囲碁

第25話 淫らな隊列

 また聞いて云はく、「唐人議はかりて云はく、『ざえは有りとも、芸は必ずしもあらじ。囲碁をもつて試みんと欲ふ』と云ひて、白石をば日本になぞらへ、黒石は唐土に擬へて、『この勝負をもつて日本国の客を殺すさまはからんと欲ふ』」と。

             『江談抄こうだんしょう』 第三 雑事 吉備入唐の間の事


   一

 

 枝から枝に風吹く十一月。砂けむりをあげて、官道をおし下っていく異様な大行列が、沿道のひとびとの目を見はらせた。


 総勢千余りにのぼるだろうか。何台もの展望車が、意匠をこらした窓に七色の領巾を結びつけ、選挙カーよろしく、歌姫が屋根で美声をひびかせている。そのうしろには舞踊する胡人の美姫と笛をふき鉦を打ち鳴らす胡雛たち。目を洗うばかりの美男美女で編成されたマーチングバンドが、人々の耳朶を震わせていた。


「楊国忠様だ。楊国忠ようこくちゅう様が来たぞ」

「四川からお帰りだ」


 楊国忠の楽団を一目見ようとかけつけた人々は、この鮮やかな行列にうっとりとした視線を向けていたが、後続からやってくる珍奇なる行列を目の当たりにすると、みんな「あ」と言ったきり声を失った。


 前列のにぎにぎしい一座も、べつにかくそうとしない。肥え太った女が三十人ばかり、一台の俥を包みこむように囲って、よろめくように緩歩しているのである。『天宝てんぽう遺事いじ』によれば、楊国忠は冬になると肥えた婢妾はしためを前にならばせて風よけに使ったという。


 彼はこれを『肉陣』と呼んで、好んで用いたが、今回、この女人防風林とよべる代物をさらに効果的、かつ淫猥に改良していた。


「これは何とも大胆な」

「みよ。さきの胡女にも劣らぬ美しさよ」

「なにやら、香りまで匂いたつようだぞ」


 男らは腕をくんでニヤニヤと好奇な視線をおくり、女たちは嘲りと憐れみをこめた目でそれらを鑑賞した。


 それもそのはず。女性はすべて一糸まとわぬ全裸なのだ。


 艶めかしく肥え太ったはだかばやしは、恥辱に悶え、たがいに肌を擦り合わせながら、密接して熱を奪われないように内に外にと循環していく。そうして厚い贅肉から生じる生暖かな暖気が、俥の周囲をめぐることで、風防だけでなく温熱もこなしていた。


 歌と舞踊、そして肥えた裸の女たちの異様な行列は、奇抜な催しに心をつり込まれた見物人を引き連れて、照応県にある李林甫の私邸に向かっていく。


 昭応しょうおう県はいまの臨潼りんどう区で、驪山の北東にある小さな平野である。李林甫はそこに要塞のごとき邸を構えていた。


 邸宅の門には、戟をもった金吾衛きんごえが日夜守衛をしている。彼等は都を守る警邏から勝手に引き抜かれた者たちで、政治を私物化している証左でもあった。


「お待ちしておりました」


 すぐに門がひらかれ、広袖の橙色の上衣をきた家令が、慌ただしく俥の前に額づいた。


 それを待っていたかのように俥から出てきたのは、口髭を丹念に反らせた小柄な男で、淫猥の囲いから登場しなければ、はたして、彼が李林甫に取って代わる中書令ちゅうしょれい――実質的な首相であるとは誰も思うまい。


 家令に恭しく案内された楊国忠は、楼のごとき宅門をくぐった。


 広い内院の庭には、見事に配置された庭石や池泉のほかに、大理石の彫刻や西域の珍物が庭を埋め尽くしていた。しかしながら、それ以上に彼の目を驚かせたのは、屋敷の物々しさである。


 ――まるで城塞じゃねえか。


 外郭には二丈もある塀の手前に溝を掘り、さらにもう一枚、銃眼のような孔をあけた塀を重ねている。扉は厚い青銅の二重扉で、兵馬物資の往き道を整えるべく、平石で地面を隙間なく埋めていた。


 さらに驚くべきは屋敷の歪さで、後の紫禁城しきんじょうにも似た四合院づくりの広大な邸宅が、戸に戸をつぐような改築の末、迷宮のようになっていた。


 まして迷宮の主は臆病な猫のように、その居場所を家人にも知らせず度々変えるので、家令でさえ把握できておらず、一度李林甫の寝室として招じた部屋はもぬけの殻で、他の使用人に聞き回った挙げ句、ようやく今日の私室を探し当てた。


 李林甫の私室は、絢爛豪華な品物で敷き詰めた宝殿だった。


 玉・貝・金・銀などの薄片を紋様にして漆で塗った『平脱へいだつ』という屏風を始めとして、水差しや盆、盃や筺などの日用家具までもが金銀尽くめで、禁中服御の物として、これに優るものはなかった。


