第44話 逆鱗は目に見えて明らかだ。

 体育祭の準備は放課後を中心に行われ始めた。


「で、あれだったら一緒に買い物に行かないか?」

「・・・」

「もしあれなら、荷物持ちくらいなら手伝うしさ」

「・・・」

「どうかな?」


 そう、行われ始めたのだが、俺の目と鼻の先でさきへとアプローチする野郎が居て大変腹立たしかった。さきは完全無視を決め込んで事務処理に精を出していたけどな。


「・・・」


 真顔のまま画面を見つめるが野郎は意を介していない。

 空気が読めない男の典型なのではと思えてならなかった。

 先輩達でも空気を読むのに野郎は二代目陽希ようきと渾名しても不思議ではない自分勝手さが滲み出ていた。


「なんか返事してよ。俺一人会話して恥ずかしいじゃん」

「・・・」


 隣で見ているとさきの腹立たしさが伝わってくるようだ。


「勝手に恥ずか死ねって思ってそうな表情だな」

「ぶふっ」


 市河いちかわさんは俺の呟きを拾って噴き出したが。

 当然だが俺達と同じように野郎を見つめる者達も居た。


「今日もナンパ君のアプローチが酷いねぇ」

「ところでF組の女子は何しているんだか」

「相手にしていないって感じかも。ほら、端で雑談してるし」

「ああ。もしかしてあいつ、普段からアレなのか?」

「アレかもしれない。顔は普通なのに俺様格好いい的な自己満足乙な残念さで」

「ぶふっ」

市河いちかわさんが噴き出したし」

「笑いのツボにはまることあったかな?」


 市河いちかわさんの笑いのツボは一度あかりに聞いた方がいいな。

 作業に支障が出ると後々大変だから。

 するとさきは席を立ち、


「あ、何処か行くの? 俺も一緒に行っていい?」


 無視して会議室から出て行こうとした。

 さきは振り返りつつゴミを見る目で罵った。


「変態」

「へ」


 この場合はそういう事だよな。

 野郎はきょとん顔で扉を閉めるさきの背中を見送った。


「乙女心と空気の読めない男って最っ低!」

「俺でも判ることなんだが、大丈夫かアイツ?」

「同じ紅組であることが恥ずかしいというより嫌ですね」

「改めて理系で良かったと思えるわ。市河いちかわさんには酷だけど」

「ここまで嫌われているのに声をかけて印象を最低にまで落とす男子は初めて見たな」

「過去最低の部類に入ると思います」

「これだと以前の陽希ようき君がマシに思える不思議」

「顔と表向きの性格は良かったですもんね。空気も読んでいたし。裏の顔は論外ですけど」


 終いには周囲の女性陣からも白い目で見られる始末だ。

 俺も本音ではガツンと言いたい所だが、さきに任せるしかなかった。

 男の俺がどれだけ言っても聞く耳を持たないからな。女性からだと割と聞くが。


「なんで俺が白い目で?」

「そら、花摘みに行きたそうな時に付いて行くって言えばな」

「花摘み? なんだそれ」

「お前、本当に文系か?」


 理系の男子からも呆れられる語彙力?

 俺はバカにするつもりで独り言を呟いた。


『空気も読めないクソだな。女心が理解出来ないなら、男子トイレの便座に詰まってこいや!』


 勿論英語の呟きなので気づいたのは会長くらいだった。

 汚い言葉だからか理解して噴き出したし。


「ぶふっ」

「なんか、一人だけ英語で話している奴が居るが、なんて言ったんだ?」

「お前、本当に文系か?」


 こいつ、どうやって編入してきた? どう考えたっておかしいだろう?


