第16話 イベリコの覚悟

「ちょっと、ねって何だよっ!見ろっ、こぶが出来ちまったじゃね~か!」

「悪かったわよ……またブタフィが来たと思ったのよ……」


いきなり撲られて腹を立てるシチローの気持ちも解らないではないが、今は子豚と揉めている場合では無い。ドアの外で見張りをしている兵が、今の騒ぎを不審に思い外から声を掛けて来た。


「トンソーク侍従長!何やら中が騒がしいが、何かあったのかね?」

「いや、何でもありませぬ!……姫と今夜のメニューの相談をしていただけです!」


兵士からの呼び掛けに、慌ててその場を取り繕うトンソーク。


「とにかく、早くここを出よう!コブちゃん、ちょっと窮屈だけどこの中に隠れていて!」


『この中』とは、宮殿の使用人達がベッドのシーツ等を交換して廻る際、回収したシーツを運ぶのに使う手押し式のワゴンである。このワゴンの中に子豚を隠し、見張り兵の前を悠々と通り抜ける。そして、エレベーターで一階まで降りそのまま侍従長室へと入ってしまえば、あとは窓からでも外へと出られる。外の見張りは既に縛り上げているので、チャリパイとイベリコは楽々とアジトであるブタマーンの家まで戻れるという手筈であった。…………………………のだが………




♢♢♢



タッタッタッタッ………


「おい!そいつら侵入者だっ!誰か捕まえろ~~っ!」

「待てええぇぇぇ~~~っ!」

「しっかり隠れてろって言ったろ!なんで顔出すんだよ、コブちゃん!」

「だってこの中、狭くて息苦しいのよ……仕方ないでしょ!」


すました顔で見張り兵士の前を通り過ぎたまでは良かったが、子豚がワゴンから顔を出してしまった為に計画は台無しになってしまった。


「こうなったら強行突破だ!みんな走れ!」


銃を持っている兵士もいるが、姫と一緒に逃げるシチロー達にはさすがに発砲は出来ない。そんな状況は、一見チャリパイにとって有利にも思えたのだが、実はそうでは無かった。


(問題は、外に出てからなんだよな……)


知っての通り、今展開されているこの状況は当初の計画から大きく外れた状況である。シチローの立てた計画では、チャリパイとイベリコは宮殿内の兵士達に気付かれる事なく、悠々と外へ出られる予定であった。ところが、兵士達に追い回されるこの状況では、大きな問題が生じる事になるのだ。


やがてチャリパイの四人、そしてイベリコは兵士達に捕まる事無く宮殿の建物の外へと逃れた。


「ゼェ…ゼェ……ここまで来ればこっちのもんよ………シチロー……早くこっちに車回して来て………」


まるでフルマラソンでも走った後かのようにフラフラの子豚が、息を切らせながらシチローに命ずるが……


「車なんて無いよコブちゃん。オイラ達、ここまでんだ」

「なんですってええぇぇ~~っ!」


問題というのは、まさにその事であった。シチロー達には、ここから先の逃走に使う"足"が無いのだ。兵士達はまだ追跡を諦めた訳では無い。軍の特装車やジープに乗って追いかけて来るに決まっている。


「なんで車で来なかったのよ!シチロー!」

「仕方がないだろ!この国じゃあ、車を持ってるのは軍とよほどの金持ちだけなんだから!」


シチローの言った事は本当の事であった。まだ発展途上のブタリア王国では、自家用車はまだまだ高嶺の花で、一部の富裕層しか所有する事は出来なかったのだ。


「で、これからどうするの?シチロー!」


こんな所で言い争いをしても始まらない。てぃーだがシチローに次の手立てを尋ねるが、シチローにもこれと言ったアイデアがある訳では無かった。


「どうするって言ったってなぁ……」

「早くしないと見張りが追いかけて来るよシチロー!」


ひろきがシチローを急かすが、何も手立ては無い。チャリパイ絶体絶命のピンチ!


半ば諦めかけたその時。


ピイィィィ――――――ッ!


突然、空気を切り裂くような甲高い音が、シチローのすぐ後ろで鳴り響いた。シチローが驚いて振り返ると、そこには、首から下げたホイッスルを力一杯吹くイベリコの姿が見えた。


「なにしてるのさ、イベリコ?」

「私に任せてください!」


そう答えると、イベリコは再びホイッスルを力一杯吹いた。


すると……


クゥェェェ~~~~ッ!


宮殿の影の方から、砂埃を巻き上げながら何やら大きな黒い物体がものすごい勢いでシチロー達の方へと近付いてくるではないか!


「なっ!なんだありゃあ~~っ!」


巻き上がる砂埃で最初はそれが何だか分からなかったが、近付いて来るにつれてその正体が明らかになってくる。チャリパイの四人は、口を大きく開けてその名前を叫んだ!


