウケンさんは頭をガシガシとかきながら、乾いた笑いを浮かべた。


「サウンドブロックなら、入り口のところにいましたよ」


 ベテランさんが差し出した手には、サウンドブロックがあった。


「あ! ベテランさんが拾ってくださったんですね! ありがとうございます」

「よかった! サウンドブロック! なかなか見つからなくて、すごく心配したんだよ!」


 ベテランさんからサウンドブロックを受け取ったミナライくんは優しい手つきで、サウンドブロックについていたホコリを払う仕草をする。

 もちろん、掃除が行き届いているので、サウンドブロックにホコリなどはついていない。


「見つかってよかった。新しい傷もついていないみたいです」

「それはよかった」


 チュウケンさんとミナライくんは顔を見合わせ、嬉しそうな笑みを浮かべる。

 無邪気に喜ぶミナライくんの頭を、チュウケンさんがぐりぐりと撫でている。


 心の底から喜びあうふたりを、ベテランオークショニアは目を細めて眺める。


「そうだ。おふたりに見ていただきたいのですが……」


 チュウケンさんはガベルを、ベテランさんとオーナーに見せる。


「オーナー、ベテランさん、お忙しいところ申し訳ないのですが……昨日、ちょっと無理をさせたみたいで、ガベルの頭と柄の部分のつなぎが甘くなっているようなんですよ」

「そうなのですか?」

「ええ。サウンドブロックの方も、また傷がついてしまって……。悪化する前に、修繕にだしてよろしいでしょうか?」

「ああ……。昨日も色々とありましたからねえ。みなには無理をさせてしまいました……」


 オーナーの目が遠くをさまよう。

 昨日の大変だったオークションを思い出しているのだろう。

 振り返れば振り返るほど、一番、大変だったのはオーナーである自分だとは思うのだが、それは口にも態度にもださない。

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