第18話 長楽駅の相談

「伝戒師を招聘できないですと!?」


 妖女任氏の封書を得た翌日、遣唐使一行も無事に長楽駅についた。


 旅塵を払い、長楽駅で迎労儀式をつつがなく済ませたあと、宵闇が深くなるのを見計らって、清河卿と古麻呂を呼び出して、円座に坐し、灯明を立てた一間で脅迫犯を追捕することになった経緯を説明した。


 古麻呂には傔人が盗まれた生料を返したあと、解決にいったあらましを伝えていたが、縄伎の兄妹の酸鼻なる死や、茘枝に盛られた鴆毒ちんどくによって死に絶えた番犬の話をすると、さすがに顔色を青白くして、ひくく唸った。


 話は次に転じ、楊貴妃に向けられた不可解な脅迫や伝戒師の招聘に暗雲が垂れこめたことを知らせると、温雅な清河卿まで暗澹たる表情で呻いた。


「――そして耶蘇教の女の居場所を、その妖女が書き付けた書簡がこちらで御座います」


 真備は円座の中央に封書の一巻きを差し出す。

 一団の頭領たる清河卿は、墨引きされた紙紐を破り、一同にみえるよう広げた。


 書簡には、妖女任氏の流麗な筆致で、先日の礼といずれまたお目もじできることを祈ると書いた後に、件の胡女が出入りしていると思わしき四つの旗亭を記していた。真備はそれをひとつひとつ読み上げた。


 新昌坊青竜寺そば中曲――金樽きんそん楼。

 平康坊鳴珂曲――曲江きょくごう楼。

 同じく平康坊直街北南曲――白扇はくせん楼。

 そして崇仁坊古寺曲――夜燈やとう楼。


「おお、いずれも音に聞いたる大旗亭!」

 酒家に通暁する仲満は雀躍たる声をあげる。

 中には真備も在唐の頃に足繁く通った老舗もあって、いつぞや仲満たち留学生と競って、酒楼の目印である旗をめざし、胡姫の関心を買おうとした青い時代が思い起こされた。


「耶蘇女捜しは、判官や雑任の者も使って宜しいでしょうか」

 清河卿は仲満に尋ねる。

「貴妃の脅迫は秘事でございます。可能な限り少数で。お許しいただけるなら、我々四人で見つけ出したいと考えております」


「そうですか。いえ、そうすべきでしょうな」

 日本の大使が一唐臣に尋ねるには、あまりにも慇懃すぎる物言いだ。彼の恭しい態度に古麻呂は目を眇めたが、卿は一向に関知しない。若々しく前途ある青年の眼には、異国で地歩をきづいた仲満の異例の経歴が、後光のごとく輝いてみえるのだろう。


「ついては通事も排除したい。ご両人は唐国の言葉はいかほどで」

「俺は」と古麻呂は空威張りする。「言わずもがな唐で学んだ。問題ない」


「私は」と清河卿は自信なく言い淀む。「二年間、都で音博士の袁晋卿えんしんけいにならいましたが、この大役が務まるとは言い難い」

「恥じることはありません。むしろ良く言ってくれました」

 仲満は彼を讃えた。

 智の道は無知の門より出ずる。蛮勇を奮わない分別を、卿は持ち合わせていた。


「卿の訳語つうやくとして、わたくしめが同行致しましょう」

「恩に着ます」

「それでは俺と清河卿とでふたつ。平康坊を受け持とう」

「では古麻呂殿が崇仁坊を」と、真備がつぐ。「私は延興えんこう門にちかい新昌坊の旗亭をさぐりましょう」


「一つ良いか」

 と、古麻呂は真備に疑わしげな眼をむける。

「どうも新昌坊を率先して選ばれたように思えるが」


「いやはや、ばれましたか」

 真備は照れたように鬚をなでた。


「実のところ、この旗亭は昔よく通っていたところでしてな。少々懐かしく、暇をみて覗いておきたいと思って」

「そんな軽い気持ちでは困りますぞ、吉備卿」


 清河卿の苦笑交じりの叱責は、一同の心地よい笑いとなった。

 ここにいる誰もが問題解決の兆しをみて、難なく耶蘇教の胡姫を見つけ出せると安心しきっていた。


 しかし二日後、彼等の想像に反して、旗亭の戸を突き破って対面した胡姫は、イエスの聖像を握ったまま無残な死体と成り果てていた。

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