「ダチョウだああぁぁ~~っ!」


なんとダチョウである。しかも、一羽ではなく三羽である。


久しぶりに触れ合えるイベリコに、嬉しそうに躰を寄せてくる三羽のダチョウの背中を撫でながら、このダチョウの紹介をするイベリコ。


「このダチョウは私のペットです。名前は『ヒゴー』『ジモン』『リューヘー』と言います」

「まるで、ダチョウ倶楽部みたいね……」


思わず子豚が呟いた。


「何ですか?ダチョウクラブって?」


勿論イベリコは、日本のお笑い芸人『ダチョウ倶楽部』の事など全く知らなかった。


「このダチョウに乗って逃げるんです!」


イベリコがダチョウを呼び寄せたのには、そういう理由があった。


しかし、ダチョウは三羽。それに対して人間はイベリコを含めて五人である。ひろきが、その事実を指摘する。


「でもイベリコ、これじゃ全員乗れないよ……」

「大丈夫です!ジモンは力があるので、てぃーださんとひろきさんの二人が乗れます!」

「でも、それでも一人あぶれるわ……」


てぃーだの言う通り、それでもダチョウに乗れるのは四人。一人乗れない計算になる。


「シチローが走ればいいのよ!アンタ男でしょ!」

「ムチャ言うなよ!一体何キロ走ればいいんだよ?絶対捕まるだろ!」


子豚とシチローが言い争いを始めると、すかさずイベリコが間に割って入った。


「誰も走る必要はありません!私が宮殿に残ります!」

「えっ………………」

「イベリコ…………」


ペットのダチョウに乗って逃げる方法を思い付いた時から、イベリコは既にこの宮殿へと残る事を決意していた。


チャリパイがもしブタフィに捕まりでもすれば、恐らくその日のうちにでも処刑されてしまうかもしれない。そんな危険な事で、これ以上この親愛なる日本人に迷惑をかける訳にはいかない。イベリコは、そう思った。


「皆さん、今まで本当にありがとうございました。日本で皆さんと食べたスキヤキの味は一生忘れません」


イベリコは四人に向かって、とびきりの笑顔を携えてそう言った。


「なんだよ、それ。まるで今生の別れみたいな言い方して……」


シチローが、少し不満そうに口を尖らせた。


「皆さんとはここでお別れです!さあ、早く逃げて下さい!ブタフィ軍の追っ手がやって来ます!」


宮殿の方向から、砂煙が巻き上がるのが見えた。ジープが二台こちらに向かって近付いて来る。


「さあ、早くダチョウに乗って!」


イベリコが更に大きな声で叫んだ。イベリコに急かされ、それぞれのダチョウに乗るチャリパイ。ヒゴーに乗ったシチローが、後ろを振り返ってイベリコに話しかける。


「分かったよイベリコ……でも、必ず助けに来るから!」


そんなシチローに、イベリコは何も答えずただ、微笑みを見せるだけだった。


「ヒゴー!ジモン!リューヘー!走って!」


クゥェェェ~~~~ツ!


イベリコの掛け声と同時に、チャリパイを乗せた三羽のダチョウは脱兎のごとく走り出した!


「イベリコオォォ~~~!」

「絶対助けに来るからねえええぇぇ~~っ!」


子豚とひろきが後ろを振り返り、大声を上げて手を振っていた。


シチローとてぃーだは、顔は前を向いたまま、右手を高々と挙げていた。


「さようなら……チャーリーズエンゼルパイ……………」


走り去るチャリパイの後ろ姿を潤んだ瞳で見つめながら、イベリコは一言そう呟いた。



♢♢♢



少しの間、走り去るチャリパイを見つめていたイベリコだったが、彼女にはいつまでもそんな感傷に浸っている余裕は無かった。先ほどの優しい笑顔からは180度表情を変え、決死の表情で後ろから走って来るジープに向かって走って行った。そして、ここから先は通さないとばかりに両手を左右に大きく広げ、ジープの前に立ちはだかる。


「止まりなさい!」


声を張り上げるイベリコの目の前で、二台のジープは急ブレーキをかけて止まった。

乗っている追っ手の数は合わせて十人。その中には、ブタフィ将軍本人も居合わせていた。


「ほう、これはこれはイベリコ姫直々のお出迎え、恐縮致しますなぁ」


ブタフィは、イベリコの顔を見るなりそんな嫌味めいた台詞を投げ掛けた。


「出迎えている訳ではありません!これより先を行く事は、私が許しませんよ!」


語気を強めるイベリコをからかうように、ブタフィはわざとおどけてみせる。


「おやおや、これは怖い。しかし、奴らは一体何者なんですかな?

我が軍に刃向かう反乱分子は駆逐せねばならんのですがね……」


ブタフィがチャリパイの事を口にすると、イベリコは尚更に声を張り上げた。


「あの人達はもう関係無いわ!私がここに残ったのだから、あの四人には手出ししないでっ!」

「フン……まあいいでしょう。しょせんたった四人では、大した事は出来まい」


そう言うと、ブタフィは勝ち誇ったように胸ポケットから葉巻を取り出し口に咥えた。こうしてイベリコは、自分が宮殿に戻る事でブタフィ軍のチャリパイへの追跡を阻止したのだった。




















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