第3章 高貴な御方がやってきた
3-1.黄金に輝く美青年
カラカラと車輪の音をたてながら、二頭引きの馬車が、特別玄関前に設けられた馬車留めの中に入ってくる。
立派な馬のような馬ではない馬っぽいモノにひかれた黒い馬車は、入り口の段差前でぴたりと止まった。
ニンゲンのようでニンゲンではない御者が軽やかに飛び降りると、馬車の扉を優雅な仕草で開ける。
黒い車体には控えめだが細やかな彫刻と装飾が施され、金箔で彩られている。ドア部分には草花や鳥の装飾画が描かれていたが、車体の色と馴染むように彩度を抑えたもので、豪華な馬車と表現するほど仰々しいものではない。
日が沈み、夜の闇がだんだんと濃くなっていく時刻となり、黒い馬車は闇と同化し、存在そのものを隠そうとしているようだった。
ドアノッカー元帥は緊張した面持ちで、馬車の扉を見守る。
ドアがゆっくりと開き、ひとりの若者が馬車から姿を現した。
黄金に輝く金髪がふわりと揺れ、優雅な風がオークションハウスを吹き抜ける。
その瞬間、世界が変わった――と、元帥閣下は思った。
若者は鳥を模した仮面を被っていた。
ザルダーズの異世界オークションは、仮面をつけて、身分を隠しての参加者がほとんどだ。
仮面装着がドレスコードとして決められているわけではない。
しかし、刺激を求める高貴な方々は、そういう非日常的なシチュエーションが大好きだ。参加には仮面着用が浸透していたのである。
容貌は仮面でわからないというのに、馬車に乗っていた人物は、とても美しい男なのだと元帥閣下は感じ取る。
〔これが、いや、この御方が、噂の『黄金に輝く美青年』様かッ! やばいっ! やばすぎるぅっ! なぜ、みんな気づかないんだ!〕
上にコートを羽織っているので詳しくはわからないが、蒼を基調としたジャケットとズボンを着用している。お忍びを意識した控えめな装いだが、上質な生地を使用し、同色の糸で細かな刺繍が施されている。オーダーメイドのすごく手の込んだ衣装だ。
〔な、なんだ――っ!〕
若者の姿を認識した瞬間、元帥閣下の心臓がドクリと跳ね上がった。
電撃を浴びせられたような衝撃をまともにくらい、うっかり悲鳴をあげそうになる。
全身がカッと熱くなり、震えが止まらない。
心拍数がとてつもなく速くなり、全身の血が逆流したような……己に込められている魔力がぶわりと逆立つのが感じられた。
黄金の輝きを身にまとった美しい若者の気迫に呑み込まれ、惹き込まれてしまっていた。恐怖ではなく、畏敬の念が元帥閣下の魂を支配する。
〔うぎゃ――っ! な、な、なんで、こ、こんな、高貴な御方に招待状を贈りつけるかなっ! こんな高貴な御方は呼んじゃだめだ――ろ! オーナー! どうなってるんだ! オークションしすてむぅっ!〕
目を白黒させていた元帥閣下は、ふと我に返ると慌てて息を潜める。
失礼なことをしでかして、機嫌を損ねでもしようものなら、一瞬で消し炭にされてしまう。
気配を消して、魔力を誤魔化し、ただの獅子の形の叩き金に擬態することに、ドアノッカー元帥は全力集中する。
若者が御者に向かってなにやら命じているようだ。御者がそのたびにコクコクと頷いている。
聞こうと思えばふたりのやりとりを聞き取れる範囲――元帥閣下のテリトリー――に彼らは侵入したのだが、平和と平穏と暇をこよなく愛する元帥閣下は、あえて藪をつつくような愚かで無礼な真似はしない。
ひたすらじっと『賓客』が次の行動をとるまで観察をつづける。
猛禽類を思わせるような鋭い碧の瞳が素早く動き、周囲の様子を確認してから、若者は動き出す。
御者も御者で、周囲を警戒しており、只の御者でないことはすぐにわかった。
〔ひいいいい――ぅぅぅ! こっちくるな! 帰ってくれ! いえ、こっちに来ないでくださいっ! お帰りくださいっ!〕
獅子の形の叩き金は、金の輪っか部分をカタカタと震わせながら、現状に恐れ慄く。
ドアノッカー元帥は、初代オーナーが心血を注いで作り上げた、優秀なセキュリティ魔導具だった。
なので、一瞬で若者の正体に気づき、同時に己の敗北を悟っていた。
いやいや、挑む、比べるという考えそのものが間違っている。
ここまで圧倒的な力の差があると、もうどうしようもない。
レベルではなく、生きている世界、護らなければならないモノの規模が違うのだ。
気持ちとしては、己の矮小さに恥じて、尻尾を巻いて一目散に逃げ出したいのだが、特別玄関の扉にしっかりと固定されているドアノッカーでは、それも叶わない。
コートを羽織った長身の若者は御者の手を借り、優雅な足取りでタラップ階段を降りていく。
それだけで、オークションハウスを護るべく張り巡らされた結界が、ビリビリと振動した。
〔今日はなんて日なんだ――っ! オーナーのトラブルオート召喚スキルがすごすぎる! どうしてくれるっ!〕
元帥閣下は涙目になりながら、持てる全ての力を振り絞り、セキュリティ魔導具ではなく、凡庸な量販タイプの叩き金になるべく、擬態化精度をさらにあげる。
若者が石畳の馬車留めに降り立つと、馬車の中に向かって恭しく手を差し伸べた。
〔ひ、ひとりじゃないのか?〕
あの若者が恭しく頭を垂れる存在となると……自分たちのキャパオーバーとなる要人であること間違いない。
元帥閣下は絶望に震えながら、若者の差し出した手の先を見つめていた。
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