第13話

しばらく歩き続けて、静かなところに来ると男は歩く速度を緩めて、ようやく手を離してくれた。


彼は笑顔で振り返るとアリシアに向かって蕩けるような甘い視線を向ける。


「やっと二人きりになれたね。元気だったかい?アリシア?」


しかし、アリシアは未だに彼が誰だか分からない。


「あの・・・」


口ごもりながら何と返事しようか迷っていると馴染みのある声が聞こえた。


「アリシアッ!」


見事なスプリンターのフォームでジョシュアが遠くから走ってくるのが見える。


必死の形相で、物凄いスピードで駆けてくるジョシュアの姿にホッと安堵の息を吐いた。


ジョシュアはアリシアの隣でピタッと止まった。


あれだけのスピードで走って、ほとんど息も切らしていないのは大したものだとアリシアは感心した。


ジョシュアは傍らの男を見て表情を曇らせるが、そのまま目を伏せて跪く。


「ブレイク殿下。・・・その、アリシアにどんなご用件が?」


殿下と呼ばれた男は冷ややかにジョシュアを見つめた。


「僕の勘違いかな?君は身を引くと言っていたように思うのだが……気が変わったのかい?」


この男はこの国の第二王子ブレイクである。


ジョシュアは数日前にも王城でブレイク王子と会っていた。


その時の会話を思い出して、ジョシュアは表情を強張らせた。


***


「ジョシュア。アリシア・スウィフト伯爵令嬢のことなんだが……。僕は彼女に興味がある。女性として好ましいと思ってるし、結婚も視野に入れている」

「は、はい?殿下!?恐れながら、彼女は私の婚約者です!」


思いがけないことを言われて、ジョシュアはつい語気が強くなるのを止められない。


「ああ、君と婚約しているのは知っている。だが、君とアリシア嬢は不仲らしいね?先日スウィフト伯爵夫人が、長女のイザベラ嬢と君を結婚させて二人に伯爵家を継がせたいと父上……いや、国王陛下に奏上していた。陛下は却下されたけどね」

「は!?俺とイザベラが結婚!?そんな話は聞いていませんが!」


嫌でも眉間に皺が寄る。


「ああ、まぁ、スウィフト伯爵夫人は君とアリシア嬢が結婚して爵位を継いだら自分たちはどうなるのかと不安に思っているのかもしれないな」


独り言のようにブレイク王子が呟いた。


「最初は王宮で見かけるアリシア嬢がいつも貴族令嬢らしからぬ質素な恰好をしていて気になり始めたんだ」


「そうですね。彼女は華美な服装を好まないので」


「僕は派手で贅沢好きで騒がしい令嬢は懲り懲りなんだ。結婚相手には落ち着いて思慮分別のある令嬢を求めている。口数も少ない方が好ましい。アリシア嬢は使用人に対しても礼儀正しく思いやりを持って接しているのを見かけた。アリシア嬢は僕の理想にピッタリだ」


「確かにアリシアは物静かで淑やかな令嬢です。心根も優しい。ただ、彼女の亡き父君の遺言で私との婚約が整えられました。それを反故にするのは……」


「僕は第二王子だが、いずれは公爵位を賜る予定だ。彼女の父君が存命だったら、僕との結婚に反対すると思うかい?」


「はぁ」


ジョシュアの胸は鉛がのしかかったように重くなった。


「何度か彼女と話をしたが賢そうだ。笑顔も愛らしく、声も好ましい。聞き上手なところも気に入った。僕と結婚すれば彼女は未来の公爵夫人だ。その方が彼女にとっても幸せだと思わないかい?」


「……アリシアはなんと言っているのですか?」


「まだ彼女には何も話していない。でも、君はイザベラと結婚すれば、いずれにしてもスウィフト伯爵家を継ぎ爵位を手に入れられる。次男の君にとって悪い話じゃないだろう?」


ジョシュアの拳にギュッと力が入る。スウィフト伯爵家を継ぐためにアリシアと結婚したい訳じゃないと叫びたかった。しかし、理性で無理矢理感情を押し込めた。


「アリシアが殿下と笑顔で話していたのを見たことがあります。彼女もとても楽しそうでした。俺と居る時よりもずっと……。私のような武骨な男より殿下の方が彼女に相応しい。私はイザベラとの結婚は考えられませんが、アリシアの幸せのためなら喜んで身を引きましょう」


「そうか。分かってくれて有難い」


***


ブレイク第二王子は眉目秀麗、文武両道……あらゆる褒め言葉が当てはまるような完璧な王子で令嬢方から絶大な人気を誇る当代一のモテ男だ。


ジョシュアのようなパッとせずモテない男よりもアリシアは幸せになれるだろうと、唇を噛んで身を引く覚悟を決めた。


しかし、今は事情が違う。日記でアリシアもジョシュアとの結婚を望むと知ってしまった。


もう身を引くなんて考えられない。


ジョシュアが顔を上げて抗弁しようとした時、


「あん!?あんた誰だよ?身を引くってなんだ?アリシアはジョシュアと結婚したいんだよ!」


普段のアリシアとは似ても似つかないアリシアの声が廊下に響いた。


ブレイクは信じられないという顔で呆然とアリシアを見つめる。


(まずい!ちゃんと今のアリシアに説明しておくんだった!)


心の底から後悔するジョシュア。


「さっきのお茶会の時もおかしいと思ったんだ。君はアリシアではないね?どういうことか説明してもらおうか?」


ブレイクは不気味な笑みを浮かべる。


(この王子は一筋縄ではいかない……)


ジョシュアは頭を抱えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る