第25話

水の中から引き揚げられたアリシアが目を開けると、至近距離に好きな人の顔があった。


普段は厳しい幼馴染の顔つきが今は泣きべそをかいた少年のように見える。


眉間の皺が消えて凛々しい眉がへの字に垂れ下がっているのが、迷子になった子犬のようで可愛らしいと思った。久しぶりの赤い虹彩も愛おしい。


気がつくとアリシアは温かい大きな毛布のようなものに包まれていた。ジョシュアは、隙間は許さないとばかりにピッタリと彼女を抱きしめている。


その温もりに幸せを感じたアリシアだが、不意に何故ジョシュアがここにいるのだろう?という疑問が湧き上がった。


「……あの、ジョ…ジョシュアさま?どうしてここに……?」


それを聞いた瞬間、ジョシュアの鋭い双眸から滝のように涙が流れ落ちた。


「ああ、アリシア、アリシア、アリシア、アリシア…アリシア!!!!」


何度も彼女の名前を連呼しながら感極まってアリシアを激しく抱きしめる。


(……戻ってきたんだ)


一瞬だけ感慨にふけったが、アリシアは現実に戻って目を白黒させた。


「そ、それより、ジョシュア様が何故ここに!?」


周囲を見回すとジョシュアの背後に、涼が立っている。


「りょ、りょう!?なんでここにいるの?心配してついてきたんじゃ……」


アリシアは慌てて言いかけて、涼ではないことに気がついた。


「……りょうって誰だ?」


ジョシュアの目つきが不穏に揺れる。


「あ、あの、アイさんの幼馴染で……」


口ごもっていると、涼だと思っていた男性が口を開いた。


「早く戻ろう。体が冷えてしまうぞ」


その声を聞いて彼がブレイク王子であることに初めて気がつく。


(え!?え!?え!?ブレイク殿下が!?なんでここに!?)


内心叫んでいる間に、ジョシュアはアリシアをお姫様抱っこして猛スピードで走りだした。


しかも、伯爵邸から出て行こうとしているようだ。アリシアは戸惑った。


(私の家はここなのに……一体どこに行くの?)


風のように門を抜け、ジョシュアは一目散に隠して停めてあった馬車の中にアリシアをそっと降ろした。


門のところで警護の騎士が目をまん丸くしていたが、ブレイクが立ち止まって何か説明している。


その後、アリシアは何がなんだか分からないまま馬車に揺られてサイクス侯爵邸に連れて来られたのだ。


*****


サイクス侯爵家ではミリーが心配そうに迎えてくれた。


「まぁ!お嬢さま、何があったんでございますか!?」


心配そうに叫びながらもミリーは慣れた手つきでアリシアを湯浴みさせ、着替えを手伝ってくれた。


ミリーの様子から察するに、彼女はサイクス侯爵家での生活に馴染んでいるようだ。


(どうしてそんなことになったのか分からないけど、アイさんとジョシュア様は同じ屋敷で暮らしていたんだわ)


それを想像してアリシアの胸はチクンと痛んだ。


その後、部屋に案内されるとベッドサイドテーブルに自分の日記帳ともう一冊の日記帳。そして、手紙が置いてあった。


(アイさんからだ!)


自分も同じようにしてきたので、直感ですぐに分かった。


アリシアはまず手紙から手に取った。


アイの手紙は非常に長いものだった。


『本当にごめんなさい』


最初にそう書いてある。


(……なんでだろう?)


読み進めてアリシアの顔が赤くなった。


アイは、アリシアの日記を読んだこと。そして、ジョシュアにも読ませたことを何度も謝っていた。


事情を知るために日記を読み、ジョシュアの気持ちを確かめるために日記を読ませた、と書いてある。


ジョシュアは大切な日記を勝手に読む訳にはいかない、と躊躇していたが、自分が強引に読ませたのでどうか許してやって欲しい、と書いてあった。


(……私の恥ずかしい愚痴や醜いことまで書いてある日記を読まれた!)


アリシアは羞恥で死にそうになった。


アイが陥った状況を考えると仕方がないことだ、と頭で分かっていても、恥ずかしさは止まらない。


自分の汚い部分をさらけ出している日記を読まれて、ジョシュアはどう思ったろうかと不安を覚えた。


(軽蔑されてしまったかも……こんな生活から抜け出したいとか、ジョシュア様と早く結婚したいとか、まさに他力本願で甘ったれたことを書いてしまったっ!嗚呼!情けないっ!)


複雑な感情に苛まれて身悶えしてしまう。


ジョシュアへの恋心は純粋な気持ちだ、と思う。


初めて会った時に傷だらけだったジョシュアが心配で、頑張って治癒魔法を試みたものの失敗に終わった。


恥ずかしくて顔を上げられなかったアリシアにジョシュアは明るく言ったものだ。


「ありがとう!癒そうって思ってくれる気持ちが一番嬉しいよ!アリシアは優しいんだな!」


小さいことかもしれない。でも、幼いアリシアはその言葉に救われた。


普段ムスッとした顔のジョシュアだったが笑うと邪気がなくなり、吊り上がった目尻が下向きになる。


それが可愛いと思ってしまった。


珍しい赤い虹彩を持つ瞳もルビーみたいで綺麗だと思った。


年を経ると共に、お互いに共通の話題が見つからなくて沈黙が多くなっていったが、幼い頃は会う度に剣術の話をしてくれた。


アリシアには分からないこともあったが、ジョシュアのキラキラした瞳と興奮した口調が幸せな気持ちにしてくれた。


幼い頃に抱いた恋心は変わっていない。


だから、彼と結婚したいのは彼に恋をしているからだ、と思う。


……でも、心のどこかに保身はなかっただろうか?


ジョシュアと結婚したら辛い生活から逃れられる、という気持ちがなかっただろうか?


アリシアは途端に自分の恋心が薄汚れたもののように感じて泣きたくなった。

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