「ウチの高校、こんなに偏差値が低かったのか?」

「そ、それは、ないと、思います。ぶふっ」

「こんなの一芸で入ったか。何らかの特待生だよな?」

「ああ、特待生ってやつか。頭が緩いのはその所為か」

「んだとぉ!?」

「見事にヒットしたみたいですね」

「あとは沸点の低さから、どの部か判明したかも」

「私もなんとなく分かりました」

「てめぇ! 表出ろや!」

「喧嘩なら余所でやれよ」

「お前に言ってるんだ!」


 そう言いつつ人の胸ぐらを掴むなよ。

 体重差があるからか持ち上がらないが。


「もう少し鍛えろよ。ほれ、腕が邪魔だ」

「うっ」

「軽く握っただけで呻くな。ホントに特待生かよ」


 本当に軽く握っただけなのに痛そうに唸る野郎。

 ボールを掴む事が多いから握力が強いだけなんだが。


「や、やめ、やめろよ!」

「その言葉、そっくりそのまま返す」

「い、いてぇだろうが!」

「お前の心ない一言で傷ついている者も居るんだ。少しは空気を読めよ」

「なんのことだよ!?」

「残念。理解出来ないとは猿以下か。大人しくボール遊びにでも興じてろ」

「てめぇ!? 言ってはならんことを!」

「お前の逆鱗なんて知るか」


 本当に知るかなんだよな。

 すると会議室の扉が開いて見覚えのある長身が顔を出す。


「おーい。あおいは居るか?」

「あ、あかり君!」

「練習が終わったんだが、もう少しかかりそうか?」

「うん。あと少しかな?」


 市河いちかわさんはそう言いつつ作業が捗らない理由を視線だけで示した。


「そうか・・・って」


 あかりは視線を辿り、一瞬だけポカーンとした。


「てめぇ、何してやがる!」


 沸点が低いのはこちらも同じ。


「あ、あかりさん! 助けて下さいよ」

「先にあきの胸ぐら掴んだ手を離せや!」

「な、なんで怒るんですか!?」


 やはりな。特待生とバスケ部のエース。

 一年でスタメンとなったあかりと田舎の高校からスカウトされてきた特待生の違いは明白か。

 体育会系は上下関係が厳しいもんな。


「俺の連れに喧嘩を売っているからだが?」

「つ、連れ!?」

「人の練習相手を怪我させたらタダじゃおかねぇからな」

「れ、練習相手ってこいつ素人じゃ?」

「んなわけあるかぁ! お前なんて逆立ちしても勝てねぇよ!」

「で、でも、監督から誰よりも上手いって」

「監督の見る目は皆無だ! スカウトも指導も顧問の方が上だ」

「そ、そんなこと言っていいんですか!?」

「みんな言ってるよ。あんなの前校長の伝手で入ってきたクズだってな」


 まだ前校長の不穏分子が残っているのか。

 おそらく契約上の話だから今期は残りそうだな。

 というか市河いちかわさん、宥めようや。

 背後で「ぷぷぷっ」って笑ってないで。


「今じゃ練習にも顔を出さねぇじゃねーか。聞けば家で飲んだくれているとか噂があるぞ」

「そ、そんなこと」

「あるんだよ。お前も特待生で入ったなら委員会なんか取るな。遅れるだけ遅れて補欠行きになるぞ」


 バスケ部もバスケ部で大変そうだな。

 俺は呆れ顔のまま諭す事にした。


「この場に居るのは時間に融通が取れる者だけだ。部活に関わっている者は誰一人として居ない。それだけ本気で部活に取り組んでいるんだよ。人の婚約者に懸想する暇があるなら腕を磨け。次にさきの周りをちょろちょろしたり、問題を起こしたら社会的に殺すから覚悟しろよな」

「こ、婚約者?」

「お前、あきの婚約者に粉をかけているのかよ?」

「婚約?」


 おいおい。何処の田舎から越してきた?

 こいつ、自分の世界でしか生きていけないタイプか?

 陽希ようきと似ているが、自ら地雷原を進むだけあって質の悪いタイプかもしれん。

 流石のあかりも毒気が抜かれたのか沈黙したので、市河いちかわさんが割って入ってきた。


白木しらきさんは凪倉なくら君と結婚の約束をしています。この仲に割って入るという事は社会的に殺されても良いと判断される愚行です。なお、白木しらきさんの前で凪倉なくら君をバカにするともれなく」

「ゴクリ」

「既に遅いですが、ブチ切れて一生口を利いてくれなくなります。ハッキリ言うと白木しらきさんの方が凪倉なくら君を溺愛しているので貴方が割って入って心を奪おうとしても無理です。アリが象に挑むが如く可能性は限りなくゼロですね。バカそうな貴方が理解出来る言葉で言うと、無知な素人がNBAの選手に勝負を挑む事と同義ですね。胸ぐらを掴んで恫喝した。その時点で白木しらきさんの心証が最底辺にまで落ちたので手遅れです。残念無念。仮にバスケの勝負を挑んだとしても勝てません。凪倉なくら君は本場のチームで活躍した選手でもあるので提灯に釣鐘、月とすっぽん。天と地の差があるので止めなさい」

「・・・」


 捲し立てるように語るのはいいが、変なネタバレは止めてほしい。


凪倉なくらのフェイントに釣られた顧問が負けた理由はそこにあるのか」

「良い練習相手にはなるだろうが、そんな選手は高校バスケには入れないわな。レベルに差がありすぎる」

「つか、市河いちかわさんって割と毒舌?」

あおいはキレると毒舌になるな。俺でも引く」

「引くなんて言わないでぇ!?」

「ごめんごめん」


 頭をポンポンして可愛がる姿はバカップルだよな。

 傍目には兄妹にも見えるが彼氏彼女の関係である。

 すると花摘みから戻ってきていたさきが俺の隣に立って物申す。


「で、いつまで胸ぐら掴んでいるのかな?」

「あっ」

「離してくれるかな? ワイシャツが伸びるじゃん」

「す、すみません」

「大丈夫? あき君」

「問題ない。それよりも疲れてないか?」

「めっちゃ疲れてる。コレが自分勝手な物言いでしつこいから本来の作業の三割も出来なかったし」

「そっか。持ち帰って仕事するしかないか」

「後で手伝って!」

「へいへい。手伝うよ」


 物申したあとは俺の背中に寄りかかるように抱きついてきた。

 制服越しに胸の感触が伝わるが気にしたら負けだろう。


「あ、あの。婚約者というのは?」

「何を言ってるの?」

「婚約者というのは嘘ですよね?」

「死ね」

「え?」

「私の目の前から消えて、目障りだから直ぐに居なくなって」

「な、何を言って?」

「居なくなれって言ってる」

「いや、だから、なんで。俺、悪い事した?」

「悪い事してるでしょ。私はね、あき君と十年の遠恋の末に再会したの! それなのに外から勝手にしゃしゃり出てきて、自分の欲望と願望をぶつけて別れさせようとしないで! もしこれからも私に関わろうとするなら、家の力を用いてもアンタの人生を徹底的に『潰す』から覚悟しておいてよね」

「ひぃ」


 恐っ。この台詞と声音、ガチで恐っ。唸るような低い声音で会議室内の空気を凍らせたし。


「もしかして逆鱗に触れまくった?」

「もしかしなくても触れまくっていたよ」

「マジかぁ。お前、転校した方がいいぞ」

「な、なんで?」

白木しらきって言えば、ここらを牛耳っている企業の親玉だ。まともな神経がある奴は喧嘩を売らない。まともではない奴も最近まで居たが居なくなったしな」

「は、はい?」


 まだ信じないか。



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