第9話 不安が不穏を呼び寄せたよ。

 その日の夜は全然、寝られなかった。

 寝る前に気づいた不穏な言葉。あき君の発した言葉が気になって不安になったから。私は目の下のクマを見つめつつ洗面所で顔を洗い簡単に身嗜みを整えた。


「酷い顔。でも、仕方ないよね?」


 私の愛している彼が、どういう心境で終わった事にしたのか、気になったから。

 夜中にメッセージを飛ばして確認しようとも思ったが、非常識だと気づいた。


「ある意味での遠恋。幼い頃からの愛情だけが膨れ上がって今があるもんね」


 だから、これまでの間に何があったか過去の記憶を思い出そうと躍起になった。

 結果的に思い当たる節がなく途方に暮れた。


「メイクも・・・今日は乗りが悪そうだな」


 幸い、休みでもあるから本日会うのはあき君だけ、なんだよね。


「って、管理人さんも居るじゃん」


 それはそれで億劫になる状況だけど、悶々としたまま翌日を迎えたくなかった。

 教室に着くとクラスメイトが気にして、何やかんやと問いかけてくるからね。

 許嫁・・・婚約者と何かあったと悟った男子が弱味につけ込んでくる可能性もある。

 私はそれくらいで他人の女になる気は無いが、無理矢理にでも付き合わせようと動く女子達が居るのも確かなので、今日中に不安を解消しようと決意した。


「ま、それが出来たら苦労はないよね」


 私は財布の入ったバッグを持って自宅から管理人室に向かった。

 パッと見は買い物に出かけているように見えるだろう。

 一階に降りて、生徒会長に遭遇して、お辞儀だけした。


「あら? さきさんじゃない。早いのね」

「あ、おはようございます、会長。これからですか」

「ええ。入学式に行ってくるわ」

「お気をつけて」


 顔を見られないよう俯いたまま応じたが気に留められることはなかった。

 大忙しの生徒会長が一介の女子生徒に意識を割く事は稀なのだ。私もクラス委員の仕事柄、生徒会と関わる事があったから、顔と名前を覚えて貰っているに過ぎない。入学式で代表挨拶した時は名前すら呼んで貰った覚えはないしね。我が校の生徒会長は雲上人の風格を持つ、私が霞むほどの本物の御令嬢だった。


「ホント、風格が違い過ぎるよね。なんで公立高校なんて場所に通っているんだろう?」


 こればかりは生徒会長本人に確認しない限り分からない事なんだけどね。

 それはともかく。


(あー。緊張する)


 私は管理人室のインターホンを鳴らす。

 出てきたのは下着姿の管理人さんだった。

 頭をボリボリと掻いて眠そうな表情で私を見つめる。


「んあ? あ、おはよう」

「おはようございます。女、捨ててますね」

「捨ててないよ〜。おっぱい揉む?」

「揉みませんって」

「そう? 勿体ない」


 勿体ないって。私はノンケで同性には興味がないのに。

 すると管理人さんは目を細めながら私に問いかけた。


「ん〜? もしかして寝てないの?」

「ぎくっ」

「睡眠不足はお肌の天敵よ。私の年頃になると・・・」


 年頃になると・・・と、言って元気を無くす管理人さん。女を捨てていると思ったけど本人の言った通り捨ててはいないらしい。それなら甥っ子の居る場所で半裸はないと思う。血縁はあっても目の毒でしかないしね。

 とはいえ元気が無いのも可哀想なので、お世辞で慰めようと思った私である。


「ま、まだプルプルじゃないですか。若いですって」

「そ、そう?」

「まだいけますって」

「そうだね。お世辞でも嬉しいよ」

「・・・」


 お世辞と気づいていたなんて。本当に油断ならない管理人さんだ。

 管理人さんは咳払いしたのち私の顔をジッと見る。


「で、さーちゃんが寝られなかった理由は・・・だよね」


 見たあとでAKIと書かれた札を指さした。


「な、なんで、分かるんですか?」

「嬉しいなら笑顔、悲しいなら苦笑い、そこに寝不足が加われば、ね」


 私って顔に出るの? そうなるとこのまま学校に行ったら。

 多分、今の私は青ざめていると思う。


「ま、普段通り、何枚もの猫を被っていたらバレないけどね」

「ふぁ?」

「ここに来る時だけは被ってないでしょ? 本音で語るって言っていたじゃない」


 ああ、そうか。それで気づいたんだ。

 生徒会長に会った時は被っていたもんね。

 それでも顔色だけは分かるから隠していた。

 インターホンを鳴らしたら猫が逃げていったけど。


「で、何があったの?」

「えっと・・・ところであき君は?」

「ああ、早朝のジョギングだよ」

「ジョギング?」

「毎朝、身体を動かさないと頭が働かないとか言って、雨の日も風の日も外に出ているよ。学校がある日もジョギングして戻ってきてから、玄関掃除をしているしね。お風呂のあとに料理して、登校しているの」

