第6話 ヤらせ部屋の顔無しオンナ②

 ベッドの上の九郎は寝息を立てており、啓介に気付いている様子は無い。Tシャツと黒いレースのパンティだけの薄着で身体を投げ出し、下乳と腹部を露出している。タオルは床に落ちてしまっていた。

 啓介は恐る恐る、九郎のそばまで近付いていく。自分の身体は黒いのようになって透けており、足音が鳴らないどころか踏んだカーペットも形が変わっていない。試しに近くの壁へ腕を振ってみると、案の定すり抜けてしまった。

 部屋に対して物理的な接触ができない事を確かめた啓介は、次に九郎の身体へと手を伸ばす。

 正直なところ、かなりの抵抗感がある。九郎は啓介にとっても魅力的な女性だが、それ以上に恩人としての評価が根強い。犯すだなんて、冗談でも考えられない。

 投げ出された腕にそっと触れてみる。確かな感触。続いて、服に包まれた肩に手を移す。チャネルで説明されていた通り、服をすり抜けて肩だけに触れる事ができた。


「九郎さん、起きてください!」


 啓介は大声で叫んでみる。声は出せたが、それに対する九郎の反応は無い。肩を掴んで身体を揺すってみても、彼女は小さく唸るばかりで目を覚ましはしなかった。


「もしかして、私が此処にいる限り九郎さんは目を覚まさないのか……?」


 入る時の事ばかり考えていて、出る方法からすっかり意識が逸れていたのだ。啓介は、最悪の一文を思い出す。


『それでこっちが果てると同時に、目が覚めて現実世界に戻ってくるんだ』


 此処で九郎を犯さなければ、現実世界には戻れないという事だ。


「う、嘘でしょおっ……!」


 思い付いたところで、即実行に移せるだけの度胸を啓介は持ち合わせていない。

 一先ずは九郎から離れ、何か他の方法が無いかを模索する事にした。


「そうだ……物体がすり抜けられるなら、部屋の外にも出られるかもしれない」


 期待を込めて玄関に向かい扉を押してみるが、扉を通り抜けた手が奥に進んでいかない。向こう側が、霊的なコンクリートで塞がれているかのようだ。


「駄目だ……現実世界とは違って、扉の外が存在していないのか……?」


 確証は無いが、今自分のいる空間が九郎の言う〈神の世界〉に近しいものだという予感が啓介には有る。


「今まで九郎さんと訪問してきた神の世界には、どれも出る為に必要な行為があったよな……」


 ホテルの一室の時は、〈首吊り死体を成仏させる〉事。不知ず森神社の時は、〈人を取り込む泥人形達を境内から排除する〉事。まだ経験の少ない啓介にも、神の世界から脱出する為の条件は大まかに察しが付く。

 世界の主人の要望を満たせばいいのだ。

 もしこの部屋から出る為の条件が〈九郎を犯す事〉なのだとしたら、部屋の主人がそれを望んでいるのだと推察できる。


「まさか、九郎さんに恨みを持つ誰かがこの部屋を作ったのか……?」


 その時ふと啓介の背後で、空気が焚かれるような音が、ごおおっと鳴る。振り返ると、そこには今の啓介と同じような黒いもやが人の形となって出現していた。啓介の倍程もある巨大なシルエットから、かなりの巨漢であると判る。

 巨漢は一瞬啓介の方を見ていたが、直ぐに九郎の下へ向かって歩き始めた。


「ま、まさか……」


 脳裏に過ぎった最悪の想像は、啓介の目の前で現実となる。巨漢がその巨体で九郎にのし掛かり、腰を掴みながら身体を揺らして彼女を犯し始めたのだ。


「や、やめろおおおおっ!」


 啓介は拳を固めて巨漢の後頭部に殴り掛かるも、当然すり抜けて背後の壁に突っ込んでしまう。声も届いてはいないらしく、男にしてみれば風に吹かれたも同然だろう。

 下から突き上げられている九郎は目を閉じたまま、身体に伝わる振動と共に低めの声で生々しく喘いでいる。聳り立つ乳房の先からは身体を貫く快楽が漏れ出すように、どくどくと大きな染みが広がって甘い匂いを漂わせた。遂には引き締まった腹部を白い液体が伝い、臍にまで届く。


