第2話 奇妙な生物


 駅を出て、高校の寮に向かっていた。

 排気ガスと混じった、まだ冷たい春の匂いが心地良い。


 先生方への挨拶を考えながら、人混みを何とか抜けた。

 どうしよう、自分はとても人見知りなのだ。 

 高校の先輩達とはこれから上手くやっていけるだろうか。

 一歩進む度に動悸が激しくなってくる。

 何でも出来る俺の兄なら平気なんだろうが、俺はどうにも人と話すのが苦手だ。




 駅の出口から少し歩いて、横切ろうとした路地裏からピンク色の花弁が舞った。


 桜の花びらだ。だとしたら早咲きだし、何故路地裏から?

 時間はある。少し花見をするくらいは問題ないだろう。



 スマホの地図アプリをいじりつつ、路地裏に入って行った。


「あれ?」



 裏路地の奥は行き止まりだった。

引き返そうと振り向いた瞬間、体が動かなくなって倒れ込んでしまう。


 ああ、新調してもらったスマホの画面にヒビがいってしまった。

 いやそれよりも救急車を呼ばないと……。





……



 目の前が真っ暗だ。


 俺はだんだん目覚めていって、今どんな体制なのか理解した。

 うつ伏せの状態で、地面は固い。病院ではなさそうだ。


寝返りを打って目を開けた。


「うぐっ?!」


 凄く眩しくてすぐに目を閉じた。目を手で抑えてもずっと眩しく感じるし、めちゃくちゃ痛い。熱湯に沈められているみたいだ。

 虹がユラユラ揺れて、脈拍と共にビカビカと光るのを繰り返している。


めっちゃ痛い!!


「目がぁぁー! 目がぁぁぁぁあっ!!」


 視界の眩しさで気づくのに遅れたが、頭上からも異変を感じた。

ジュッ、と燃えるような音がするのだ。


ヤバイ! 燃えている! こんな時はあれだ、転がって消火するって学校の先生が言っていた!



 俺は転がった。

目だけでなく頭皮まで悲惨な事になるなど、とても耐えられない。



 だが少しして気づいた。やっぱり髪燃えてなくね?


 恐る恐る頭に触れると、やはり艶々の美しい髪の感触がそこにあった。


 自分の髪が燃えていると思いこんで目を抑えながら転がっている俺は、他の人の目にはさぞ滑稽に映ることだろう。

 ちょっと顔が熱くなった。でもめっちゃ痛いし耳元でジュウジュウ聞こえていたんだからしょうがない。



 俺は目も痛くなくなったので、試しに開いてみた。



 空だ。


 何となく気付いていたが外の、しかも高い場所に居た。周りには人の気配は一切ない。

                 

 しかも気温が低い。春だというのに冬のような気温だ。でも、何故か寒さは感じない。    

 俺の体は火照っていて、鼻先や耳以外はむしろ暑ささえ感じる。


 次に俺は立ち上がり、辺りを見渡した。周りにはピンク色の花が咲いている。

 すぐそこは崖みたいになっていて、下はずっと森しかない。


「どこだここ。誘拐された……?」


 既に不安で押しつぶされそうだ。おそらくここは東京では無いし、太陽の位置的にも移動に何時間か掛かっているだろう。

 学校に向かったのが八時くらいだから、ニ時間か三時間経って今は十時頃だろうか。


 誘拐だとしたら、犯人の同機は? そういえば制服の上着が無くなっている。

 財布か? いや、格好的に可能性は低そうだ。


 あまり信じたくないが、もしかして内臓? 無くてもしばらくは生きられる程度に抜かれたとか? 


 俺は目覚めて直ぐ、目や脳天がおかしかったことが頭によぎった。

 服を捲って腹部を確認する。手術痕のようなものは無い、これも違う。


 そもそも、内臓を抜くくらいなら全て抜いて殺してしまうだろう。



……いや、そういえば聞いたことがある。

睾丸は見た目ですぐに気づかれない手術の方法があって、それだけ取ってしまうとかなんとか……。

 俺はネットの半ば都市伝説的な事を思い出してとても不安になった。先程切り替えたはずの考えを、早速戻す事にした。


 木陰に隠れて、ズボンを脱いだ。


「は?!」


 驚いた。

毛が白くなっていたのだ。

 いや、銀髪という感じか? それに肌の感触もいつもと違う。お母さんのファンデーションを塗ったみたいに、陽の光でキラキラしている。めっちゃ美肌だ。


 “上の”髪の毛を抜いてみると、やはりこちらも脱色されていた。


 何かの薬品を掛けられた?!


 俺は不安でわなわな震え出した。

息子は?! 息子は無事なのか?!


 すぐに下半身に視線をやり、隅々まで確認する。



 見た感じは大丈夫そうだ。慣れ親しんだほくろもちゃんとある。

 だけど……


……何だか小さくないか?


 そうだ、うちの猫の去勢だって一回り小さくなるだけであまり見た目に変化が無かったではないか。

 これはしっかりと確かめなくては。


……


 問題なし。

小さめなのは元からでした……。


い、いや。小さいのは玉だけで、他はどうかな?