「そ、それなんて、化物では?」

「さーちゃんにだけは言われたくないと思うよ?」

「うっ」


 うん。知ってた。私も陰ではそう呼ばれているって。


「それこそ似た者夫婦になりそうだね。羨ましいよ、本当に」

「ふ、夫婦」


 以前ならその言葉を聞いて嬉しかったと思う。

 でも今は不安が先立ってしまった。


「おや? 何かあったの?」


 私は問われたので昨晩あった事を打ち明けた。


「実はあき君が、好きだったと言ってきまして」

「はい?」


 管理人さんはきょとん。状況が読めていない表情だった。

 一先ず、玄関先で話す事でもないので私は管理人さんの私室に通された。


「ま、適当に座って」

「えっと、お邪魔します」


 室内には膨大な量の書物と執務机。応接用の椅子とテーブルもあった。


(ろ、六法全書・・・? 本当に弁護士だったんだ)


 おそらくこの部屋にお客様を通して、契約などを行うのだろう。

 その奥にはカーテンで区切られた寝室っぽい一室があった。

 管理人さんは奥に入ってスウェットを羽織って出てきた。


(一応でも身形は整えるのね)


 管理人さんは上座に座り、真面目な表情で問いかける。


「状況がよく分からないのだけど、最初から教えてくれる?」


 私は問われたので昨晩の出来事を事細かく語った。

 管理人さんは難しい表情になるも私に再度問いかける。


「一つ、質問」

「ど、どうぞ」

「さーちゃんが小四の頃だと思うのだけど、一時的にビデオレターを送っていなかった期間がなかった?」


 え? これはどういう意味なのだろう?

 私は何の事なのかきょとんとした。


「小四の頃? いえ、きっちり撮影して送ってましたよ。父さんが嬉々として撮影して」


 三ヶ月に一回はあき君の両親に送りつけていた。当然、同じような時期に撮影されたビデオレターが届いたので、私もそれを生き甲斐にしていて、どんなに辛い事があっても受け流していた。


「時には水着になって、泳げるようになったと」

「水着? 泳いでいる? 覚えがないわね」

「はい?」


 というか、なんで管理人さんが知っているの?


「あ、ああ。姉さんが私の元にも送りつけてきたからね。ダビングしたビデオ」

「ふぁ?」


 えっと、私のビデオが姉妹の間で共有されていたの?

 てっきり、あき君の家族だけかと思ったのに。


「それがある日を境に・・・そうね。中学にあがる直前から再開して、中学にあがって途絶えたわね」

「中学にあがって途絶えたのは全寮制に入ったから」

「私もそう聞いているわ」


 外出が叶うのは長期休暇と年末年始だけ。それ以外は学内で過ごす日々だった。

 あき君が帰国していた事を知ったのも三年の夏場だった。

 中二の時点で教えてほしかったけど両親も重要なプロジェクトがあって私に構っていられなかったのだ。


「そうなると・・・およそ三年間の間、音信不通になっていたって事よね。それも一方的に」

「音信不通・・・」

「だから、好きだった、か。さーちゃんが心変わりしたと思い込んだ、と」

「!? そ、そんなこと、無いですって!」

「無くても遠恋みたいなものでしょ。繋ぎ止めるためのやりとりが途端に途絶えたら」

「あ、ああ」


 そう、思っても不思議ではないよね。

 私なら発狂して両親に無理を言って駆けつけていたかもだけど。

 あき君はそれを選ばず我慢した、両親も忙しかったらしいしね。

 あき君自身もその頃は・・・色々と忙しかったみたいだし。


「つらい」

「で、でも、未練はあるでしょ? 番号認証もそうだし、ガールフレンドが居た時も関係を持たなかったし」

「え? ガールフレンド?」

「あっ」


 何そのやっちゃった的な顔面蒼白は?


あき君、浮気したんだ」


 ちょっと、それにはカチーンときたよ。


「い、いやいや、浮気ではないんじゃない? 途切れていたし」

「あっ」


 そうよ、そうだったよ。

 繋ぎ止めていたと思ったら、繋がっていなかった。


「私の落ち度じゃん」

「この場合は落ち度とは言い切れないわね。ちょっと、お父さんに問い合わせしていい?」

「は、はい。判明するのであれば、お願いします」

「おけ」


 そこから先は管理人さんにお願いするしか出来なかった。

 すると社会人な会話が管理人さんの書斎から聞こえてきた。


(ウチの顧問弁護士? そんな仕事までしていたの? ニートかと思ったよ?)


 そのまま流れるように探偵に依頼して調査を開始した。

 どうも管理人さんにはお抱えの探偵が居るらしい。

 どのような手法で探すのか知らないが何故か安心出来た私だった。


「結果が出るまでしばらくかかるけど送った事は判明したし、やりようはあるわ」

「やりよう・・・ですか?」

あき君はさーちゃんに対して未練が残ってる。仮に残っていなかったら番号変更するだろうし、浮気ではないけど、外国の可愛い子と繋がっていたと思うわよ?」

「そ、そう言われれば、そう、かも?」


 まだ少し、納得は出来ないけど。


「それに、ね。別人としたのも理由があると思うわ」

「え?」

「断言は出来ないけど・・・途切れる前と直前のさーちゃんの顔立ちが異なっているの」

「か、顔立ちが違う?」


 それなんて普段から見ている私には判らないよ。変化していないって思うし。


「単純に言うと子供と大人」

「子供と大人?」

「思春期に入った頃合いが抜けているから、頭の中で繋がっていないだけなのかもね。時々垣間見えるさーちゃんの笑顔と仕草が当時を彷彿させるからポロッと言葉に出たのかもね、きっと」


 だ、だから、他人だと?


「そ、そ、そんなのって無いよぉ!」



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