 部屋の高段に設けられた白檀の天蓋付き広いベッドには、幽玄な神獣たちが守護神のように雄々しく彫り込まれ、そのうえから垂れさがる上質な絹の帷越しに横たわる老人が、影絵のように映し出されている。


 楊国忠は、彼を前にすると神経が悲鳴をあげ、いつも脂汗を流していた。口に蜜あり腹に剣ありと恐れられた男である。病床とはいえ、喉元に切っ先を突きつけられるような緊張は健在だった。


 帷ごしでこれなのだから、対面などしたら、見舞いの挨拶すら言えたかどうか。彼は精一杯、非難の隙のない月並な言葉をならべた。


「楊国忠殿」


 それはまるで朽木の洞から吹く風のような心寂しい声だった。


「わたしはもう助からぬ。貴方はいずれ宰相となるお方だ」

「と、とんでもない。私など貴方様の足元にも遠く及びません」

「そなたを仁者と見込んで、後事のこと、よくよくお頼み申したい」

 そういうと、深刻な病状をおもわせる空咳を何度も繰り返した。


 楊国忠は彼の血を吐くような咳を聞きながらも、まるで自分のほうが重篤な病にかかったように青ざめて、神経質な烏のごとく、両眼をきょろきょろと落ち着きなく泳がせていたが、不意に戸口より吹き込んだ風が、ベッドの帷をひるがえして、病床の李林甫の姿を垣間見せると、一転、つよい驚愕に打たれた。


 ――まさか、これ程までとは。


 病状悪しという報は幾度も耳にした。彼自身、たえずそのニュースの信憑性をはかるべく、方々から情報をあつめ、死も目前と知っていたが、それでも尚、李林甫の奸計であろうという疑心暗鬼から抜け出せずにいた。


 しかし、髑髏にうすく粘土をはりつけたような顔を目撃すると、疑念も霞のように晴れて、途端にその鯰顔に、彼本来のさかしい笑みが浮かんでくる。


「李林甫殿。ここは寒うございますなぁ」


 萎縮しきった官僚の声は、もうそこにはなかった。死せる老宰相も、帷越しに眺めていた男の輪郭が、ぶくりと一回り大きく肥えたように感じた。


「つきましては暖をとる家具を頂きたい。もし叶えていただけるのなら、さきほどの願い、善処する所存でございます」

「暖をとる家具?」


 病床の李林甫は不審そうに眉をよせた。彼に頼んだ後事とは国政のことではなく、後ろ盾のなくなる李一族の保護である。みずから背負った業の重みを知っている李林甫は、自分亡きあと、政敵が今までの怨みを晴らさんと一族郎党に凄絶な復讐の風を吹かせることを危惧して、現政権下でもっとも盤石な楊国忠にすがったのだ。


 二つ返事で背負い込めるものではないことは百も承知で、金銀財宝も用意していたというのに、未来の宰相は暖房器具で手を打とうという。


 健全な時分なら一笑に伏した明らかに怪しい提案だが、病みきった老宰相には申し出を呑むことしか出来なかった。


「分かった。貴方が望む家具なら何でも譲りましょう」

「それは良いことを聞いた。では早速、部下に手配させます」

「して、どの炉を所望で?」

「炉? 何を仰いますやら。私が欲するのはそのような無骨なものでは御座いません」


 帷越しでも分かるほど、好色な声色が生ずる。


「我が肉陣はご存じのはず。しかし昨今の冷え込みでは風を遮るだけでは足りず、肥えた女衆はみんな裸にして、肌の熱気で冷風をぬくめているのでございます」


「ま、まさか!」

「私はこれを裸形らぎょう肉陣にくのじんと呼んでおります」


 鯰髯の小男に、好色の笑みがうかぶ。


「宰相殿の奥方衆のような美しく肥えた者共は、みーんな衆人の前に晒して暖房のかわりに致します。さらにうら若き姫君などは、いまだ肉の薄い方も多いでしょうから、車の敷物として肉椅子、或いは肉布団として愛玩しましょう」


「よ、楊国忠。貴様ァ!!」


 李林甫は寝返りさえ酷な病身を引きずって、悪辣漢に取りすがろうとした。


 しかし病は四肢に楔をうつ。ようやく帷の裾を掴んだときには、楊国忠は高笑いをあげながら、淫蕩な眼をぎらぎらと光らせて、あらたな肉の華をもとめるべく、李林甫の私邸を猟漁し始めたところだった。――李林甫はこの月の二十四日に死亡した。唐王朝の地盤を揺るがせた奸臣は非業のうちに亡くなり、李林甫のかわりに、この物語の負の核をなす悪漢が、こうして登場してくるのである。

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