「ぐっ……いい加減に、しろ!」


 啓介は再び飛び掛かると、今度は九郎の上へと覆い被さる。そして腋の下へと腕を回し、彼女の身体を持ち上げた。巨漢の身体から九郎が引き離される。

 ぐったりとした九郎を啓介は両腕で抱き上げ、ベッドから飛び下りる。すると巨漢は激昂したように腕を振り上げ、啓介に襲い掛かってきた。だが振り下ろされた手は啓介の身体をすり抜けていく。

 その隙に啓介は九郎を抱いて、部屋の中を宛ても無く逃げ回る。普段では考えられないような力が、彼の身体を俊敏に駆動させていた。


「くっ……でも、このままじゃジリ貧だ……!」


 九郎を犯さなければ外に出られない以上、このまま逃げ回っていても状況は好転しない。それに現実世界で時間が止まっている訳でもないのだから、あまり時間が経ち過ぎると、全員が死んでしまう結末にだってなりかねない。それでも啓介には、巨漢と自分に九郎を犯させて外に出るという選択肢など論外だ。

 だがその抵抗も、長くは続かなかった。巨漢は九郎を目掛けて体当たりを仕掛け、彼女を壁へと押さえ付ける。その両手が掴んでいたのは、九郎の細い首だった。

 男は両手に力を込めながら体重を掛け、首を絞め潰していく。気管を潰された九郎は空気を吸おうと口を開け、蛙のように無様な声を上げた。顔は真っ赤になり、長い舌がべろんと空いた口から飛び出す。

 更に巨漢は身体を押し付け、身体が浮いたまま脚を大きく広げさせられた九郎を犯し始める。ゆさゆさと揺れる乳房からは母乳が溢れ、下乳と腹部を伝ってハーフパンツをぐちゃぐちゃに濡らしていく。


「ぐっ……! くそっ、くそぉっ!」


 啓介は必死になって九郎の身体を取り戻そうとするが、巨漢の異常な膂力は彼女の身体を強固に壁へと固定して離さない。


「やめろおおおおおおっ!!」


 啓介の絶叫がこだました刹那。背後の扉が開き、廊下からの光が差し込んでくる。

 そして一発の銃声が、澱んだ空気を裂いた。巨漢のもやは九郎から離れ、床で転げ回る。


「何処のどいつかは知らんが、よくやった。ようやくこの早漏ヤロウに一発ブチ込めたぜ」


 ブーツを鳴らして部屋に入ってきたのは、壮年中期と見られる西洋人の男だ。銀色の長い髪を後頭部でハーフアップにし、西部劇のガンマンを思わせる黒いスリーピーススーツの上から、銀細工で飾られた漆黒のロングコートを着込んでいる。

 頭上の黒いウエスタンハットには、鴉の羽根があしらわれていた。


「うちのが随分と世話になったな、ブタ野郎」


 男は銃を両手に構える。二丁拳銃だ。銃口の下部には、アーミーナイフを思わせる長くて厚い銀の刃が備わっていた。


「お前さんはもう一生分楽しんだろう。——今日限りで去勢だ」


 啓介と同様に、巨漢にもその言葉が聞こえているのだろう。床を這いつくばって逃げ出そうとする。だがその時には既に、彼の頭上へ男が飛び掛かっていた。

 そして両腕を交差させ、巨漢の股ぐら目掛けて十文字の斬撃を放つ。黒いもやは一撃で霧散し、部屋中に刹那の絶叫が響き渡った。

 巨漢が消えると同時に、啓介の身体も消え始める。すると二丁拳銃の男は啓介に指を向けた。


「お前さん、九郎の知り合いか? だったらこの後直ぐに此処へ来い。違うなら、今日の事は金輪際忘れろ。さっきの奴みたいになりたくなきゃな」


 目が覚めると、啓介は自室でパソコンの前に座っていた。ばっと室内の時計を見上げると、三十分程が経過している。

 幸い身体の方に影響は無く、啓介は直ぐに立ち上がって九郎の部屋へと走って向かう。ドアをノックして飛び込むように開けると、部屋の奥では見知った人物が食卓の椅子に腰掛けて待っていた。


