第21話

今宵は国王陛下主催の舞踏会が開かれる。


アリシアもジョシュアのエスコートで舞踏会会場に向かった。


アリシアはたまに王宮のお茶会に参加するくらいは許されていたが、父親が亡くなって以来、正式な夜会に出席することは一度もなかった。


しかも、中身がアイのアリシアは華やかな社交場は初めてで緊張を隠せない。


王宮で行われる舞踏会は盛大で煌びやかなものだった。招待された貴族たちの色とりどりの衣装が宵闇を照らす灯りに蝶のように浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出している。


慣れていないアリシアのために、ジョシュアの母君であるサイクス侯爵夫人と手練れの侍女たちは手ぐすねを引いて待ち構えていた。


今宵は彼女たちが腕によりをかけてアリシアの身支度を整えた。


*****


ジョシュアはアリシアの手を取って堂々とエスコートする。


背が高く、まさに美丈夫という言葉がピッタリのジョシュアは密かに令嬢たちの熱い視線を集めていた。目つきは悪いが、顔立ちが整っているのは間違いない。ピシッとした礼装のジャケットの下の身体には厚みがあり、鍛え抜かれているのは明らかだ。


そんなジョシュアの腕を取るアリシアにも注目が集まる。その美しさに顔を赤らめる男たちが多く、ジョシュアは舌打ちしたい気持ちに駆られた。


アリシアの柔らかい金色の髪が幼さの残る小さな顔を縁取る。大きく煌めく瞳は見る者の心を簡単に虜にするだろう。形の良い鼻梁に白く抜けるような肌。ふっくらとした唇に惹きつけられない男はいないとジョシュアは思った。中身がアイだと知らなければ、緊張してこんな至近距離のエスコートなんて出来るはずがない。


華奢な体のラインを美しく見せるシンプルなドレスには派手な装飾はほとんどない。ジョシュアの虹彩の色のような朱色のドレスは胸元や首の肌の白さを際立たせて、清廉な色気を醸しだしていた。そしてその胸元にはジョシュアから貰った琥珀色の石のネックレスが輝いている。


(いつか、本物のアリシアをエスコートする日は来るんだろうか?俺はいつもアリシアの前に出ると萎縮してしまって、どうしていいか分からなかった。中身がアリシアではないと分かっていれば緊張しないんだが……)


先触れの声と共に入口に足を踏み入れると、重厚な赤い絨毯が敷かれた大きな空間が広がっていた。華やかな貴族たちの談笑が聞こえる。


その最奥の壇上に豪奢な椅子が並べられている。その中心に座っているのが恐らく国王と王妃なのだろう。その脇にブレイクの姿が見えて、アイは少し安心した。


王族の席に案内されると、国王に挨拶をする貴族たちの列が出来ていた。


アリシアとジョシュアが列の最後尾に並んだ時に、スウィフト伯爵夫人、つまりグレースとイザベラが入場してきたのが見えた。


彼女らもアリシアたちに気づいたようだ。


値踏みするようにアリシアの頭のてっぺんから足先まで何度もジロジロとながめた後、面白くなさそうな敵意のこもった視線を投げかける。


しかし、まさか国王陛下の御前で騒ぎを起こすわけにはいかない。無表情のまま軽い会釈をして、彼女たちは大人しくジョシュアとアリシアの後ろに並んだ。


気まずい沈黙に耐えつつ、自分たちの順番を待つ。


そして、いよいよアリシアとジョシュアの番になると国王陛下が嬉しそうな顔をした。


「ああ、アリシア嬢、ブレイクから噂は聞いているよ。体が弱くて滅多に夜会には来られないと聞いていたが、溌剌とした美しい淑女になったね」


壮年の国王は男盛りの魅力と自信に溢れている。側室を持たず王妃との関係も良好で三男二女の子沢山としても知られている。


アリシアに向かってブレイク第二王子がウィンクをした。国王や兄弟と違い、黒い髪で黒い瞳はブレイクだけだ。


「父上、アリシア嬢は美しいだけでなく勉強熱心で真面目な令嬢なんですよ。それに使用人からの人気がとても高いのです」


ブレイクの言葉に王妃が頷いた。


「ブレイクはこれまでどんなご令嬢にも関心を寄せたことがなかったのですよ。使用人から慕われる令嬢は大抵信用できます。スウィフト伯爵家は由緒ある家系ですし、既に婚約されているとは残念ですわね」


「いや、僕はまだ諦めていませんよ。何とか彼女を口説こうと必死です」


「おや、ブレイクが女性を口説くなんて前代未聞だね。但し、お前の身分や未来の公爵夫人などという下品なことで女性を口説くんじゃないぞ。男は誠意だ。お前の中身で勝負するんだ。ジョシュアはその点、手強いと思うがな」


国王の言葉にジョシュアの全身に力が入った。


「私は決してアリシアを諦めません。たとえブレイク殿下であっても退くつもりはございません!」


それを聞いた国王は機嫌良さそうに笑った。


「ほら。いくらお前が男前でもジョシュアにはかなうまいよ」


ブレイクは少し口を尖らせて頬を膨らませた。端正な顔立ちが思いがけなく子供っぽくなって王妃や兄弟姉妹が声を立てて笑う。


和やかな雰囲気にアリシアもほっとした。しかし……


「勝負はこれからですよ!正々堂々といきますからね」


アリシアそっちのけで会話が進む中、背後で恐ろしいほどの殺気がふりまかれていた。


見なくても分かる。


グレースとイザベラが恐ろしい目つきでアリシアを睨みつけているに違いない。


「……あら。そちらは?」


王妃に視線を向けられて、グレースとイザベラが嬉しそうに近寄ってくる。


「陛下。恐れながらグレース・ギャレット・スウィフトでございます。現在はスウィフト伯爵家の者でございますが、出身はギャレット侯爵家でございます。こちらは娘のイザベラです。何度もご挨拶させて頂いたことがございますが」


あからさまに媚びるような視線に、国王が興冷めしたように頷いた。


「ああ、知っている。王妃もそなたたちを知らない訳じゃない。ただ、何故そんな憎々し気な視線をアリシア嬢に向けているのか、と尋ねているだけだ」


国王の言葉にグレースたちはカチーンと凍りついた。まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。呆気にとられたまま顔が強張り、表情筋が機能不全に陥った。


「へ、へいか……な、なにを仰って? ……に、にくにくしげな?まさかそんな……ほほほっ」


ようやくたどたどしく言葉を吐き出すと、ブレイクが口を出した。


「よく言うよ。あんたたちがアリシアを虐待していたことはちゃんと陛下にもお伝えしたからね」


「で、殿下までそんなデマを信じていらっしゃるのですか?!アリシアは嘘つきなんです。どうかこんな娘の言い分をお聞きになりませんよう……」

「今宵は楽しい夜にしたい。諍いはごめんだ。挨拶は終わりだ。次の者!」


国王がグレースの言葉を遮り、グレースたちの後ろに並んでいた貴族に合図を送る。彼らがいそいそと近づくとアリシアたちは邪魔にならないように礼をして退いた。


王族から十分に離れるとグレースが憎々し気にアリシアを罵った。


「全く、まさかブレイク殿下まで誑かしていたなんて……なんて女なの!このあばずれっ」

「義理とはいえ自分の娘にかける言葉ではないな」


アリシアが言い返そうとしたその時、ジョシュアが彼女を庇うように立ちはだかった。

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