 いやいや。妙な事を考えている場合では無かった。


 賢者タイムで一気に冷静になり、俺は不安に押しつぶされないよう、とりあえずさっき見た反対方向を良く見渡すことにした。

 


 一キロ程針葉樹林が広がり、地面には苔が生えていた。針葉樹林の向こう側に海と……おお、街の様な場所がある。

 ここはとても急な斜面の上だった。


 近眼気味な目を酷使して、そちら側をじっと見つめた。

すると、街のずっと手間に山小屋のような場所があるではないか! しかも煙が出ている。

 おそらく人が居るだろう。距離的にも10分程で着きそうだ。


 そこに向かおう。

 しかしこの斜面をどう降りようか。


 考えた末に、俺はかなりの力技に出た。


 そう、斜面を無理矢理滑って降りる!

 制服のベルトを再度締め直し、覚悟を決めて掴んでいた木を離した。


 思ったよりは速度は出なかった。ああ、親に買ってもらった高いローファーが土塗れに……。

 だがそんな事を言っている場合では無い。とりあえず小屋に行って受信機か何かを使わせて貰おう。


 俺はゆっくり慎重に降りていくが、途中で変な位置から生えていた枝にアホ毛が引っ掛かり、バランスを崩して転がり落ちてしまった。


「ふぐっ、おわぁぁ!!」



 五回転はした。


「あいでっ」


 俺は転がり落ちると、バウンドして見事に尻もちをついた。


 今お尻の肉ぶるんってなったか?


「肥ったかな……」


 幸い木にぶつかることはなく、下に降りることができた。

 尻が痛い。俺は痛さを我慢して尻に付いた土を払った。


 ふてくされながらアホ毛をいじり、方角を確認したらそちらに向かう事にした。


 五分ほど歩くと木々の隙間から明らかな人工物が見えて、俺は嬉しくなって走っていた。

 安心やらなんやらで涙が出て来る。やっと家に帰れるかもしれない。






 小屋に近づくにつれ、焼けた肉のいい匂いがした。


 すぐ目の前に着いて、人を呼ぼうと息を吸い込んだ。だが吸い込んだ息はそのままゆっくり抜けていってしまった。



「え……」


 人が倒れていたのだ。

 しかもなんだか生臭さも感じる。


「あの! 大丈夫ですか?」


 直ぐに駆け寄って、倒れているうつ伏せの体を仰向けにした。


「ひぃっ」


 自分の喉から情けない声が出る。


 俺はすぐに手を離して座り込んだ。

 腰が抜けたのだ。倒れている彼の首は千切れかけていた。


 俺は腰が抜けて立ち上がれなかったので、小屋の入り口まで四つん這いで移動した。


 何とか立ち上がり、ドアを開ける。


 小屋のドアを開けた瞬間、むせ返る程の血生臭さが襲って来る。

 俺は思わず吐いてしまった。




 体も熱い。時間差で燃えるような感覚も襲ってくる。


「ぐああぁ!! あついあつい!!」



 俺は十分ほど悶ていた。地獄のような感覚だ。



「はぁ、はぁ……」


 ……しばらくするとマシになって、小屋の中を見る事にした。


 中には家具が倒れて散乱して、あちこちに血痕があり、死体が部屋の中心に集められている。首から上が無い者や、腹に穴が空いている者も居て、全員が死んでいるのは明らかだった。


 とても怖くて気分が悪い。


 とりあえず小屋から離れる事にした。俺は無理矢理立って、小屋から数メートル離れる。


 草むらに入ると背後から気配を感じた。

人が来たと思って振り返ると、そこには大きな熊の様な生き物が居た。

 額には赤い石が埋め込まれていて、歪に角も生えている。

 今まで見たこともない、完全に未知の生物だ。自動販売機よりも大きな巨体で何故足音がしなかったのか不明だが、俺はとにかく走った。

 

 全力で走ったが、周りを見ずに走ったせいで木の根に足を引っ掛けて無様に転んだ。

 あの奇妙な生物はすぐそこまで来ている。


 怖くて、意味が分からなくて、手元にあった石や枝を熊に向って必死に投げつけた。


「来るなっ、くるなぁぁ!」


 熊は立ち止まったかと思うと、何かを吐き出そうとしている。少し嘔吐いて、とてつもない勢いで火を吐き出した。

 中学生の頃、何かのビデオで見た火炎放射器みたいだ。


「うあぁぁ!!」


 本当に意味が分からない。幻覚が見えているのかと思った。


 来る! と思って腕で頭を守ったが、熱さは感じない。

生暖かい風が吹いた様に感じる。




 恐る恐る腕を退かして見ると、疲れた様子の熊がふらふらと立っていた。


 熊はこちらを怖がる様な素振りを見せて後退りしたが、直ぐに前脚をこちらに振りかざしてきた。



ああ、終わった。




 気付いたら、下にあるはずの地面が今は頭上にあった。


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