「よう、お前さんか」


 啓介は少し緊張しながらも、ダイニングキッチンへと向かう。


「お前さん、九郎とはどういう関係だ?」

「……助手をやらせてもらっています。まだ会って数日ではありますが」

「助手。物書きのか?」

「そうですね……あとは禁足地への取材だとか」

「何だと? お前さん、その意味を分かってるのか?」

「ヘマをすれば死ぬって事ぐらいは……」

「それで納得できるか。九郎に頭をヤられちまったクチだな」


 ポケットから煙草を取り出してライターで火を着ける男に、啓介は勇気を出して尋ねてみる。


「あの……貴方は何者なんですか。九郎さんと同じ除霊の技を使ってましたよね」

「そういや、まだ名乗ってなかったか。俺はルシアス・クロウ。電網探偵だ」


 九郎以外にも電網探偵を名乗る人物がいるだなんて、啓介は夢にも思わなかった。


「九郎に霊能力のイロハを仕込んだのは俺でな。ま、師弟関係って訳だ。このマンションも、活動の基盤として俺が与えたんだよ」

「そうだったんですね……まだ若いのに、どうやって手に入れたんだろうとは思ってましたが」

「電網探偵は才能が九割の仕事だからな。九郎には、幾ら掛けても釣りが来る程の才能があった。あいつの能力は見た事あるか?」

「嘘を現実にする……でしたっけ」

「特定の条件下でな。その条件ってのは、〈相手の望みを叶える〉ってモンだ。相手が死後の救済を求める亡霊なら成仏させてやれるし、自分を犯したがってるクソ野郎なら、その為の異空間だって作っちまう」


 それを聞いて啓介は、神様みたいだと思った。自己を犠牲に善悪の区別無く欲望を満たす、歪な神ではあるが。


「九郎は自覚しちゃいないが、此処最近はあのブタ野郎の生き霊に度々襲われてたみたいでな。直ぐイッて帰っちまうモンで毎回取り逃してたんだが、今回はお前さんが時間を稼いでくれたおかげで間に合った。俺から礼を言わせてもらう」

「い、いえそんな。私の方こそ、九郎さんに命を救われてますので」


 啓介の答えに、ルシアスは呆れ顔だ。


「それは九郎のマッチポンプだろう。あいつの奇行に付き合うと、命が持たんぞ」

「いえ、それもそうなんですけど……九郎さんと出会った当時、私は生きる道標を失ってたんです。そんな人生に手を差し伸べてくれたのが、九郎さんだった。大袈裟かもしれませんが、彼女に出会って私は第二の人生が始まったように思うんですよ」

「否定はせん。あいつには、そう思わせるだけの魔力が有る。……こうして俺とお前さんが会えたのも何かの縁だ。何か困った事があれば、九郎の次に俺を頼るといい。日本にいる間は、上の602号室にいるだろう」

「あ、ありがとうございます!」


 啓介が部屋から去る直前。ルシアスは尖った歯をにっと剥いて笑う。


「お前さんにも、が有る。九郎をよろしくな」


 啓介にはあまりピンと来なかったが、頭を下げて自室へと戻る。部屋に入ると、ノートパソコンを開けっ放しにしていた事に気付いた。

 何気無くアカチャネルを覗いてみると、件のチャネルが更新されている。


 大師「あの部屋は地獄に繋がっていた。今夜試そうと思っているならやめておけ。俺はもう、二度とやらない」

 七師「何があったんだよ」

 大師「言えるのは一つだ。これまでの人生で感じた全ての快楽を忘れる程の苦痛を味わう羽目になる。女は現実で抱け。それだけだ」

 七師「なんだ、嘘かよ」

 七師「くだらねー。そんな事だろうと思ってたけどな」

 七師「オチが雑過ぎだろ。漫画じゃあるまいし」


 この日以降、九郎には快眠の日々が戻ってきたのだった。

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