アングレカム

徒文

第1話 英雄

「いやいやいや、え……私って未来ではそんなふうに言われているんですか……?」


 何年もあこがれ続けたその人は、今、わたしの目の前で眉を吊り下げ、たいへん頼りなさげな雰囲気をまとっている。


 やや縮こまった体、不安そうに泳ぐ視線。現代では到底手に入らない貴重な衣服を、きゅっと掴んだ白魚のような指。

 その立ち振る舞いには、もはや威厳などかけらも感じられない。


 ——はずなのだ。

 そう、これが彼女でなければ、きっとただ状況を飲み込めず困惑するばかりの、弱々しくみっともない村娘にしか見えなかったはず。

 あこがれを打ち砕かれたわたしは落胆し、あわれみすら抱いたかもしれない。


 だというのに、彼女からは、間違いなく威厳が感じられた。いや、オーラとでもいうべきか。


 名家の子女か由緒正しい姫君にしか見えない。

 所作のひとつひとつに品がある。

 その怪訝そうな目つきさえ、敵を射抜く鋭い眼光のようだ。


 ああ、わたしはすっかり彼女ヽヽの虜なんだなと、心の底から気付いてしまった。


「……ええと、つまり、ですね。あなたが実際にあのような偉業を為されたわけではない……?」


 おそるおそる問いかけてみる。


「いえ、まあ……うーん……まあ……したといえばしましたけど……」


 なんとも煮え切らない言葉が返ってきた。


 詳しく聞いてみると、どうやら、わたしの知る歴史にはかなりの誇張と改ざんが含まれているらしい。

 が、もちろんそんなことは想定内だ。

 

 歴史を愛する者として——もっとも、わたしが愛しているのは歴史全般ではなく彼女ひとりだが——当然それくらいの覚悟はできている。

 さあ、どんな事実でもどんとこい。


 わたしは畏れ多くも、ありのまま本当に起きたことを教えてほしいと、彼女に促してみた。


「……そうですね……たとえば私は、国を救うために戦ったわけではないですし」


 間違いなく今日一番の衝撃の告白のあと、こちらが口を挟む隙もなく、彼女は真実を教えてくれた。


 なんと、わたしの知る歴史は、そのほとんどが作り話だったようだ。


 国を救うために戦ったわけではない、から始まり、とにかくなにもかもが嘘。

 彼女の活躍は、おそらく彼女以外の何者かの思惑によって都合良くきれいに語り継がれたもので、そういう意思がふくまれているということは、御伽噺と変わらないということだ。


 要するにフィクションである。


 とはいえ、まったくのフィクションというわけでもない。むしろ大雑把な活躍はわりと真実に近いようだし、結果として、彼女が国を救ったのもまた疑いようのない真実のようだ。


 ならばなんの問題もない。

 ああ、彼女はやっぱり、わたしのあこがれ続けた英雄その人なんだ……!


「でもですよ」

「はい」

「一番重要な部分が間違ってるじゃないですか。私はただ出世したかっただけですし」

「ん……?」


 彼女は気まずそうに目を逸らす。


「いや、だから……出世したかったから戦っただけなんですって……ああするのが一番効率が良かったっていうか……国がどうこうなんて全く考えてなかったんですよ……」


 ため息まじりの声。


「だって誰だって出世したいでしょう。出世して母や故郷のみんなを助けたいじゃないですか、だから戦いに出てみることにしたんです。ふつうのお仕事よりはお給料良いですし。そしたらうっかり成功しちゃったっていうか」


 うーん、説得力がある。


 たしかにだれだって出世したいし、お世話になった人の助けになりたいものだ。さすが、自らの動機を言葉にすることもお得意であらせられる。


 まあ、わたしは故郷のみんなを助けたいだなんて崇高なことは到底考えられないけれど。


「あの、よろしいでしょうか……」

「……どうぞ」

「つまりあなたは、ご家族や故郷におられるみなさんを助けようと戦いに出られたうえに、ご計画通りに出世なされたのですよね……?」


 彼女は少しの間うーんと考え込むと、腑に落ちない様子で「そうとも言えますかね」と頷いた。


「なんとお優しく、そして聡明な方……! 凡人には到底成し得ないことでございます。あなたは先ほど『作り話と変わらない』とおっしゃいましたが、私の目に映るあなたは間違いなく、本で見た英雄そのものです。そうへりくだらないでくださいませ」

「えぇっ……」



 ——そうして。

 動揺したままの彼女と、その眼前にひざまずくわたしの、共同生活が始まる運びとなった。


 というのも、蘇生時にわたしが行った措置のおかげで言語は通じるし、最低限の現代知識もお持ちになっているものの、その措置が不十分だったばかりにお一人で暮らしていける状態ではなかったのだ。


 ああ、なんたる失態。

 まあ初めから共同生活はさせていただくつもりだった——というよりしもべとしてお仕えするつもりだった——から、大した問題ではないのだけど。


 で、畏れ多くも生活を共にさせていただくようになって、数日が経った頃。

 新たな問題が発生した。


 ——なんか。


 人としてはあんまり好きじゃないな。

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