第20話

満月の夜。


アリシアとアイが入れ替わってから最初の満月だ。


ジョシュアとアリシアと何故かブレイク王子は、真夜中にコッソリとスウィフト伯爵家の古井戸に忍び込んだ。


スウィフト伯爵家にも当然騎士団がいるが、グレースはスウィフト騎士団の人事についてはあまり口を出さなかったので、基本的にアリシア支持の騎士ばかりだ。


アリシアが去った時に、サイクス侯爵家に異動したいと希望した者は数多くいた。


しかし、スウィフト伯爵家の警護が緩むのは望ましくない。


ということで、ジョシュアは騎士たちを説得して屋敷に残ってもらったが、密かにスウィフト騎士団と連携して屋敷の警護を行っている。


なので、アリシアたちは基本屋敷への出入りはフリーパスである。


***


「へぇ、ここが異世界への出入り口なんだね」


ブレイク王子は興味深そうに井戸の中を覗き込んだ。


「確かに水が満ちている。普段は枯れ井戸なんだろう?」

「はい」


ジョシュアが神妙に頷いた。


「僕も別な世界に行ってみたい。もっと広い世界を見てみたいという願望があってね」


ブレイク王子の横顔をアリシアが意外そうに見つめると、王子は少し照れたように笑った。


「驚くかい?第二王子という立場もそんなに簡単なものじゃない。たまには誰も僕を知らない別な世界に行ってみたいと思っても不思議じゃないんだよ」

「そう……なんですね。何不自由ない完璧王子だから悩みなんてないと思ってました。すみません」

「悪いと思ってるんなら、君が元の世界に戻った時に、僕がたまに遊びに行くのを許してくれよ」


冗談が冗談に聞こえないな、と思いながら、用意していた別世界への手紙を取り出した。


日本にいるアリシアに手紙を書くにあたり、三人で色々と頭を悩ませた。


水で濡れないように蓋をした瓶の中に手紙を入れるという案はすぐに決まった。


しかし、手紙の内容は他人にバレない方がいいだろう。


アリシアはアイの体の中にいても、この世界の文字は読めるはずだ。アイがこの世界の文字と日本語の両方を読めるように。


だから、手紙の中身はこの世界の言葉で書いた。そして、宛名にあたる部分だけ日本語で『小山愛様』と記す。そして、小山愛の現住所と念のため母親の住む家の住所も日本語で書いた。


何としてもアイに届かないといつまで経っても元の世界には戻れない。


次の満月の夜に同じタイミングで井戸と池に飛び込もうという提案だが、それまでに彼女に手紙が届かない可能性も十分にある。


失敗しても飛び込んでびしょ濡れになるだけだから問題ない、とアリシアは笑った。


『届くまで何度でもトライするだけだ』と断言するアリシアの強さにジョシュアとブレイクは感銘を受けた。


そして……


くっきりと満月が映る水面に向けて、アリシアは手紙の入った瓶を投げ落とした。


*****


満月の夜。


アイは涼と一緒に月詠池に忍び込んだ。例の事件があって以来、新たにフェンスが建てられ、監視カメラが取り付けられた。しばらくは夜中も警備員がいたが、さすがに一か月も経つと一晩中警備員を雇うほどの予算は市にはないようだ。


カメラに映らないような死角を探し、身軽に二人でフェンスを乗り越えると無言で歩き続ける。草を踏むかすかな音だけが耳に入る。


しばらく歩くと小さな池に出た。池の真ん中にくっきりと満月が映る。


風もない静かな夜だ。水面には何の動きもない。静謐な池は鏡のようにただ丸い月を映し出している。


しばらくそのまま池をじっと見つめ続けた。


何か目的があったわけではない。一度落ちてみたら元の世界に戻れるのだろうかとアイが考えた時にポチャンと音が聞こえた。


鏡のようだった水面に波状の文様が広がる。


「瓶だ」


今夜会ってから一言も発しなかった涼が呟いた。


涼は慎重に池の端に近寄り、濡れるのも構わずに水の中に足を踏み入れた。


「危ないから気をつけて!」


アイは思わず叫ぶ。


「大丈夫だ」


戻ってきた涼が持っていたのは小さな瓶だった、中に紙が入っている。


『小山 愛 様』


封筒にそう書かれた手紙を開くと懐かしい世界の文字が書かれていた。


「なんだこりゃ!?君には読めるのか?」


驚く涼にアイはニコリと笑い、すらすらと翻訳していく。


次の満月の夜、真夜中の十二時に同じタイミングで池に飛び込めば再び入れ替わることが出来るかもしれないと書かれている。異世界のアリシアも同じ時間に古井戸に飛び込むという。


「良かった。やっぱり私の体にアイさんがいるのね。きっとアイさんは戻ってこられますよ!」


声を弾ませたアイが涼を見上げる。


「あと一か月か……」


どことなく寂しそうに涼は呟いた。

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